花の寺十六番 咲き始めた「浄瑠璃寺」の馬酔木

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 浄瑠璃寺の馬酔木(あせび)は、花を付けている枝もありました。

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 馬も食べると酔うから「馬酔木」だったはずです。草食獣は食べないそうです。鹿も食べないから、奈良には馬酔木が多いそうです。

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 近づいてみると、かわいい格好をしています。

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 浄瑠璃寺

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 山門への道の馬酔木は花を付けていました。

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 池畔の馬酔木はまだ蕾です。

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 薬師如来が祀られる三重塔(此岸)から九体阿弥陀如来が祀られる本堂(彼岸)を臨みます。

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 本堂からみた三重塔です。

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 万両(まんりょう)が赤い実をつけています。
 千両は葉の上に、万両は葉の下に実をつけるそうです。

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「花の寺十六番 咲き始めた「浄瑠璃寺」の馬酔木」への2件のフィードバック

  1. この灯籠の窓から三重塔を、また反対に本堂を見られたでしょうか。ここに、浄瑠璃寺の意味するところが込められている一つのようです。丁度阿弥陀如来と灯籠と三重塔が一直線になっていると思います。

  2. 花の寺を回っておられるようですね。河内長野だったと思いますが、確か25番ではなかったでしょうか、観心寺があります。ここはまだ行かれていないのでしょうか。とても素晴らしい、いわゆる「花の寺」に相応しい花いっぱいのお寺でもあり、歴史上でも、南北朝時代のゆかりのあるお寺です。私は五条からの帰りの山越えで、2度行ったことがあります。相当に高い峠越えの道ですが、下ったところにあり、たしか楠正成の碑があったと思います。首塚だったでしょうか。後村上天皇もこの寺に由緒があったと思います。つまり、南朝の拠点の寺の一つだったかもしれません。後村上天皇は後醍醐天皇の皇子ですね。南朝は後村上天皇の皇子の後亀山天皇で終わり、以後は北朝系の天皇となったと記憶しています。

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