ペーパー製の車体に、下塗り塗料のサーフェーサーを吹き付け、乾いたところをサンドペーパーで削ります。これの繰り返しで、屋根のカーブも自然になってきました。
カテゴリー: 京都市電の残影
「なつかしの電車」(3) 1号車をつくる~その1
小学校庭でこどもの声を聞く「726号車」 @亀岡・安詳小学校
亀岡市立安詳小学校の校庭に京都市電「726号車」は保存されています。
西国21番札所、穴太寺から歩いてきました。途中の国道9号にはバスが走っているだろうと思ってました。ところがどっこい。結局、優に1時間半は歩きました。
校庭の片隅に保存されています。側面などは、児童が絵を描いています。保存状態は、まず良好です。
児童が夏の間に栽培したらしい朝顔の鉢がズラリと並んでいます。向こうの運動場からは、少年野球の練習の声が響いてきます。
かつては、京都市内の小学校などにも市電車両は保存されていました。そのほとんどが解体されて、今はありません。お隣の亀岡市に市電車両が残っているとは・・・。
安詳小学校 地図
0771-22-0320
〒 621-0826 亀岡市篠町篠中北裏68
都路に残る路面電車「嵐電」に乗る
都路を今も走る路面電車です。弥勒菩薩で有名な太秦(うずまさ)広隆寺の前を通過します。
「嵐電(らんでん)」(正式には京福電気鉄道嵐山線)は、四条大宮-嵐山間の嵐山本線と、途中の帷子ノ辻から北野白梅町を結ぶ北野線の11キロを走っています。
西大路三条から西の山ノ内にかけての区間は、一般車両と同じ路面を走ります。
嵐電には、難読駅名が続きます。ちょっとクイズです。読めますか(ルビの部分は画像処理で消してます)。答えは下の「続きを読む」をクリックしてください。
都のど真ん中にいる「21号車」@河原町御池
河原町御池。京都市役所とは対角の東南角からちょっと東に歩くと、狭軌1型21号車がとまっています。御池通の歩道から、フェンス越しに見ることができます。
「京都カトリック信愛幼稚園」の園庭です。
トロリーポールが前後に向けて2本付いています。
明治村でも、梅小路公園でもポールは1本で、終点に着くと車掌がロープを引っ張って転回させてました。
何度も紹介しているバイブルにしているグラフ誌「N電京都市電北野線」をくっていると、ナゾが解けました。
京電として開業した当時は単線架空線式で、ポールは1本でした。その後、開業した京都市営の路面電車は、マイナス電流を地面に流すのは危険ということで複線架空線を採用しました。市電に吸収された京電の車両は、ポールが2本(どちらも後ろ向きで平行に並んでいる)に改造されました。時を経て、第2次大戦時の資材難から、再び単線化されたのです。そのとき、ポールを前後にのばすように改造して、終点での折り返し運転を楽にしたのです。
というわけで、京電時代のオリジナルに復元された明治村の2台や梅小路公園のは、1本ポールなのです。
京都カトリック信愛幼稚園 地図
075-231-4690
〒 604-8006 京都市中京区河原町通三条上る下丸屋町415
(撮影は9月23日)
「なつかしの電車」(2) 3号車をつくる
朝から雨が降ったりのヘンな天気の一日でした。どこにも出かけずに、工作三昧でした。
「なつかしの電車」(さんけい製)の3号車を製作しました。接着剤がが乾くのを待って、ゆっくりと作業しました。
精巧にレーザーカットされた3枚のペーパーを組み立てます。窓に張るプラ板も付いています。
側板の製作です。窓枠を重ね、旧都市電カラーの下板を張り付けます。
台車です。接着剤は、木工ボンドを、筆で塗ってます。
天井は丸いカーブを描いています。
キットには、パンダが付いてます。しかし、いっしょに入手した1号型からビューゲルを拝借してきました。
まあまあの仕上がりとなりました。
京都市電の「500型」の再現です。
住宅地の中にとまる「1849」@京都・樫原「でんしゃ公園」
「なつかしの電車」のモデルとなっている京都市電1800型が保存されている「でんしゃ公園」です。ちょっと回り道して、会いに行きました。
全体の塗装はかなりハゲハゲで、老朽化を感じさせます。でも「1849」のナンバーは鮮やかです。
「樫原児童公園」というのが、事前に調べた所在地でした。ネットの地図を見ると、物集女(もずめ)街道をはさんで東西に二つの「樫原児童公園」があります。どちらかだろうと行ってみました。でも、どちらにもありませんでした。
「このへんに京都市電が保存されません?」。東側の公園で聞きました?
「それだったら、あっち」
教えられたとおりに公園の北側の道を東へ樫原小学校に向かって行くと、いました。まるで、住宅街の中です。
「でんしゃ公園」は、ちょっと大きな家1区画ほどの広さです。京都市の管理する児童家公園なんでしょうか? ちょっと違うような気もします。
電車の窓にはカーテンが閉まっていて、内部の様子はわかりません。
京都市電の車両は、あちこちの児童公園に払い下げられました。でも、今も残っているのは、多くはありません。いつまでも大事に保存していただきたいです。
「京都市西京区樫原五反田」というのが所在地です。
「なつかしの電車」(1) さんけいを訪ねる
昭和の京都の町を、市電が走ります。懐かしい光景です。
JR嵯峨駅の前にとまっているのは、嵐電でしょうか?
この車両は、ペーパー製キットを組み立てたものです。「みにちゅあーとプチ なつかしの電車」のタイトルで、京都のメーカー「さんけい」が発売しています。さっそく、その会社へ行き、1号車と3号車(どれも980円)を買いました。
1号車は、京都市電の1800型をモデルにしているのは明らかです。
京都 石塀小路の石畳
京都・祇園の「石塀小路(いしべこじ)」を歩きました。
清水寺から産寧坂、二年坂と下り、豊臣秀吉の妻、寧々ゆかりの高台寺近くまできます。左手に、あまり目立たない路地があります。そこが、目指す石塀小路です。
小料理屋など、夜が商売の店ばかりです。昼間は人影もまばらです。
ジグザグの道を、石塀に沿って下っていきます。
最後は、民家の下を通り抜けます。
向こうから不思議そうにこっちを見ていたビデオ片手の外人さんに話しかけました。「高台寺への近道ですよ」と。わたしの英語、通じたかな?
通りに抜けると祇園下川原です。こんな風景にも出会います。といってもこれはホンモノの舞妓さんではありません。こんな衣装に変身して、町を歩く舞妓体験が流行っているのです。
ところで、、このページのカテゴリーが「京都市電の残影」となっているのに気づかれましたか。電車は登場しませんがね。
小路の御影石が、京都市電の軌道敷に敷かれていた石なのです。京都市電の廃止後、取り外した石が再利用されました。銀閣寺近くの哲学の道や、西京極競技場のマラソンゲート前などにも敷かれています。
北野線の遺構を発見!!
梅小路公園からの帰り道、傘をさして歩きました。七条西洞院まできて、「そうだ、ここを北野線が走っていたのだ」と立ち止まりました。
北野線が廃止になった昭和38年(1963)から45年もたっています。当時を伝えるものなどあるはずがないと思ってましたが…。
左側の3本目の電柱に、釘付けになりました。他のコンクリート製の電柱とは、この1本だけが明らかに違います。
近づいて見上げました。擬宝珠(ぎぼし)をかぶせたような、特徴的な格好をしています。
昔の市電の架線を支える電柱は、鉄製(?)でした。どれもてっぺんに個性がありました。この写真は、旧錦林車庫(左京区)の前に残る電柱です(2008/06/28撮影)。
鉄のパイプをつなぎあわせた電柱なので、中は空洞です。だから頭に「帽子」が必要なのでしょう。
「RM Library N電 京都市電北野線」(ネコ・パブリッシング)は、「京都市電の残影」を追ううえでのバイブルのような出版物です。「北野線のちんちん電車「N1」」では、大阪市立中央図書館で借りたものでしたが、その後、購入しました。
それを調べると、34、35ページに、こんな写真がありました(撮影・高橋弘氏)。七条西洞院からの光景です。
左側の信号機の下に写っている電柱を見てください。よく似てると思いませんか。
この写真は、七条から北を見ているのか、南を見ているのかは不明です。それにしても似ています。