ブルゴスの夜に大満足

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ブルゴスといえば、これでしょう。というか、これらしいです。モルシーリャといいます。豚の腸に血液や米なんかを詰め込んだソーセージです。

評判の店がホテルの目の前とわかり、開店を待ちかねて行ってきました。

赤ワインを飲みながら、待ちました。

うまいです。米のパリッとした食感もあって、ペロリと平らげました。

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次はアンチョビのピンチョスです。

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三軒目はこれ。白魚がこぼれてます。

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白ワインといただきました。

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ウナギじゃないですよね。でも格好が。

仕上げはこちら。

これであわせて10€ぼどてす。

my camino=13日目 人生に一度は「聖地」を訪ねたいと願っている 

サンジャン・ピエ・ド・ポーからブルゴスまでは286キロ。すでに全行程780キロの30%を軽く超えていました。それでも、気分としてはクオーター(4分の1)でした。ブルゴスでは1日、休養日とする計画にしていました。

 ブルゴスの大聖堂は、世界遺産に指定されています。

 何年か前に何回に分けての「区切り」と、一部はバスやJR、マイカーも使って四国88カ所をお遍路したことがあります。1番霊山寺から88番大窪寺までの全長は、フランス人の道の1.5倍の1200キロに及びます。それが4つの霊場から成っていました。阿波国は「発心の道場」、土佐国は「修行の道場」、伊予国は「菩提の道場」、讃岐国が「涅槃の道場」と呼ばれています。あまり信仰心はなくても、実際に巡ってみるとなんとなくその意味をするところを感じることはできました。
 宗教も歴史も違うカミーノのフランス人の道も、四国のお遍路と同じ4つの構成になっていることに気づいてびっくりしました。ブルゴスまでが発心の道場だったのです。
 ブルゴスを出ると、さえぎるものがない乾いた大地、メセタが待っています。暑い暑い夏の日に、高知市内の31番竹林寺あたりを汗をかきかき歩いたことを思い出しました。修行の道場が始まるのです。思わず気を引き締めてしまいました。
 次の大聖堂があるのはレオンです。そこからは菩提の道場、最後の100キロの手前にあるサリアからが涅槃の道場ということでしょう。サリアに到着するにはオ・セブレイロという標高1300メートルの峠を越えます。サンティアゴ巡礼路の最後の難所です。これも標高920メートルと88カ所の中で一番高いところにある66番雲辺寺を越えて讃岐路に入るのと、あまりにも似ています。
 人は、生きている間に一度は聖地を訪ねたいと願って生きてきたようです。それがサンティアゴ巡礼であり、四国お遍路だったようです。後白河法皇の熊野詣も、江戸時代の弥次さん、喜多さんの伊勢参りも同じです。
 現代に生きるわたしは、宗教観は薄れたとはいえ、伊勢神宮には小学校の修学旅行で参りました。熊野詣は中辺路と小辺路(高野山から熊野本宮までの山道)を歩き、京都から熊野街道を紀伊田辺の手前まで歩いています。四国お遍路も88カ所の朱印をいただきました。そして、なんとスペインの道を歩いているのです。

Paso a paso Dos 13日目=9/6 気分としてはクォーター

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 26kmのステージ。大聖堂があるブルゴスで2回目の休養日を予定していた。そこまでで歩いた距離は286km。気分的には4分の1という感じだ。
 アタプエルカの丘の上に立つ木の十字架で。

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 天候には恵まれた。この日も良い天気。

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 世界遺産のブルゴス大聖堂。巡礼路の大都会。

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サン・ファン・デ・オルテガの3 連発

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シャワーを浴びて、洗濯をして、お決まりのものです。本日も25キロほどでゴールです。

アルベルゲにバールが1軒だけというかわいい村です。

到着の1杯目はコーラでした。

きょうも25キロほど。オカ越えの難所でした。坂はたいしたことなかったですが、とにかく長いです。

アルベルゲは1時まで開きません。待ちきれずにもう1杯。アクエリアスです。日本語が通じました。というのはウソで、同じ発音です。

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追加画像です。

4杯目はRadler。ビールベースのレモンカクテルです。こちらの人がよく飲んでいて、気になってました。すっきり味で、いけます。

my camino=12日目 「リタイア3人組」だけじゃない、思わぬ出会いも 

 巡礼では多くの人と出会いました。それぞれがしゃべる言葉は様々です。といっても、わたしはあれこれの言葉が話せるはずもなく、スペイン語はおろか、英語すらカタコトとなると、あたりまえに日本語をしゃべる日本人は、それだけで話しかけたくなる存在でした。
 「リタイア3人組」と名づけたリタイア世代のおふたりとは、サンジャン・ピエ・デ・ポーから歩き始めた数日後にバラバラに知り合いました。中盤のレオンの街角では、何日かぶりにそれぞれとばったりと出くわしました。「カミーノ・マジック」という言葉があります。縁のある人とは、不思議と再会するものなのです。
 30数日間、ほぼ同じ時間に同じ道を歩いていましたが、3人そろって同じアルベルゲに泊まったのはレオンの次のビジャダンゴス・デル・パラモの1泊だけです。ほどほどの距離感がいいのです。サンティアゴ・デ・コンポステーラでは一緒に到着の祝杯を揚げ、大西洋に突き当たったフィニステーラの「0キロ」のモホンの前で記念撮影しました。
 びっくりするような出合いもありました。
 アルベルゲでシエスタ(昼寝)ののんびりとした時間を過ごしていると、LINEにつながっているスマートフォンが鳴りました。小、中学校時代から友だちのTくんからでした。同じ時期にパリに旅することは聞いてました。
 「オレ、やよいさんのパリ郊外のお城のような家に泊めてもらってるんだよ」
 続いてそのやよいさん。
 「わたしのこと覚えてる?」
 ちょっと焦りました。実はあまり記憶がなかったのです。わたしが学んだ京都市内の中学校は、ベビーブーマー世代とあって1学年で13クラスもありました。3年間、同じ中学校に通っても、同じ教室で授業を受けたことはあったのでしょうか。
 「サンジャック(サンティアゴ・デ・コンポステーラのフランス語読み)にも知り合いがいるから、困ったことがあったらいつでも連絡してきなさいよ」
 これはうれしい言葉でした。もちろん、この巡礼にあたっては旅行傷害保険にも加入していました。それでも長い独りの徒歩旅です。何が起こるかわかりません。最大の安心保険になりました。
 やよいさんは、大学を卒業してすぐに結婚。それ以来40数年、パリで暮らしているそうです。今ではすっかりパリのマダムです。
 帰国後、やはり一時帰国したやよいさんに「おいしいワインをいっぱい持って帰ってきたから、飲みにいらっしゃい」と誘われました。あれこれと説明をきいても右から左に筒抜けでしたが、その味わいだけは記憶に残るようなワインの数々に、大きなフォアグラと、パリの味を堪能しました。こんな出会いもあったのです。

Paso a paso Dos 12日目=9/5 オカを越える

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 この日のステージは、オカの山を越えてサン・ジャン・デ・オルテガまでの25kmほど。
 この日も良い天気だった。

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 炎天の下、オカを越えた。

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 サン・ジャン・デ・オルテガの修道院のアルベルゲでは、ニンニクスープのソパ・デ・アホがふるまわれることで知られる。期待したが、古いパンが入っているだけで、ニンニクの旨みがあまり感じられない、ちょっと肩透かしの味だった。

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M・シーンの足跡を発見

ベロラドの町を歩いていると、巡礼路上にまさに足跡が埋め込まれています。

誰のだろうとのぞき込んでみると、なんと俳優のマーティン・シーンでした。サンティアゴ巡礼の映画「The Way(星の旅人たち)」の主演です。このDVDを何度も見て、巡礼への思いをかきたてられたのでした。

大きな手と足です。

わたしも同じThe Wayを歩いています。

万国旗を眺めましたが、日の丸は見つかりませんでした。

Belorado あれちょうだい

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ベロラドの広場のカフェに座りました。何、頼もうか? きょうも25キロほど歩いてノドはカラカラです。

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隣の少年が食べていたのを見て、「あれとおなじの、ちょうだい」。それで通じました。予想通りエビのフライでした。衣はパンケーキみたいです。

それにしても、にぎやかです。爆音の下にいるよう。ハエも五月蠅く、早々に退散しました。