熊野九十九王子を往く その11 切目~紀伊田辺

 わたしの熊野詣の旅は、「熊野九十九王子を往く」のタイトルで綴ってきたました。「その1」は、なんと20年前の大阪・八軒屋(天満橋)近くにある窪津王子から始まっています。10年のブランクを経て天王寺から再スタートしました。それからでも10年がたっています。
 中辺路の現代の出発地である滝尻王子まであと50キロを切ってました。そこから先の熊野本宮大社までは、ひと足先に2度、歩いています。
 25日から2泊して、最後の空白を埋めるために歩きました。

 昨秋、足が痛くなって歩行を中途で切り上げた切目(和歌山・印南町)から再スタートしました。
 最初の中山王子は「足ノ宮」でした。道中の安全を祈願しました。

 これまでの山中が多かった紀伊路からは一変、明るい太平洋沿いの道となりました。

 大河ドラマ「光る君へ」にも登場する花山法皇の歌が刻まれていました。法皇もここを旅していました。

 【2024/05/25 05:26】
 とんでもなく早い時間に島本を出発しました。

 大阪、天王寺、日根野、和歌山、御坊で乗り継いで4時間もかかって切目までやってきました。

 予想外にご老人(わたしも)8人ほどのグループと同時スタートでした。あちらは南部まで歩くそうでした。会ったのは、この時だけでした。

 すぐに上り道が始まりました。

 振り返ると海です。真っ青な空です。最高の日和となりました。

 今回の熊野詣で最初の王子の中山王子跡です。

 

 スタンプが置かれています。

 スペイン・サンティアゴ巡礼のクレデンシャルに(巡礼手帳)に教会や宿泊したホテルなどのスタンプをもらうのと同じです。

 ムラサキカタバミが道のあちこちに咲いていました。

 木陰の道はありがたかったです。でも、あまり長くは続きませんでした。

 徳本上人は、江戸時代にただひたすら念仏を唱えて全国行脚した念仏行者です。上人が揮ごうした「南無阿弥陀仏」が刻まれていました。

 ここで目の前がパッと明るくなり、広い太平洋が広がりました。遠くの山並の先端は潮岬でしょか。

 「有馬皇子結松記念碑」が立っていました。紀伊路には悲劇の皇子の伝承地がいくつか残っています。

 岩代王子は海を向いています。

 ビーチでは、サーフィンの若者が休憩していました。

 JR岩代を横目にします。

 テッポウユリが咲いています。

 すれ違ったランニング中の野球部員が、「こんにちわ~」と帽子を脱いであいさつしてくれました。

 千里ヶ浜に降ります。枕草子にも登場する景勝地です。

 砂の上を歩くのは、巡礼路ではここだけです。

 ここも海を向いた王子です。

 しばらく歩くとJRの線路と並行しました。

 梅林の中を進みます。収穫はほぼ終わってますが、落ちた梅を集める青いシートがまだ敷かれています。

 南部川の鉄橋を列車が渡ります。
 列車が近づく音がすると、カメラを構えてしまう鉄ちゃんです。

 南部(みなべ)町までやってきて三鍋(みなべ)王子です。

 そろそろお腹も空いてきました。食堂はないかとJR南部まで行ってみましたが、開いている店はありませんでした。

 コンビニがあったので、店内のイート・インのスペースを借りて冷やし中華をいただきました。

 冷たい麺がおいしかったです。ノンアル・ビールで生き返りました。

 まるで南国の風情です。

 鹿島神社は、南部湾に浮かぶ鹿島に鎮座する本社の遥拝所だったところだそうです。

 向こうが神鎮まる島、鹿島です。

 遮るものがない灼熱の道です。海風が吹くのが、まだしもの幸いでした。

 芳養(はや)王子までやってきました。

 境内の日陰のベンチに座り込んで、冷たい缶ジュースでひと息いれました。

 芳養の一里塚を通り過ぎました。

 「潮垢離(しおごり)浜跡碑」です。ここはかつて、熊野詣の人々が海水を浴びてお清めをしたところです。

 紀伊路最後の王子、出立王子です。

 高山寺の門前が、紀伊路と中辺路の分岐点のようです。本日はここまでとして、JR紀伊田辺駅に向かいました。

 【15:43】
 紀伊田辺駅前で座りこみました。目をあげると、予約している駅前のリーズナブルなホテルでした。

 向こうには紀伊田辺が生誕の地とされる武蔵坊弁慶が仁王立ちしていました。

 当初の予定では、初日は南部か芳養辺りまで歩き、3日間で滝尻王子にゴールするはずでした。ところが、天気予報では3日目が雨でした。調子がよかったので2日でゴールしようと、紀伊田辺までがんばりました。