< (1) 窪津王子-坂口王子ー郡戸王子-上野王子 (04/07/03)
晴れ
地下鉄天満橋-「窪津王子」-八軒家船着場跡-御祓筋-南大江公園-「坂口王子」-榎木大明神-安堂寺町通り-上汐町筋-高津神社-「郡戸王子」-生国魂神社-上之宮-「上野王子」-四天王寺-熊野権現遥拝石-超願寺(竹本義太夫の墓)-JR天王寺
京を出発した熊野詣は、下鳥羽から舟で淀川を下り、渡辺の津といわれたこのあたりで上陸する。後に八軒家と呼ばれるようになった船着場である。
京阪天満橋駅の南筋向いにある「永田屋昆布本店」の軒下に「八軒屋舩着場の跡」の碑がある。
「この地は江戸時代には八軒家と称し淀川を上り下りの三十石船の発着場として さらに古くは渡辺といい紀州熊野詣での旅人の上陸地として栄えた また大江山の鬼を退治したといわれる渡辺綱はこの地を支配した摂津源氏一族の出身であり『地獄門』で知られる遠藤盛遠が袈裟御前を見初めたのもここに架けられた渡辺橋の渡りぞめの時のことと伝える 楠正行がこの橋からなだれ落ちる敵兵を救いあげ衣料を与えて国へ帰してやったという美談は明治初年わが国が万国赤十字に加盟のとき伝えられて感銘を与えた」
昭和四十年五月 牧村史陽識
(いずれも永田屋昆布本店配布のパンフレット「八軒家の今昔」より)
坐摩(いかすり)神社行宮。ここに熊野九十九王子の第一王子、窪津王子(または渡辺王子)があったという。
坐摩神社は、地下鉄本町近くにある。「御由緒略記」によると「神宮皇后が新羅よりご帰還のおり、淀川南岸の大江、田蓑橋の渡辺の地に奉祀が始まりとされています」とある。窪津王子については触れられていない。
御祓筋を南へ歩き始める。「アリの熊野詣」の出発である。
しかし、興味をひくものはなにもない、ただただ暑いばかりのビルの谷間である。
御祓筋の北端にある「熊野かいどう」の碑。
「熊野街道は…上町台地の西側 脊梁にあたる御祓筋を通行したものと考えられる…」
御祓筋を1.7キロほど歩いた右手に南大江公園がある。ここの南西角にある狐坂大明神。
ここが坂口王子があったと伝えれれる朝日神明社の跡地である。
「朝日神明社跡」の碑。
「朝日神明社は、天慶年間(938-947)に平貞盛が創建したという。…熊野王子のひとつの坂口王子の伝承地である…」
御祓筋を上ってきて細くなった突き当り、朝日神明社旧跡の南に樹齢600年と推定される榎(実際は槐=えんじゅ=だという)がそびえている。根元に榎木大明神の祠が置かれている。
古代からのランドマークだったのだろう。
榎木大明神の南側に「直木賞」で知られる直子三十五の文学碑がある。直木は明治24年(1891)にこのあたりで生まれた。
「きっとなせる市蔵」
「なせる」
大久保市蔵はそういってうなずくと吉之助の手を握った
軽輩のすべてはおなじ心で磯浜を桜島を眺めていた
直木三十五「南国太平記」
これは新聞に掲載された薩摩藩のお家騒動を題材にした小説だそうだが、わたしは読んでいない。
御祓筋を左折して安堂寺通りにはいる。古い家並みとなる。鋼製品を扱う商店が目につく。
真新しい「熊野街道」の石碑が立っている。大阪府、大阪市、大阪市教育委員会が競うように整備を進めている。
空堀(からほり)商店街の東端をかすめるように通り過ぎる。
「ろまん街道」とネーミングしているこの商店街は、古い町屋をそのまま店舗にしたりのユニークな町おこしで注目スポットになっている。
上汐町筋を南下する。町の雰囲気がすっかり変わる。
古い看板。南区は中央区に変わったが、「上汐1」は同じ。
一本、横の道に入ったために、偶然にも前を通ったサントリーの「樽ものがたり」家具展示場。
1カ月ほど前にジュンク堂に積まれていた宣伝パンフで、オープンしたことは知っていた。こんなところにあるとは。
飛騨・清見村のオークビレッジは、かつて、その樽材から家具を作っていた。今も、オークヒルズの食堂では、樽材で作ったピュアモルト・スピーカー(スピーカーはパイオニア製で、ボックスが樽材)が心地より音楽を響かせている。
わが家のリビングのテーブルが買い替えの時期にきている。オークビレッジ製が第一候補だが、こちらも手ごろな価格で心が揺らぐ。
長堀通りを通り越してから、「郡戸王子」は高津宮にあったのだ気づき、暑い道を引き返す。
といっても、神社境内にそれらしき碑などはない。
生国魂神社は来たことがあるので、横目に通り過ぎる。
またも遠回りしてたどり着いた「上宮社跡」。マンションの玄関にあった。
ここが四天王寺を守る7社の一つである上之宮(上野王子社)。
巨人・元木選手の母校・上之宮高校が、目の前にある。アテネ五輪出場OB選手の名前が掲げられている。
四天王寺四天王寺の西門。
土曜日だったが、四天王寺高校の女子生徒が下校してくる。
四天王寺の南門の「熊野権現遥拝石所」。ここから南に一直線に熊野への道が延びる。
四天王寺の門についている「転法輪(てんほうりん)」。
「法輪は、お釈迦さまの教えが他に転じて伝わるのを輪にたとえたもので、仏教の象徴です。
合掌して、『自浄其意』(じじょうこい=心が清浄となりますように)と唱えて軽く右にお回しください。」
四天王寺の南門で出て、まっすぐ行くとすぐに「超願寺」がある。
ここに浄瑠璃の中興・竹本義太夫の墓がある。
堀越神社を谷町筋の向こうにみる。ここに窪津王子が合祀されているそうだが、あまりの暑さに、横目で素通りする。
今回はここまで。