「メンコン」と検索すると、「メンズコンセプトカフェ」の略とヒットします。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を思い浮かべるなんて、もはや化石?
 といわれようと、ドイツ・ドレスデンで訪れた忘れられないゼンパーオーパーの夜でした。
「世界最大のジグソーパズル」という再建作業で復活したフラウエン教会では、オルガンの響きに圧倒されました。
クリスマスが近づくと、わが家ではドレスデンみやげの「ピラミッド」を飾り、思い出しています。
 「メンコン」と検索すると、「メンズコンセプトカフェ」の略とヒットします。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を思い浮かべるなんて、もはや化石?
 といわれようと、ドイツ・ドレスデンで訪れた忘れられないゼンパーオーパーの夜でした。
「世界最大のジグソーパズル」という再建作業で復活したフラウエン教会では、オルガンの響きに圧倒されました。
クリスマスが近づくと、わが家ではドレスデンみやげの「ピラミッド」を飾り、思い出しています。
ジムで汗を流したあとは、寄り道なしで帰宅。エアコンを効かせた部屋でMy memoryに浸っています。
 バッハの聖地、ドイツ・ライピツィヒの聖トーマス教会です。
 BCJ(バッハ・コレギウム・ジャパン)のマタイ受難曲が終わり、拍手に包まれました。中央の白髪は指揮の鈴木雅明です。
 バッハは聖トーマス教会の祭壇前に眠っています。
 「Bach Fest 2012」のオープニング・コンサートも聴きました。 
バッハは30年近くを、聖トーマス教会のカントール(教会音楽監督)として過ごしました。
マルクト広場のオープンステージや、ゲヴァントハウスなどあちこちの会場が、バッハであふれていました。
 ウィーンでのんびりとした2019年の旅です。オーストリア東部のアイゼンシュタットを訪れました。ポストバスに乗り約60キロ、片道1時間半ほど揺られました。
 町の中心にエスターハージ宮殿があります。ヨーゼフ・ハイドンはここで約30年間、エスターハージー侯爵のため作曲を続けました。
宮殿の大広間が改装されて「ハイドン・ザール(ホール)」になっていました。オケのリハーサル真っ最中で、得した気分で軽やかな調べに聴き入りました。
通りに面したカフェで昼飯を食べていると、リハーサルを終えたオケ団員が楽器を肩に帰っていきました。
 旅から持ち帰ったパンフや地図、チケットやレシートが詰まった玉手箱を開けました。思い出とともに出てきた2つのプログラムです。
 2004年に初めて訪れたウィーンで聴いたコンサートです。
 Klang Bogen Wienという夏の音楽祭の一夜です。
 コンツェルトハウスの大ホールで、ルドルフ・ブッフビンダーのピアノ、ウィーン室内オーケストラの演奏で、モーツァルトのピアノ協奏曲がKV537(第26番)、KV595(27番)、KV503(25番)と3曲続きました。
 バッハウ渓谷1日ツアーのツアコンさんに勧められたコンサートです。モーツァルトやヨハン・シュトラウスらの室内楽や二重奏にバレーもついてラデッキー行進曲で締めくくられる観光客向けの音楽ショーでした。
 会場のパルフィ宮殿にはバロック様式のホールがあり、当時6歳だったモーツァルトがコンサートを開いたこともありました。
 ウィーンで聴いた音楽の思い出は続きます。
 ハプスブルク家の王宮(ホーフブルク)にある礼拝堂です。日曜朝のミサには、ウィーン少年合唱団が清らかなハーモニーを響かせます。
 コンサートホールではないので、ほとんどの席からは少年たちの姿は見えません。ドームに響く生の声を聴きながら、壁のモニターを見ていました。
 アウグスティーナ教会は、ハプスブルク家の歴代皇帝が結婚式を挙げた教会です。シシーもここで皇妃エリザーべートとなりました。
 何回か訪れています。その度にパイプオルガンが鳴っていた印象です。
ペーター教会は中世初期に創立されたウィーンで最も古い教会です。黄金に輝くパイプオルガンの音色を、ミサ以外でも聞くことができます。
アウグスティーナ教会、ペーター教会、シュテファン大聖堂などのパイプオルガンの競演です。
 ウィーンの町の中心にそびえるのがシュテファン大聖堂です。教会ですが、ミサはもとよりコンサートも行われます。
 指揮者も目指しているピアニストの反田恭平さんが、モーツァルトのレクイエムを振りました。モーツァルトが亡くなっった同じ日、時間、結婚式も葬儀も行われたシュテファンで。これは聞きに行くしかありませんでした。
 あちこちでクリスマスマーケットが開かれている、雪が舞うウィーンでした。
ウィーン放送交響楽団でヴァイオリンを弾くちかちゃんが、トラ(エキストラ)で演奏していました。おかげでリハーサルにも立ち会うことができました。
4回目のこの日はミサが行われていました。
2回目のウィーンで、緊張しながらモーツァルトの「戴冠ミサ」を聴きました。
 ウィーンの中心、シュテファン大聖堂から南に歩くとケルントナー通りがリンクと交わるところ。堂々としたウィーン国立歌劇場です。モーツァルトのいでたちの兄ちゃんが「チケットあるよ」と声をかけてきます。
 オペラの殿堂です。小澤征爾も音楽監督を務めました。
 ウィーンに行くたびに前を歩いています。でも入ったのは1回きりです。天井桟敷から観ました。
最初に訪れたとき(2004)は、楽屋口からのぞき込みました。
トラムの乗り場から何回も見上げました。イルミネーションもきれいです。
見ているだけで楽しいショップです。
心ひかれたオペラ座の立体紙模型です。みやげにはカレンダーを購入、わたしの部屋に1年間、掛けていました。
フォルクスオパーもにも行きました。
 「音楽の都」と称されるウィーンです。55歳のリフレッシュ休暇で初めて訪れました。リタイア後にはゆっくりと滞在しました。雪のクリスマス・マーケットでプンシュを飲み、カフェ巡りもしました。
 ウィーン楽友協会のグローサー・ムジークフェラインザールは「黄金のホール」と呼ばれます。ニュー・イヤー・コンサートのテレビ中継でなじみの憧れのホールに身を置きました。
5回目のウィーンです。雪で凍てついた夜でした。でもここだけはアルゲリッチらの熱気にあふれていました。
ベートーベンの「第9」が爆発しました。広くない舞台に合唱まですし詰めでした。
夜空に輝く聖地、ムジークフェラインです。
奥さまの合唱団のドイツ遠征でもウィーン観光をしました。ここは外せないと訪れました。
ガイドツアーでは舞台のかぶりつきで、カラヤンやベームの足跡かもしれない傷だらけの床まで見学しました。
最初の旅では、ムジークフェラインの存在を確認しただけでした。
 ウィーン・フィルハーモニーは、ベルリン・フィル、アムステルダム・コンセルトヘボウとともに世界の3大オーケストラです。初めて聴いたのは、オーストリアのザルツブルクを訪れた2004年のことです。
 長い間の憧れだったザルツブルク音楽祭で祝祭劇場大ホールに登場しました。ジョルジュ・プルートル指揮するベルリオーズの幻想交響曲は、弦が限りなく美しかったです。
まだ若かったです。55歳に到達して、新聞記者生活を始めて以来、初めて1週間のリフレッシュ休暇を取りました。
ザルツブルクの思い出は、2度目の旅で大指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンの墓を参ったことです。アニフという村の小さな教会の墓地に、予想外につつましやかな墓がありました。
 オランダ・アムステルダムのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団は、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とともに世界の三大交響楽団といわれます。その本拠地がコンセルトヘボウです。ボストンのシンフォニーホール、ウィーンの楽友協会と同様に、戦前からの姿を伝えるシューボックス型の音響の優れたコンサートホールです。
 ベルリンでマリス・ヤンソンスの指揮の虜になりました。常任をしていたコンセルトヘボウでも聴きたくなって、2014年に訪れました。期待通りの素晴らしいコンサートでした。
小ホールで開かれる無料のランチコンサートも楽しみました。
2019年にアムステルダムに立ち寄ったときにも、トラムで思い出のコンセルトヘボウの前まで行ってみました。
奥さまは、合唱の遠征旅行の折にもう一度、コンセルトヘボウに行ってます。プロムシュテットの指揮するドヴォルザークのチェロ協奏曲などを聴いたそうです。