なつかしの真空管アンプ 50CA10 ~アナログ回帰

真空管アンプ1
 なつかしの真空管アンプです。タンノイ(といっても25センチですが)のスピーカーとの組み合わせで、バロックや室内楽を中心に聞いてました。
 元の所有者である兄が、大手オーディオメーカーを退職して、第二の人生は真空管アンプの製作にたずさわることになりました。なつかしのアンプを、押し入れの奥から引っ張り出してきて、「記念品」として返還しました。

真空管アンプ2
 6267-6AQ8-50CA10 という構成のアンプです。
 初段の6267は、独Telefunken製のEF86という球がささってます。
 50CA10 は、NECが開発した最後の3極出力管だったはずです。5年ほど前に、もう一度、この真空管の音が聞きたくて、東京出張の折りに秋葉原の電気街で同じ真空管を探したことがありますが、見つかりませんでした。
 ネットで検索してみると、中国製(そんなのがあるのだ!!)がペア(2本)で3万8000円なんて、とんでもない値がついています。

真空管アンプ3
 シャーシ(ケース)やトランスなど大物部品は30数年前のものです。それをベースに20年ほど前に一度ばらして、抵抗やコンデンサーなどの消耗部品を取り替えて組み直し、愛用してました。

真空管アンプ4
 内部の配線の様子です。半田付けは、中学校の放送部以来の得意科目です。

真空管アンプ5
 ラックスという真空管アンプで人気を誇ったメーカーの回路をコピーしています。

真空管アンプ6
 ラックスの出力トランスのあたりの配線です。実は一方の出力トランスが断線して、使用不能となっています。兄の友人は、同じように一方が断線したアンプを持っておられるということです。二つを合体させると懐かしの音がよみがえります。その日が楽しみです。

「なつかしの真空管アンプ 50CA10 ~アナログ回帰」への6件のフィードバック

  1. 懐かしいですね!私も真空管時代を楽しみましたよ。今も昭和32年に撮った我が家の当時の自作のメインアンプ、プリアンプ、チューナー、プレイヤー、スピーカーなどの写真が残っています。ST管時代には2A3でアンプを作りました。昭和30年ころとしては、最高の音質を誇りましたね。GT管に入ってからは、6V6のプッシュプルでアンプを組みました。50CAが出たころは一方でMT管が出ていて、私はアンプの小型化に一生懸命でしたから、シャーシ内に寝かせる配線に取り付いて、アルミのシャーシに必要な穴あけしたあと、ハンマートーンやチジミの焼付け塗装にするために福島界隈にあった塗装屋に出すなど、もう、何台メーンやプリを作ったでしょうか。とにかく小型化を目指して、ベーク板に1mm方眼紙を貼り、それに抵抗やコンデンサーを並べて足の部分にドリルで穴をあけ、足のリード線を使って配線するなどしていたのですが、それがプリント配線につながったんですね。マイクロトランジスターが出た時にはいち早く買い込んでアンプを設計しました。マイクロといっても薬の錠剤ぐらいの大きさがあって、それでも小さくなったことに感心したものでした。書けばキリがないのですが、いろいろ懐かしく思い出されます。プレーヤーはケースも自分で設計しては家具工場で作ってもらいました。ピックアップのアームはトラキングエラーを出来るだけ少なくするためにヤマハの16インチのオイルダンプでした。カートリッジは低出力のデンオンのムービングコイル型でそれに使うマッチングトランスは村田製作所製しかありませんでした。モーターもいろいろ使いましたが、最後まで持っていたのはニートの糸ドライブでした。バイノーラルレコードをご存知ですか?外周と内周で左右の音を分けてカットしてあり、ピックアップアームは2本でトレースします。これもやりましたね。スピーカーは松下が開発した6PW1、8PW1、10PW1を愛用しました。ボックスは自作もしましたが、開放型やバスレフ型を設計して家具工場に出しました。トランジスターのアンプの音は硬くて、味気なくて、冷たいけど、真空管の音は柔らかくて艶があって暖かいとか言っていたものでした。今でもST管の2A3の素晴らしい音がずーっと耳に残っています。

  2.  イリさん
     さすが先輩、お楽しみの領域が広いですね。それにしても、こんなとこにも接点があったのですね。
     わたしの真空管初体験は、中学1年のときに作った6C6-12Fのラジオでした。菓子の紙箱の上に組み上げましたが、最初にスイッチを入れたときのどきどきした緊張感は、今も覚えています。その後は、アマチュア無線の方で、2A3ではなく807に行ってしまいました。
     それにしても、もっと詳しくお聞かせいただきたいことばかりです。お会いできる日が楽しみです。

  3. 懐かしい話題ですね。私はオーディオではなく
    その頃アマチュア無線にのめりこみました。
    JA3F**というコールサインでしたよ。
    今はのんびり小鳥探しの毎日です。
    でも被写体に恵まれず・・・・です。

  4.  鳥好き老人さん
     JA3F**と聞いて、Foolish Old Man と名乗っていた中学の1年先輩のことを思いだしました。同じJA3です。わたしは、もっぱらJA3YB*という高校のクラブで遊んでました。
     自らが正真正銘のOMになって、妙に懐かしいですね。
     思いついて机の引き出しをごそごそしたら、「無線従事者免許証」が出てきました。電話級が昭和40年6月、電信級が同じ年の12月の発行です。高校1年のときで、少年の写真が張られてます。

  5. 毎度お世話になります、早速ですがページを拝見しまして私の友人にも50CA10のラックスキットを持っていまして修理が必要ですので是非KMQ60の配線図をメールお願い出来ませんでしょうか、宜しくお願いします、今回の図面を拡大してますが大きく出来ません、私のやり方が悪いかもしれません。

  6.  サイショ さん
     50CA-10の、あの柔らかい音は、今も耳に残ってます。もう一度、聴きたい音です。
     LUXKITの回路図集は、今は手元にはありません。スキャナーで読み込んだはずですから、当時のフォルダーを探しましたが、ブログにアップように縮小したのしか見つかりませんでした。残念ですが、お許しください。

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