「えんぴつで奥の細道」という本です。
ひと文字、ひと文字、少しずつ。芭蕉のことばを書き写してみませんか。出会いと別れ、そして名句の数々。文字を丁寧になぞることで、あなた自身の旅が始まります。
元禄二年(1689)の早春に出立、日光、平泉を巡って日本海に出、金沢を経て大垣にいたるまでの160日の大行脚。芭蕉がもっとも強く心血を注いだ散文「奥の細道」を深く味わう、まったく新しいテキストブック。
そんな腰帯に惹かれて、買ってしまいました。
第1日目序章は、「月日は百代の過客にして…」で始まりますが、奥の細道は読んだことがありません。指定された通りの鉛筆でなぞりましたが、鉛筆ではさらさらとはいかず、結構腕が疲れます。
第2日目旅立ちは、「弥生も末の七日」に旅は始まります。わたしは、黒いインクをいれたPelikanで書いてみました。
第3日目草加は、「ことし元禄二とせにや、奥羽長途の行脚…」です。この日は、一番手に馴染んでいるPelikanのブルーブラックでなぞりました。これが一番自然です。これでいくことにしました。
今夜は第五日目仏五左衛門で「日光」まで歩を進めました。
これから松島まで北上、羽黒、月山から最上川まで行き、日本海にそって敦賀まで南下、大垣にたどりつきます。
東海道五十三次の比ではありません。しばらくは「卓上の旅」も楽しみます。
「えんぴつで奥の細道」はポプラ社刊で1400円でした。
「万年筆で奥の細道」への4件のフィードバック
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幅広いご趣味と、それぞれに半端ではない奥の深いところが伺えて、ブログの拝見はとても楽しみです。「奥の細道」には関心があって、新潮社の芭蕉の文集としての「おくのほそ道」や、同じ新潮社のとんぼの本の「奥の細道を歩く」とか、講談社の田辺聖子の古典の旅の「おくのほそ道」などを買って読み、足跡をたどりたいなあと思ったものです。たどるといっても歩くのは大それたことですので、車か乗り物ですが。手始めにと白河の関跡を訪ねたことがありました。JR白河駅前から50人乗りの観光バスで、何と私一人が客だったんです。復元された関所と、芭蕉と曽良の旅姿の像が建っていました。運転手と仲良くなった私一人の観光バスはタクシー代わりに旅館に横付けしてくれて、旅館が驚きました。「白河の関にかゝりて、旅心定まりぬ」の芭蕉の気持ちとは裏腹に、たどる話はそれっきりで続いていません。写しとは言え手書きで「奥の細道」をたどる、そんな書が出ているとは、先の「赤と黒」の万年筆といい、着目のされ方に、またまた脱帽です!一般には「奥の細道」としますが、「おくのほそ道」が原題のようですね。
書き込みをしながら、井本農一著の「おくのほそ道ノート」を見ているのですが、ブログの写真は「日光」まで歩を進めました、のとおり、「日光山の麓」の節を書いておられますね。「片雲の風にさそはれて」ではないですが、私も明日にでも書店へ出かけてみようと思いはじめました。
書店に出かけました。見当たらないので店員に尋ねると、私は知らなかったのですが、テレビで紹介されてどっと売れてしまい、重版中とのことでした。入荷は20日過ぎのようで、「奥の細道」出立はちょっと一服です。四国霊場めぐりの杖や道中着には「同行二人」とあって、たとえ一人であっても「一人じゃないよ、常にお大師さまと二人だよ」との励ましの言葉ですが、この書での旅立ちは、芭蕉と曽良や「同行二人」どころか、どうも大ツアーのようです。でも、どれだけの人が無事に大垣へたどり着くことやら。なお、楽しみになってきました。果たして何百人?何千人?の道中になることでしょうか。
大先輩へ
テレビで紹介されていたとは知りませんでした。わたしは、連休の最終日に、散歩がてら出かけた自宅近くの書店で平積みになっているのを見かけました。
色鉛筆で名画をなぞる「塗り絵」が話題になっていることは知ってました。ミュシャに色をつける本もあって、こんなのが描けたら楽しいだろうなとぺらぺらとめくり、買おうかなと思いながらも本棚に戻しました。その近くにあったわけです。
重版になるとは、なにがヒットするかわかりませんね。まあ、わたしのように「おくの細道」のことはなにも知らないものでも手を出してしまうのですからね。