琵琶湖周歩の旅 その8 長浜ー賤ヶ岳

(8) 長浜-賤ケ岳 (03/09/23)

 (水無瀬-JR山崎-長浜)-南浜-姉川大橋-八木浜-奥びわスポーツの森-早崎内湖ビオトープ-海老江港-道の駅・湖北みずどりステーション-石川-片山-古保利古墳群-有漏神社-近江山梨子(-JR近江塩津-水無瀬)
 距離=20キロ、総歩数=23.030歩(歩いた距離からすると、ちょっと少ないような気がする)


 9:35
 JR長浜駅の袴線橋から北方を眺める。


 9:40
 長浜城跡。「バサラ大名」として知られる京極道誉が室町時代に出城を築いたのが始めという。姉川の合戦のあと、その功で湖北三郡を与えられた羽柴秀吉が、天正2年(1574)にここに城下町を移した。賤ケ岳の戦はここを根拠地として戦い、信長の後継者としての地位を築いた。


 9:44
 湖岸に出る。気温20度。曇天とはいえ、随分涼しくなった。


 9:56
 湖岸の気持ちよい道路。ハンドルを握ればついスピードを出しそうだが、滋賀県警が「ネズミ捕り」をしていた。レーダー式ではなく、道路と直角に小さなセンサーを2つ並べて、その間を通過するスピードを測定する。
 「こんな1メートルほどの距離で正確に測れるの?」と、取締り中の警察官に声をかけると、「3メートル」とぶっきらぼうな答え。センサーにデジカメを向けると、「それはやめて」と取材拒否された。


 10:05
 長浜市湖岸相撲町。ちょっと変わった町名だ。


 10:17
 桜がいくつも狂い咲きしている。この夏の異常気象のせいだろう。
 ミツバチもあわてて飛んできた。仕事だ、仕事といわんばかりに…。


 10:18
 桜並木が続く南浜。


 10:26
 「アベリアエドワードコーチャー」。ずっと続く街路樹にごたいそうな名前がついている。
 直径8ミリほどの、白とピンクの小さな花が咲いている。


 10:35
 ススキが穂を垂れている。


 10:40
 南浜の和田神社。ご神体を祀る湖に向いた小さな祠の前に鳥居。その前に奉納相撲をするのか立派な土俵がしつらえてある。
 さっき見た「相撲町」とも関係あるのだろうか。

 10:46 (5枚を合成)
 湖岸で休憩。
 中央やや右の小高いあたりが近江八幡あたりか。随分歩いてきたことを実感する。


 10:58
 姉川大橋を渡る。河口には数え切れないサギが舞っている。


 11:15
 きょうはお彼岸だ。マンジュシャゲがあちこちに咲いている。


 11:32
 「奥びわスポーツの森」を横目に歩く。


 11:42
 「早崎内湖ビオトープ調査」の垂れ幕が出ている。
 後ろには伊吹山。


 12:02
 湖北町の水鳥公園。湖面に向いてバードウオッチャーのための観察小屋がある。
 10月下旬にはコハクチョウが親子でシベリアから渡ってきて、冬を越すそうだ。


 12:03
 おなじみになった標識。右の「83キロ」が歩いてきた距離。中間点までもう少しだ。


 12:23
 「道の駅 湖北水鳥ステーション」で昼食に「水鳥弁当」(950円)を食べる。
 地場産品も並んでいて、枝豆150円は絶対にお買い得と買い込む。栗300円、湖のエビとマメの煮込みもみやげにする。


 13:31
 「尾上温泉」はちっと気になったが、通り過ぎる。
 ガイド本の今回のゴール「石川」にやってきたが、まだ時間があるので、そのまま歩き続けることに。


 13:41
 片山の民家の脇を曲がると、「湖辺の道」は突然山の中に向かう。「琵琶湖周歩の旅」ではじめての山歩きになる。


 13:43
 明治から昭和20年代まで、片山の子どもたちはこの山道を越えて高月町の小学校に通ったそうだ。


 14:01
 山道の途中に「古保利古墳群」の案内板がある。一見、なんてこともないこんもりとした盛り上がりが前方後円墳なのだという。


 14:16
 樹木の間から竹生島が見える。
 ポツリと雨が降ってきたが、すぐにやむ。


 14:48
 再び湖岸に降りる。朽ちた和船が係留されている。


 14:54
 振り返ると、岬の先に有漏神社の鳥居が見える。そのあたりから道は途切れ、ブッシュをこぎ、波うちの岩場を歩いてくる。


 15:10
 ゴールにした「近江山梨子」バス停。国道の賤ケ岳トンネルを出たところにある。


 15:54
 バスで近江塩津駅へ。駅舎は和風の民芸茶屋のような風情だ。


 16:02
 隣のホームには近江今津行き普通が待っている。だが、長浜経由で新快速に乗り換えた方が早く帰ることができる。料金は、湖西線経由でも、北陸-東海道線経由でも同じ1620円だ。