京街道を上る 野洲から中山道~東海道を石山まで

 朝鮮人街道を鳥居本から野洲まで歩いたあとは、さらに中山道を京に向かいました。東海道の石山までの道のりは、中山道をお江戸日本橋から歩いてきた友達と二人連れでした。
 天気は悪くはないですが、まだまだ肌寒い風が吹き、ザックの底から手袋を取り出しました。

 【11:47】
 草津宿の追分道標です。ここで東海道と中山道が分岐します。

 【9:11】
 出発は朝鮮人街道と中山道が合流する野洲です。
 ここまでは、近江八幡から朝鮮人街道を歩きました。

 【9:33】
 野洲川を渡ります。向こうの比良連山は真っ白です。
 先日、菜の花を見に来たときよりも白いです。

 【9:36】
 振り返ると三上山です。近江富士と呼ばれます。

 【9:54】
 守山宿に入りました。

 【9:59】
 本陣跡の古井戸が残ってます。

 【10:01】
 音声ガイドが接地されています。ハンドルを20回、グルグルと回して発電すると話し始めます。

 【10:04】
 趣のある街道筋です。

 【10:06】
 高札場に立つ道標です。

 【10:11】
 東門院の境内には大きなカエルが、眼病治癒に霊験あらたかとかで、わたしも賽銭を載せて拝みました。 

 【10:14】
 宿場の保存に熱心な商店主が、あれこれと説明してくれまた。
 壁には安藤広重が描いた「木曾街道六十九次」のうちの草津宿のレプリカです。悟りを開く前の達磨大師が蕎麦を食ってます。

 【10:18】
 「守山銀座西」の交差点表示を見て、菜の花を見に行った帰りに車で通過した交差点であることに気づきました。

 【10:29】
 立派な一里塚が残ってます。

 【10:36】
 「閻魔法王小野篁御作」の石碑が建つ寺です。
 小野篁といえば、夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという人物です。この井戸は、京都東山の六道珍皇寺(死の六道)と嵯峨の福生寺(生の六道)にあったそうです。

 【10:50】
 大宝神社という、ずいぶんと立派な神社の前を通り過ぎます。松尾芭蕉の句碑もありました。

 【10:51】
 復元された道路元標が立ってます。それはいいのでうが、地名の「綣」が読めません。栗東市に入って苛、ずっとこの町名です。
 「いとまき」だろうかと推理をめぐらしましたが・・・。

 【10:53】
 正解は「へそ」でした。「臍」ではないです。

 【11:12】
 草津宿野手前でJRをくぐります。通過するのは草津線の電車です。

 【11:41】
 草津宿の手前です。大路井の道標も分岐点でした。

 【11:44】
 草津市の中心街のアーケードに続いてトンネルになってます。この上を天井川の草津川が流れてます。といっても、この後、堤防に登ると完全に干上がってました。

 【11:49】
 草津川の堤防から見たこれから歩く方向です。
 中山道は、この真下をくぐってそこが終点です。東海道は左から来て、左折して西に京まで続きます。

 【11:56】
 草津宿の本陣です。東海道の宿場とあって、さすがに立派です。

 【12:57】
 立木観音です。
 ここで時計が1時間ほど進んでいるのは、「陣そば五十二番」で昼飯を食ってたからです。

 【13:17】
 案内板は「東海道」に変わりました。

 【13:33】

 【13:40】
 大津市に入ります。

 【14:02】
 大津市一里山というのが現在の地名です。ここにあった一里塚がゆわれです。

 【14:37】
 瀬田唐橋に着きました。

 【14:42】
 ここはびわ湖を歩いて一周したときのスタート・ゴール地点です。もう8年も前のことです。
 ここから瀬田川-宇治川-淀川とわが家のある水無瀬まで歩いた(実際には逆向き)こともあります。自転車で琵琶湖一周をしたときも通りました。

 【14:50】
 唐橋の上から比良連山を眺めます。

 【14:51】
 「日本の道100選」って、そんなのがあるようです。

 【15:8】
 JR石山駅に到着しました。
 駅前はずいぶんきれいになって、松尾芭蕉に像が立ってました。

 駅前をうろうろしましたが、居酒屋の開店時間には早すぎました。JRで京都までいき、途中下車してご苦労さんの一杯を友と楽しみました。

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