聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂を初めて見下ろすことができるモンテ・ド・ゴゾ(歓喜の丘)に向けて歩き始めた。サンティアゴまででももう20kmを切っていた。ゆっくりと歩いた。
「SANTIAGO」の文字が刻まれた石碑。もうすぐだ。
モンテ・ド・ゴソに着いた。5kmほど先には大聖堂の3本の尖塔が見えた。遂にここまで歩いてきた。感動の瞬間だった。
長かった巡礼も、聖地サンティア・デ・コンポステーラがすぐそこに迫ってきた。ペドロウソまでの22kmほどを、楽しみながら歩いた。
「残りわずかな巡礼路」
イヌもご主人とともに巡礼。喉が渇いた。
昼飯はハンバーガーにビール。ちょっと都会っぽくなってきた。
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その日のわたしの旅日記には、「スペインは好きか?」と書きなぐっていました。
サリアの夜、そして前夜のリバディッソと、どうも悪いことが重なっていました。おまけにこの朝は道を間違えて、真っ暗闇の中で犬に吠えられました。どこから飛び出してくるのかと、ちょっと怖い目にあいました。
スマホで見つけたリカバリー・ルートを歩きました。再び国道に出て安心したためか、オ・セブレイロの峠道から悩まされてきた左足の痛みは、不思議なことにほとんどなくなっていました。
体が元気を取り戻すと、気分もよくなってきました。そこからは「もったいない! もったいない!」と、残り少なくなった道をゆっくりと進みました。
栗が落ちていました。焼き栗にしたらおいしいだろうな。リンゴも落ちていました。かじりついて大丈夫だろうか。あたりはすっかりと秋の気配になっていました。
昼過ぎにはペドロウソのペンシオンに着きました。フロントの兄ちゃんにスマホを充電するため、前夜のアルベルゲで忘れて失くしてしまった電源プラグを貸してもらいました。「同じのが欲しいんだけど、売ってる店はないですか?」。するとロッカーの中をごそごそして、新しいの(ひょっとしたら別の人の忘れもの)を取り出してくれました。「いくら?」と聞くと、ウインクが返ってきました。なんとタダでくれたのです。スペイン人にもいいヤツがいたのです。いや、おおかたのスペイン人はいいヤツでした。
重い荷を背負ってきつい山を登っていると、必ずといっていいくらい悪態をつきたくなります。もう、こんな山、登るか!!
それが頂上に達すると、そんな苦労は忘れ去っています。山を下りると、きまって「よかった、よかった。今度はいつ登ろう」となってしまうのです。
NHKで「旅するスペイン語」という俳優の平岳大さん出演している語学番組が放送されていました。こんなのを見ていると、「次の旅は、美食のサン・セバスティアンだ」と、独り興奮するのでした。
スペイン、大好きです!
8月25日から歩き始めた巡礼も終盤。季節も移り、秋めいてきた。
この日は、プルポの名店があるメリデを通って、リバディソ・デ・バイショまで22kmほどのステージ。
プルポに満足しての記念撮影。ひろみさん、コリアン・カップルと。
夕飯は単品でパスタを頼んだ。「赤」も忘れずに。
続きを読む Paso a paso Dos 34日目=9/27 巡礼も終盤 秋の気配
待望のプルポ・ア・フェイラです。タコです。オクトパスは、こちらではデビル・フィッシュのはずですが、ここガリシア州では大人気です。
ぶつ切りにした茹でタコに岩塩、パプリカがかかっているだけです。
あす、通過するメリデという町が特に有名です。名店もあります。でも行程と合いません。
一足お先にパラス・デ.・レイでいただきました。ワインとタコってサイコーです。たこ焼きとビールも悪くはないですが。
MENU(巡礼定食)のプリメロは野菜スープを選びました。温かいのがうれしいです。
デザートはヨーグルト。砂糖をたっぷりかけました。カフェ・コン・レチェ(ミルク入りコーヒー)に砂糖を入れる習慣がついてしまった影響です。
これで9.5€です。もちろんワインのハーフ・ボトルがついてます。
3年前にも、ここでプルポを食べました。お得意様になりたいです。
悪いことは続くものです。朝、6時になってもだれも起きてきませでした。まだ暗いアルベルゲを、独りで出発しましたが、ウォーキング・ポールを忘れていました。自動ロックの玄関からいったん出てしまうと、後戻りはできませんでした。実は前回の巡礼でも、同じことをやっています。やがて起きてきた英国人のおばちゃんに合図して開けてもらいました。後で気づきましたが、電源の変換プラグ(スペインはC型)も忘れていました。注意力が散漫になっていたようです。
巡礼路は霧雨に煙っていました。このカミーノで初めてのお湿りでした。それも気分を暗くしました。
メリデで待望のプルポを食べ、白ワインのコップ酒で気を取り直して歩きました。
ところが、リバディッソの私営アルベルゲで再び突き落とされました。管理人のホスピタレイノ(男性はホスピタレイロ)が、とにかくにぎやかでした。大きな声でずっと話していました。
そういえば前回の巡礼の帰り道、サンティアゴ・デ・コンポステーラから乗ったrenfe(スペイン国鉄)で、通路の向こうに座った男性が、マドリードに着くまで途切れることなく隣の女性に話しかけていました。何を話しているかはわかりませんでしたが、何をそんなに話すことがあったのでしょうか。
ホスピタレイノのあまりのうるささに、静かな午後のシエスタ(昼寝)もままなりません。裏庭の木陰に逃げ出して日記を書いたりして過ごしました。
夜になっても相変わらずのボリュームでした。1階に泊まっている団体客とおぼしき一団とのロビーでのにぎやかな話し声が、吹き抜けの2階寝室まで響き渡りました。たまりかねて「シー」と言いに行った同宿者もいました。でも効果はゼロ。「お・も・て・な・し」という概念は存在しないのかと疑いました。
よほど興奮していたのかもしれません。その夜は、悪い夢を見ました。悪魔の一撃をかわそうとした瞬間、ベッドから転げ落ちました。下段でよかったです。こんな体験、小学生の時に疑似チフスの疑いで隔離入院した病院のベッドか落ちたとき以来でした。
サリアで出会った地方国立大の学長夫人の優しいことばが蘇ってきました。「涅槃の道を楽しんできてくださいね」
ああ、まだまだ修行が足りませんでした。
リコンデの村が楽しみでした。前回の巡礼では、ここの休憩所の前に立てかけられていた黒板に日の丸とJAPANと書き込みました。なんだか誇らしかったのです。ルクセンブルク、ドイツ・・・。いろんな国旗が並んでいました。
再びやってこれた懐かしい村でした。「あれ、黒板、なくなったのと?」とおばちゃんに聞くと、「あるよ」と部屋の中に連れて行ってくれました。そこで2度目の日の丸を描きました。
満足してセルフサービスのコーヒーをいただきました。これがドナティーボでした。かたわらに箱が置かれていました。ここにしかるべき額のコインを「寄付」するのです。コーヒーという商品への対価ではなかったのです。
カミーノのあちこちに、ドナティーボの休憩所はありました。ジュースを飲み、スイカをかじり、オレンジをいただきました。スーパーメルカド(スーパーマーケット)に行っても、スイカ一切れは買えません。コンビニの存在しないスペインでは、ありがたい存在でした。わたしはお世話になることはありませんでしたが、ドナティーボで1夜のベッドを提供してくれるアルベルゲも存在しました。
それは営利を目的とはしていませんでした。ドナティーボの額も決まっていません。カネのない巡礼者は、そこから拝借することさえ許されているそうでした。
四国のお遍路には「お接待」という風習がありました。遍路道を歩き始めて間もないころでした。すれ違ったおばちゃんに、「何もないから、これで冷たいジュースでも買って飲んでください」と百円玉2枚を渡され、合掌までされたことがありました。どう対応すればいいのかわからず、どぎまぎしたことを覚えています。タコ焼きをごちそうになったり、食堂でうどんとともに食べたおにぎりが無料になったこともありました。自分は歩けなくても、お遍路さんをもてなすことで、自らもお大師さまとともに巡礼する功徳にあやかりたいという願いがこもっているのだそうです。
ドナティーボもお接待も、巡礼者に対する心持ちは同じことだったのです。