「週イチ20キロ」の12日は、堺の大小路から河内長野の東高野街道との合流点まで続く西高野街道を歩きました。
高野山を目指すこの参詣道には、女人堂までの一里(約3.9キロ)ごとに里程石が残っているそうです。
最初の「十三里石」は、南海・堺東駅から東に進んだ地蔵堂の脇にあります。
「是より高野山女人堂江十三里」と刻まれています。高野山女人堂への13本の里程石は安政4年(1857年)に建立されました。
すぐ先は、竹内街道との分岐です。
十二里石は、白鷺公園を越えたあたりの地蔵堂にあります。地名の堺市東区関茶屋は、そこに街道の茶屋があったということなのでしょうか。
十一里石は、狭山池近くに石柱だけが残っています。
十里石は、南海・滝谷駅近くにあります。ここも民家の塀際に石柱だけが立ってます。
西高野街道にある最後の九里石は、終点の河内長野近くにあります。地蔵堂には、大峰山の「三十三度」の碑なども並んでいます。