幼稚園になった「301」@紫明幼稚園

電車1

 京都市電の北大路車庫(現在は市バスの北大路ターミナル)のすぐ近く。北大路通から路地をちょっと入ったところに紫明(しめい)幼稚園(京都市北区小山東大野町83)はあります。
 ここの園庭に300型がいます。保存というより、再利用というのがぴったりです。現役の教室として使われています。

電車2

 あまり広くはない園庭ですが、裏の路地側からもコンクリート塀で見えません。土曜日の午前中で園児はいなかったので、「市電の写真を撮らせてほしい」とお願いしました。「住所、氏名をお書きくださるなら」と、優しく招き入れられました。

電車3

 「301」のナンバーがくっきりと残っています。塗装もしっかりしており、ていねいに使われているのがわかります。

電車5

 教室の隅のドアを開けると、市電の車体につながります。すっかり園舎の一部に組み込まれてます。

電車4

 内部はシートが取り去られ、平らな床になってます。
 「一番年少組の教室に使ってます。人気があります。卒園した子供からも、懐かしいという声をよく聞きます」。女性の先生がにこやかに話してくれました。

電車6

                            撮影・08/06/28

北野線のちんちん電車「N1」@大宮交通公園

チンチン電車1

 懐かしい「ちんちん電車」です。最後まで京都市内を走っていた北野線に乗ったことがあります。廃線跡を歩いたこともあります。
 大宮交通公園(京都市北区大宮西脇台町)に1800型とともに保存されている「N1」は、その北野線を走っていたかわいい車両です。Nは、狭軌(narrow)の略で、軌道幅が1068ミリしかありません。
 京都電気鉄道(京電)は1895(明治28)年、塩小路東洞院-伏見京橋間にわが国最初の一般道路を走る路面電車を走らせました。出発のときなどの合図に、鐘が「ちんちん」と鳴ったことから、「ちんちん電車」と呼ばれました。1912(明治45)年になって、京都市営電車(市電)が走り始め、京電は吸収されます。それでも、狭軌の北野線などはそのままで、四条通の一部区間では、最後まで3本レールで運行されていました。

チンチン電車2

 色あせた側面に、京都市交通局のロゴが残っています。

チンチン電車3

 架線がありませんが、ポールは残っています。
 終着の京都駅や北野に着くと、車掌が窓から身を乗り出してロープをたぐり寄せてポールをおろしていたのを覚えています。

チンチン電車4

 狭い車内です。現代の若者が傍若無人に足を伸ばすようなスペースはありません。

チンチン電車6

 「No6」と改番されています。

チンチン7

 図書館で借りてきた京都市電にかんする書籍です。これを見ているうちに、本物と再開したくなりました。

懐かしい「5」系統の「1860」@大宮交通公園

市電1

 京都市電の「5」系統は、京都駅から河原町を上がり、四条河原町を通って洛北高校前まで北上、ここで左折して北大路車庫に向けて走ってました。わたしが一番よく利用した思い出の路線です。
 大宮交通公園(京都市北区大宮西脇台町)は知りませんでした。行ってみると、懐かしい市電「1860」が保存されてました。

市電2

市電3

市電4

 料金は「90円」が最後だったのでしょう。わたしの記憶に残っている最初は、小学校時代の「往復25円」です。片道なら「13円」。その端数の処理がおもしろかったのです。

市電5

 現在は児童文庫になってます。

市電6

市電6

 交通公園には、ゴーカートがあって、子どもたちに人気です。
                        撮影・2008/06/28
 「京都市電の残影」というカテゴリーを作りました。しばらくは、市電の保存車両を追っていきます。

教会のあるパイクをつくる vol.8 コッペルBタンクの復活

パイク1

 脱線転覆事故(机の上から転落)を起こして以来、車庫入りしていたコッペルBタンクです。はずれた煙突を接着し、塗装し直しました。アクセントを付けるために、一部を赤色にしました。

パイク2

 実は新たに入手した接写レンズの初めての撮影です。1:1の比率での撮影が可能です。あまり接近するとアラが目立ちます。

パイク3

パイク4

 教会の尖塔もなんとかサマになっていると自己満足です。

パイク5

DD51に会いに行く@JR貨物吹田機関区

吹田1

 JRで通うようになって、毎朝、気になってました。岸辺を過ぎると見えてくるJR貨物の吹田機関区です。いつもDD51なんかが停まってます。
 定期があるので気楽です。岸辺で降りたのは初めてです。ちょっと歩いたら、機関区の脇に出ました。「立入禁止」ですが、駐車場まではいって撮影しました。目の前のDD51が、入れ替えのためか出発していきました。
 作業員が目の前を通りました。注意されるのかと思ったら、「何、撮ってるの?」。もちろん、目の前の機関車です。

吹田2

 EF65が作業員を乗せて出発します。その向こうには、塗色が違うDD51が停まっています。

吹田3

 ELの勢揃いです。

「単端」をつくる vol.4 背景は思い出の写真

単端1

 背景を変更してみました。私が撮した写真を、A4サイズのコピー用紙にプリントアウトして、立てかけました。架線が余計ですが、結構、サマになります(いつもの自画自賛です)。

単端2

 昨年夏、スイスを旅したときの1カットです。美しい田園風景が、目に焼き付いています。

「単端」をつくる vol.3 塗装する

単端1

 「単端」をツー・トーン・カラーに仕上げました。前部の黒い部分は、冷却用のラジエーターです。自動車エンジンを積んでいるます。

単端2

 「教会のあるパイク」にセットしました。

単タン

 塗装の下準備です。コンパウンド(磨き砂)を付けて歯ブラシでこすり、水洗いして表面をきれいにします。
 サーフェーサーという灰色の下塗り塗料を吹き付けます。
 最初は、クリーム色を全体に吹き付けます。
 クリーム色を残す窓などをマスキングテープで覆って、オレンジ色にします。
 マスキングテープをはがします。緊張の瞬間です。うまくツー・トーン・カラーに仕上がりました。

単端4

 一番上のカットは、こんな具合で撮影しました。「スイス、鉄道の旅」というガイドブックを背景に立てかけています。ちなみに写真は、グリンデルワルトからクライネシャイッデクに登っていく登山鉄道です。

「単端」をつくる vol.2 屋根と動力

単端1

 制作中の「単端」に屋根をつけ、動力台車に乗せました。

単端2

 天井になるパーツ(板)を、ラッカースプレーの缶に沿って押し当てて、カーブをつけます。
 屋根をのせました。
 内側から、ハンダ付けで固定します。
 動力となるKATO製の「チビ客車用動力ユニット」です。Bトレ・ショーティーという人気のプラ列車に流用できるところから、品薄になってます。大阪の数店で探しましたが、品切れでした。これは東寺からの帰途、JR京都駅八条口に近い「八条模型」で入手しました。ちょっと値引きしてくれて1300円でした。
 これで「単端」は教会のあるパイクの上を自力走行が可能です。

「C61 2」を撮る@梅小路蒸気機関車館

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 良い天気になりました。カメラ日和です。京都・梅小路にある「梅小路蒸気機関車館」に行きました。息子が小さかったころには、来たことがありますが、何年ぶりでしょう。
 きょうは動態保存されている「C61 2」が動いてました。
 昭和23年の製造です。ということは60歳です。わたしと似たようなものです。

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「単端」をつくる vol.1 シャーシの製作

単端1

 やっぱり、似合わないか!!
 「教会のあるパイク」は完成間近です。でも、そこを走るのピッタリの車両がありません。客車はともかく、「森ブタ」ではどうもしっくりときません。
 ちょっと前に、JR六甲駅近くの「六甲模型」に行きました。品揃えの豊富さに驚きました。折角、来たのだからと買ったのがARU MODEL製の「簡易型 単端」です。
 単端というのは、自動車用の動力や変速機を流用した気動車で、車体の一方にエンジンや運転台を設置した鉄道車両のことです。昭和初期に、日本の各地を走っていたようです。わたしの小さな時の記憶に残っている「江若鉄道」のガソリンカーも、これに近いものだったのでしょう。
 というわけで、日本の昭和の風景には溶け込むんでしょうが、スイスにはちょっと…。

単端2

 製作工程です。