歩いて京都十六社 その1 長岡天満宮~西院春日神社

 京都にある16神社を巡って一年の祈願成就を願う「京都十六社朱印めぐり」を始めました。
 巡る順番や方法は自由です。わたしは歩くことにしました。GoogleMapでルート探索してみると、ざっと40㌔ほどになります。
 スタートは、自宅に近い長岡天満宮に参りました。ここで朱印巡りの朱印帳もいただきました。
 初回は、西院春日神社まで4社に参拝しました。20㌔に及ぶロングウォークとなりました。

 天満宮(天神さん)は、日本全国あちこちにあります。菅原道真を祭神とする神社であす。
 長岡天満宮は、道真が太宰府へ左遷されたときに立ち寄り「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しんだ縁故によって、道真作の木像をお祀りしたのが創立だそうです。
 十六社のうちでは、ここだけが京都市内から離れています。ここを起点に時計回りに歩くことにしました。

 長岡天満宮
 学問の神様 厄除開運
 長岡京市天神2-15-13

 吉祥院天満宮は、道真公誕生の地とされます。

 吉祥院天満宮
 受験合格 開運招福
 京都市南区吉祥院政所町3

 六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ)は、清和源氏始祖の源経基を祭神とします。「源氏三神社」のひとつです。

 六孫王神社
 出世開運 家運隆盛
 京都市南区壬生川通八条角

 西院春日神社
 淳和天皇が退位に伴い淳和院離宮(別名西院)へ居を移すに際し、その鎮守社として創建されました。

 西院春日神社
 厄除 病気平癒 交通旅行安全
 京都市右京区西院春日町61

 「京都十六社朱印めぐり」は、2月15日までに16社の朱印を集めると巡拝成就となります。

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京都の渋~い時 阿弥陀ヶ峰と「土を喰らう十二ヵ月」

 映画なるものを独り、久しぶりに見ました。「土を喰らう十二ヵ月」です。何かやってないかなと、たまたま見つけただけです。
 京都で半日を過ごすプランを考える必要が生じました。ところが太陽が顔を見せてくれません。これではシーズンを迎えた紅葉も映えません。
 たどり着いたのが、渋~いメニューでした。

 マイカー・プジョー208の12ヵ月点検でした。それだけのことです。京都・西京極近くのディーラーに車を預けました。夕刻に引き取りにくるまで半日の時間がありました。
 まずは近くのバス停で京都市バスを待ちました。すぐにやってきたのは紅白の京阪バスでした。

 京都駅行きの市バスに乗り、「1日バス券」を買いました。700円ですから3回(230円×3)乗れば、ほぼ元は取れます。
 最初の降車時に日付がプリントされ、あとはこれを見せるだけです。
 京都市民だったら「敬老優待パス」がもらえるのですがね。

 烏丸五条で下車しました。

 五条通をさらに東へ向かう市バスに乗り換えました。向こうに清水寺が見えていました。

 大谷本廟の前もきれいに色づいています。
 清水坂は、観光客や修学旅行生でものすごい混雑でした。

 南西に1ブロックほど路地を入っただけです。静かなたたずまいの「河井寛次郎記念館」です。ここをゆっくりと見学するつもりでした。
 大正・昭和にかけて京都を拠点に活動した陶工、河井寬次郎の住まい兼仕事場を公開したものです。民藝運動の理論的指導者となった柳宗悦や、二人を取りもった濱田庄司らの息吹を感じることができるはずでした。

 なんと休館日でした。1日の計画が崩れました。

 東山通を南に七条近くまで歩きました。豊国廟の参道を上ります。「女坂」と呼びます。この先に京都女子大・女子高があります。

 女子学生の姿が少ないと思ったら、皆さんはこの「プリンセス・ライン」という京都駅、四条河原町に直行する真っ赤な専用バスにご乗車でした。

 豊国廟は、太閤さん(豊臣秀吉)の墓所です。

 麓から563段もある石段を登って行きます。「そうですね、往復したら半時間はかかりますよ」と、落ち葉を掃除していた神社の人。

 一直線に石段はまだ続きました。

 頂まで上がってきました。 
 巨大な石造五輪塔は、豊太閤三百年祭が大々的に挙行された明治31(1898)年に建立されました。
 ここは東山三十六峰の第31峰である阿弥陀ヶ峰の頂上でもありました。

 大勢の参拝者で埋まっている清水寺の舞台が見下ろせました。

 山頂で1人、アマチュア無線を楽しんでいる方がおられました。しゃべりこみました。

 市バスに四条河原町まで乗りました。ぎゅうぎゅう詰めのバスでした。
 寺町通を三条まで上がり、「常盤」に直行しました。こじゃれたカフェ飯は敬遠して、ここは渋く「焼き魚定食」です。

 びっくりするほどおいしいわけではなく、当たり前の定食です。

 ふりかけがついているのがごあいきょうです。

 明治11(1878)年創業という、れっきとした百年食堂です。

 780円の、安心の味でした。

 常盤
 075-231-4517
 京都市中京区寺町通三条上る天性寺前町523

 本日のメーンイベントは映画観賞でした。新京極の「MOVIX 京都」です。12スクリーンと関西最大級の規模です。高校生のころ、映画鑑賞でやってきた昔の松竹座です。

 「土を喰らう十二ヵ月」は、水上勉の原作を映画化しています。主演の沢田研二はともかく、松たか子に魅かれました。
 ストーリー性はあまりありませんが、「土を喰らう」そのままに土井善晴の料理が並びます。「おいしい」と松たか子が何度も繰り返します。えらく老けてしまったジュリー(わたしより1つ年長)の日々に、わが渋~い1日を重ね合わせてしまいました。

 河原町の丸善書店に寄って水上勉の「土を喰う日々-わが精進十二ヵ月-」(新潮文庫)を買いました。

 三条河原町からの帰りは、1本でカーディーラーの最寄バス停を通る市バスが発車したばかりでした。別ルートを3回も乗り継ぎました。これで1日バス券を有効に使うことができました。

東山三十六峰 その8 椿ヶ峰から紫雲山、吉田山へ

 東山三十六峰のウォーキングも終盤です。鹿ヶ谷(ししがだに)にある第15峰の椿ヶ峰から黒谷の金戒光明寺にある第13峰、紫雲山、そこから丘続きの第12峰、吉田山へと歩きました。
 吉田山の山頂展望台からは、目の前に京都五山送り火の大文字の火床が見えます。目をこらすとハイカーの姿が点になって数えることができました。

 椿ヶ峰に登る人は多くないようです。参考にしているToshiさんのホームページ「東山三十六峰」では、『お玉の橋を渡って登る』とあっけないほど簡単です。
 ところが、別のネット情報では、そのルートは『わかり難い道』と記されています。北側のノートルダム女学院の方から登りましたが、そちらもルートを見つけられず、YAMAPの位置情報と方向だけを頼りに雑木の中を汗だくで頂上を目指しました。

 紫雲山は光明寺の文殊塔の裏にあります。最高点には、清和天皇火葬塚があります。ここも宮内庁による「立入禁止」でした。

 哲学の道の紅葉も、疏水の上で真っ赤になってました。

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東山三十六峰 その7 御生山と赤山 赤山禅院の紅葉

 東山三十六峰を巡るウォーキングも未踏峰は数えるほどです。北の端の比叡山の麓にある第2峰の御生山(みあれやま)と3峰の赤山を歩きました。
 御生山には、期待していなかった山名のプレートもぶら下がっていました。「三十六峰」という文字まであってうれしくなりました。

 御生山という難読の説明は、麓の御蔭神社に書かれていました。
 『当神社は、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ=下鴨神社のこと)御祭神の荒御魂(あらみたま=御生(みあれ)されたばかりの御神霊のこと)を祈祭する摂社である。』
 この御蔭神社の背後にあるご神体ともいうべき山が御生山でした。御蔭山とも呼び、山名プレートの1枚はそちらでした。

 赤山(せきざん)禅院の背後にあるのが赤山です。こちらのピークは、修学院離宮の境内にあり、宮内庁の「立入禁止」のフェンスの内側です。遠巻きにしました。

 赤山禅院は、御所から見て表鬼門の方角(北東)に当たるため、方除けの神として古来信仰を集めてきました。早くも真っ赤な紅葉に彩られていました。

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東山三十六峰 その4 瓜生山など4座から詩仙堂

 京都の東山三十六峰を巡るウオーキングの4回目です。夏の間はお休みしてました。リハビリ山行には手ごろな山でした。
 第9峰の北白川山から京都一周トレイルの東山コースに沿って北上。第7峰の茶山、第8峰の瓜生(うりゅう)山、第6峰の一乗寺山と低山ばかりのピークハントでした。山名を書いたプレートは見つかりましたが、残念ながら三十六峰の一つであることは記されていませんでした。
 狸谷山不動院を抜けて下山しました。途中の詩仙堂が懐かしくて、参拝しました。石川丈山が造営した書院から、なお暑い日を浴びる庭園を、独り静かに眺めました。 

 北白川山から眺める第11峰の如意ヶ岳です。京都五山の送り火の大文字がよく見えました。

 瓜生山には、戦国時代の山城、将軍山城(北白川城)の本丸があったそうです。

 狸谷山不動院には、清水の舞台を小さくしたような懸崖造りの本堂があります。

 詩仙堂といえば、有名な「鹿威し(ししおどし)」です。「コン!」と大きな音が響いていました。

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東山三十六峰 その3 南禅寺山など4峰を巡る

 梅雨入り前の最後の好天でした。東山三十六峰を巡る3回目は、蹴上から南禅寺の裏山とでもいうべき4峰を歩きました。それぞれに山名を表示したプレートがあり、4戦全勝の好成績でした。
 第16峰の若王子山(にゃくおうじやま、183㍍)のすぐ前には学校法人同志社の共同墓地があり、創始者の新島襄、妻の八重らが眠っています。

 若王子山から雑木の間を100㍍あまり行くと、第17峰南禅寺山(197㍍)でした。
 京都市左京区南禅寺福地町というのが所在地です。
 わたしは右京区の産院で生まれましたが、両親は当時、南禅寺の塔頭の一間を借りて住んでいました。わたしの最初の住民登録地は左京区南禅寺福地町だったはずです。赤ん坊のときに見上げていた町内の山というわけです。

 暑い1日でした。冷麺が食いたいなと歩きました。
 山を下りた天王町から丸太町を河原町まで歩いて、「冷たいまぜ麺、あります」という店と巡り合いました。
 冷たいビールとともに、ああうまかった!

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京都・今宮 「中華のサカイ本店」と新大宮商店街界隈

 京都でちょっと遅い昼飯となりました。ランチ営業が終わってなくて、駐車場があってー。そんな条件でヒットした「中華のサカイ本店」です。いや「冷麺のサカイ」かと思っていたほど、シーズンを通して冷麺で人気の店です。
 町の中華らしいメニューが並びます。わたしは「麻婆丼 スープ付」です。ちょっとピリ辛で、醤油味が強い麻婆豆腐がかかっています。
 奥さまは、看板の「冷めん(ハム入り)」です。太めですがくったりとした麺が、辛子のきいた甘酸っぱいタレをまとっています。ちょっといただきましたが、これだけを食べにくる値打ちがある麺です。

 ランチタイムは過ぎていたので、ガラガラでした。

 京都 中華のサカイ本店
 京都市北区紫野上門前町92
 075-492-5004

 昭和14年創業という店です。上賀茂尾神社に近い「みその橋 サカイ」は、こちらから独立したようです。
 新大宮通りに沿って連なる新大宮商店街は、昔はもっともっとにぎわっていました。歩道が拡張されてきれいになってますが、人影はまばらでした。ちょっと歩いてみました。

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東山三十六峰 その2 清水山から清閑寺山・・・とプレートはなし

 京の都の東山三十六峰を巡るウオーキングの2回目は、前回に続いて清水山から清閑寺山へと6峰をたどりました。ところが、プレート・ハンティングの結果は、無残にも6戦6敗に終わりました。
 ここだけは確実にあるだろうと思っていた30峰の清閑寺山です。よく目立つ石塔が目印です。ところがありませんでした。
 京都一周トレイルのルート上ですので、過去に何度も登っています。左は2015年7月、右は18年1月です。その後の台風か何かで、プレートが縛り付けられていた枝そのものがなくなったようです。

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京城勝覧を巡る 第十五日 江州東坂本にゆく道

 江戸時代の儒学者、貝原益軒が記した京ガイドツアー本「京城勝覧」に沿ったウォーキングは、びわ湖への道の2回が残っています。
 桜も咲いたことだしと、第十五日を歩きました。
 益軒は白川から山中を越えて坂本を目指します。帰途に小関越から山科に戻りますが、わたしは逆に山科からスタートしました。
 びわ湖疏水の桜は、まだ咲き始めでした。
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京城勝覧を巡る 第十七日 上賀茂神社から正伝寺へ

 江戸時代の儒学者、貝原益軒が記した京ガイドツアー本「京城勝覧」を巡っています。昨秋は第十四日の大原まで訪ねました。この後、びわ湖畔の坂本、瀬田方面と続きます。そちらは桜の咲くころにとっておいて最終第十七日の『たゞすより上賀茂千本までの道を記す』(『 』は京城勝覧の引用です)をマイカーで走りました。
 『上賀茂の西の山下にあり。正傳寺』とある正伝寺の「獅子の児渡し」と名付けられた枯山水庭園です。比叡山を借景にしています。前日の雪が薄っすらと残っていました。
 「デビッド・ボウイが涙した静寂」をそのままに体感してきました。

 『たゞす』とは、下鴨神社の糺の森(ただすのもり)のことです。下鴨で育った身としては、さすが下鴨神社はいまさらという気にもなって省略させてもらい、上賀茂神社がスタートです。
 父母が健在だったころは毎年元日、ここに一家そろって初詣にやって来ました。当時は通行を許されていた重要文化財の玉橋の上で記念撮影したことが思いだされました。

 松の内は、関西では小正月の1月15日までです。「ことしもよろしく~」とお参りしました。

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