京都・木屋町の四条を上がったところにあった(過去形です)音楽喫茶の「みゅーず」です。5月の連休明けで店じまいすることは、知ってました。でも、もう一度、訪れる機会はありませんでした。
もう、ここでコーヒーをすすり、クラシックに耳を傾けることはできません。学生時代の思い出が、またひとつ消えました。
窓の下を高瀬川が流れています。
あなたと歩きたい 投稿者:たや 投稿日:10月 2日(水)23時46分40秒
毎日新聞の連載企画「水彩スケッチ あなたと歩きたい」。今日のテーマは京都・木屋町四条の音楽喫茶「みゅうず」でした。学生時代に、よくひとりで行ったところです。その店が、昔と同じ風情で登場していて、びっくりしました。
「高瀬川沿いは、青年のころよく訪れた場所です。大学の帰り道・・・・この場所に来ると、若い日々を想い出し、ノスタルジックな気分になります」
この絵と文を書いている寺田みのるさんは、某大手家電メーカーで宣伝担当の部長をしていて脱サラされた、わたしより数年年上のひとで、よく知ってます。琵琶湖北岸に山小屋を持っていて、こうゆう生き方もあるのかと、かねてからうらやましく思ってます。
これは2002年10月、仲間のHP上の掲示板へのわたしの書き込みです。
みゅーずの件知りました。そのほかにも、加茂川べりの「栞」、荒神口の「シアンクレール」、百万遍の「ランブル」、銀閣寺の「ゲーテ」などもそうでしょうね。すべて、行くことはなくなっても見れば懐かしい場所でした。
イメルダさん
荒神口の「シアンクレール」は、今も通るたびに「ここに…」と思い出してしまいます。わずか車数台分の駐車場になって、そこだけずーっと空き地になってます。「こんなに狭いところにあったのか」と。かつての通学・通勤路にありました。
学生時代に読んだ倉橋由美子の小説(題名は忘れました)に登場しましたが、彼女も故人ですね。
ごく最近、1ヶ月ほど前に行きました。手配師のようなおじさまが次々に人を呼び出して指示を与えていました。もう、ただの喫茶店でしかありませんでした。閉店前とは知らなかったですね。
音楽喫茶といえば、私は大阪ですが、LPレコードが輸入盤で入って来始めたころにあちこちに出来ましたね。「田園」とか「日響」や他は名前忘れましたが。演奏曲はリクエストにも応じてくれて、SPでは考えられないLP音質の素晴らしさとはしりのHiFiの音に浸ったものです。その中に、私が愛用したナショナルの名機8PW1を10個壁に取り付けて鳴らした店がありました。ダブルコーンの「げんこつ」の愛称で呼ばれたフルレンジスピーカーでしたが、壁に取り付けたのは、壁をまさに無限バフルに見立てたんですね。結構重低音の自然な響きを出していました。確か昭和29年に発売されて自分でボックスを設計して取り付けて、自作のアンプで悦に入ったものでした。マニア雑誌によれば、東京には、8PW1の姉妹の6PW1を16個壁に着けた店があったとか。当時はステレオはまだありませんでした。でも、そうしたマニア向けの音楽喫茶も長くは続きませんでしたね。
イリさん
「げんこつ」ですか、覚えています。「日響」は難波ですよね。
わたしが好きだったのは、ダイヤトーンのP610でした。16センチのフルレンジユニットです。当時、500-600円だったかと記憶します。でも自然ないい音でした。
大学時代にわたしにクラシック音楽の楽しみを教えてくれた友がいました。大手商社に就職した後、ステレオの購入を相談されました。迷うことなく、P610を大きな箱に入れることと、LUXから売り出されていた真空管のプリメインアンプを組み立てることを薦めました。彼は、その通りにして、ロンドン勤務のときもそのスピーカーをもっていきました。そして、最期までP610を愛用してました。
ウイーン・フィルのニューイヤー・コンサートにこって、「これは何年のダレが指揮をした演奏」と言い当てるほどでした。もちろん、ウイーンのムジークフェライン(楽友協会)でも生で演奏も聴いてました。
わたしがムジークフェラインで一度はウイーンフィルを聴きたいと思うのは、彼の影響のせいでしょう。彼は、3年前に、がんで亡くなりました。
そうそう、三菱のダイヤトーンが一方の雄でしたね。音キチ仲間にダイヤトーン派がいて、聴き合ったものでしたが、小口径にも関わらず、自然なそれでいて艶のある魅力のスピーカーでした。モニターやBGM用によく使われていました。
「みゅーず」の店仕舞い そして
迂闊だった。 四条木屋町上ル、高瀬川のほとりにあったクラシックのカフェ「