【6/9】
ロマンティック街道やメルヘン街道は、ドイツでも人気の観光ルートです。ゲーテ街道は、ちょっとイマイチのようですが、文豪・ゲーテが生まれたフランクフルトから終焉の地・ワイマール、さらに学生時代を送ったライプツィヒを結ぶ400キロのルートです。
10数年前に、このルートを取材で訪れたことがありました。
ワイマールは、一番印象深かった町です。「古典主義の都ワイマール」として、世界文化遺産に登録されています。
City Castle/市の城も、登録文化財です。
もう一度訪れたいと、ライプツィヒからICE(特急)でやってきました。でも駅を出ると、雨。旧市街まで15分ほどということで、歩き始めましたが、やーめた。引き返してバスを待ちました。
ワイマールといえばこの人です。
ゲーテ(左)とシラーです。ザクセン=ヴァイマル公国の時代に、ゲーテは宰相として仕えました。
2人の像は国民劇場の前に立ってます。
ワイマールは、第1次世界大戦後の1919年、憲法制定会議が行われた地でもあります。この国民劇場で制定されたのがワイマール憲法です。
雨があがって、気持ちの良い木陰の道です。
マルクト広場に面した市庁舎です。広場には市がたっていました。
前の旅では、ここでニンニクを麦わらにつけた飾り物をみやげにしました。
結婚届を市役所に提出するためにやってきたカップルと出会いました。2人は、きれいにドレスアップしてますが、まわりの親族らは平服です。
ゲーテ・ハウスはゲーテが長らく暮らし、亡くなった家です。そのまま残っています。
入ろうとすると、時間制限があるようで、「次のガイドツアーは15:30からよ!」と。よく理解できないでいると、わざわざ紙に「15:30~」と書いてくれました。とてもそこまで待ってはいれないので、入場はあきらめました。
ゲーテ・ハウスの南側です。ちょうど大きな木の下あたりに、ゲーテが「もっと光を」といって亡くなった部屋があったはずです。
観光馬車が走ります。
わたしにとって、このルートはバッハ街道でもあります。
ワイマールは、バッハが宮廷楽長として過ごした町です。
もう少し西に行くと、バッハが生まれたEisenach/アイゼナッハがあります。ここももう一度訪れたい町でした。でも、ゆっくりと旅したかったので、あきらめました。
「ワイマール ゲーテ街道、わたしにはバッハ街道」への1件のフィードバック
コメントは停止中です。