京都・裏寺町 居酒屋 たつみのハイリキ

 京都の昼飯です。飲んでいても、立っていても昼に腹を満たせば昼飯です。
 裏寺町の立ち飲み屋、「たつみ」の暖簾をくぐりました。「ハイリキ」です。チューハイと頼んで、「なに味?」と聞き返されました。レモンと答えて出てきたのがコレでした。
 ハイリキは、アサヒビールが1983年7月に発売した日本初のチューハイブランドだそです。初めていただきました。飲みやすい飲料!でした。
 湯豆腐は、カウンターの上のアルコールバーナーで温めました。

 熱いものは熱くしてという、あたり前で食べると、そりゃおいしいです。

 とりあえずビールは、サッポロの赤星でした。

 カキフライもいただきました。

 最初は何もつけず、次はマヨネーズ、そしてソースと味変を楽しみました。

 ゴボウの天ぷらは山盛りです。

 目の前には、メニューの黄色い短冊がいっぱいです。

 向こうのハンバーグの店は、まだ行列でした。

 居酒屋 たつみ
 075-256-4821
 京都市中京区裏寺町通四条上ル中之町572

京都を歩く 上賀茂神社から下鴨神社に参拝

 食べて飲んでいるうちに松の内も過ぎてしまいました。これはいかんと、京都を歩きました。
 スタートは上賀茂神社です。きょう8日は、もう成人の日でした。境内には、後ろ姿はすべてよしの振り袖新成人が集っていました。
 初詣の人たちもまだまだ多くて、にぎわっていました。

 神馬の神山号は出社していまいた。好物のニンジンをもらって、ご機嫌のようでした、

 立砂を模した竹に、おみくじが花を咲かせています。

 細殿の前に円すい形に盛られた白い砂山があります。

 橘手水には、タチバナの実がいっぱいに浮かべられていました。でもこの手水には、初めて気づきました。

 朱が鮮やかな楼門です。その前の玉橋に整列して記念撮影するのが、わたしの両親が健在だったころの家族の年明けの慣例でした。
 両親と兄家族3人、わたしたち家族4人、プラス犬一匹が最大でした。
 この正月、わが家には娘家族4人、息子家族3人の9人が集まりました。ちょうど一世代が回りました。

 中門には宝船がぶら下げられています。この下を潜ると良い年になるといわれています。

 この朝は、雪が降ったそうです。北向きの屋根には、白い雪が残っていました。

 成人の日の記念撮影が行われていました。どこかの学校の同窓会1クラスでしょうか。

 社家町を歩きます。

 わたしが育った下鴨北園町の近くにある萩公園を通り抜けました。この塔は、3角ベース(少年野球)を楽しんだ児童公園の中央に、当時から同じ姿で立っていました。

 何だろうと改めて見ると、「JOOK」と書かれていました。NHK京都放送局のコールサインです。
 ということは、ここからラジオが流れ、住民がラジオ体操とかをしていたのでしょうか。

 ここには、わたしが小学生だった当時にすでに老朽化して使われなくなったコンクリートのプールがありました。その周りをローラースケートで走り回ったものです。

 当時の通学路を歩き、京都市立葵小学校までやって来ました。
 当時の木造校舎は鉄筋になってますが、それも老朽化してます。

 中学校へ向かう道です。
 2年前の夏の「京の三十三食」で廃墟探検と書いた音色食堂です。
 シャッターが閉まり、手書きの学習塾入塾案内が張られているだけでした。食堂はまだ健在なのでしょうか。

 下鴨神社までやって来ました。

 本殿の前にある言社(ことしゃ)は、干支の守り神です。わたしはうしにお参りしました。

 水みくじは、境内を流れる御手洗川に浸すと文字が現れます。

 次のタスクは、百万遍近くにある金平糖の老舗、緑壽庵清水に寄ることでした。

 いろんな味の金平糖から3種を選んで、土産用にパッケージしてもらいました。
 昨年のポルトガル~サンティアゴ巡礼で、最終日のリスボンでごちそうになった神父さまに届けようと思います。
 金平糖は、鉄砲などとともにポルトガルから渡来しました。

 古い製法を継承しています。

 緑壽庵清水
 075-771-0755
 京都市左京区吉田泉殿町38-2

 この後、東山通を南下。昼飯を食べよう思っていた三条の中華の店は、ものすごい行列。次のからしそばの店は、前に並んでいた若者が「僕で最後といわれてます」。
 四条大橋から鴨川を眺めました。YAMAPを見るとまだ10キロちょっとでしたが、ゴールとしました。