「ねじりまんぽ」を歩く その4 奥田ノ端橋梁

 JR京都線(東海道線)の京都-高槻間には4つの「ねじりまんぽ」が残ってます。3つはすでに踏破しました残っていた自宅に一番近い「奥田ノ端橋梁」です。よく晴れ上がった日差しの中、カメラ片手に歩きました。
 このあたりには、煉瓦積みのまんぽがいくつもあります。でもここだけがねじれてます。トンネルが線路に対して直交していないため斜拱渠(しゃきょうきょ)と呼ばれるこんな技術が使われているのです。

 左回転できれいにねじれています。
 

 複々線の軌道敷のうち、南側2線部がねじりまんぽになってます。
 大阪-京都間の鉄道は明治10年(1877)に開通した。ねじりまんぽはその時に建設されたが、軌道敷の拡幅で北側にコンクリート製のトンネルがつなげられたのです。

 「奥田ノ端橋梁」と表記しました、実際には「奥田畑」と書かれています。「とうかい-140」というのが、JR西日本の正式名称のようです。

 自宅からここまで歩きましたが、その前にくぐったただの「まんぽ」は、「つづき」に記します。

 【藪ヶ架道橋】
 西国街道(府道67号、西京-高槻線)がJRをくぐるところにあります。
 高槻に行くときに、国道171号の混雑を避けて走る抜け道です。

 クルマの通行は多いです。

 【神森橋梁】
 「神南備(かんなび)の森」という古代和歌に詠まれた地の近くです。だから「神森」なんでしょうか。

 たまたまこの橋梁をクルマで抜けたことから、「ねじりまんぽ」の探索は始まりました。

 西国街道を西に歩むと、次のまんぽが見えてきます。

  【山端橋梁】
 翼壁まできれいにレンガが積まれています。 

 クルマもよく通ります。
 側壁が、背の高いクルマにこすられて、筋がついてます。

 【甚兵衛川橋梁】
 甚兵衛川がこの下を流れているのでしょう。

 【内田辻橋梁】
 次々とレンガ積みの橋梁が現れます。

 【とうかい-138】
 名前すらわかりません。

 レンガの積み方変化しているのがよくわかります。

 【とうかい-139】
 ここも名称不詳です。

 内部は、レール6本(黄色く塗装されている)を曲げて、補強されています。

 ここの次が奥田ノ端橋梁でした。
 さらに西に歩けば、レンガ製の橋梁があるようです。でも、あまりの好天にわたしは干上がってしまい、まんぽ探索を終了して阪急・高槻を目指しました。

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「「ねじりまんぽ」を歩く その4 奥田ノ端橋梁」への1件のフィードバック

  1. いつも楽しみに読ませていただいています。
    中学校1年生まで島本町広瀬に住んでいましたので、水無瀬、高槻、上牧、大山崎、長岡京市など懐かしいところばかりです。西国街道もよく自転車で高槻の西武まで遊びに行ったことを思い出しました。

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