昼休みの食事に出て、ふと疑問がわきました。国道2号と四つ橋筋が交わるのは桜橋交差点ですが、「桜橋」ってどこにあるんだろうって。JR大阪駅にも「桜橋口」はあったけれど。
あっつ、そうか、と思い出して確かめに行ってみると、やはりありました。「桜橋南詰」と書かれた石柱が。四つ橋筋を南に新地本通りを越えた2本目の通りの交差点北東角です。M新聞社の跡地に建つビル内の大型書店をのぞくためによく通るところです。
石柱の裏をのぞき込むと「(桜橋は)明治四十二年七月三十一日の北の大火で消失」とありました。となると、その下を流れていたのは蜆(しじみ)川となるはずです。
新地本通りを二筋入って北に曲がったところに「曾根崎川跡の碑」があります。隣には「蜆橋銅板標」も。いつもは酔っぱらって横目にする、いや、「こちら」にくることなんてとんとありませんが。
碑には「蜆川(曽根崎川)は、かって堂島川から分かれて新地の中心を東西に流れていた川で、元禄元年(1688)に河村瑞軒によって改修され、その両岸に繁華街の堂島新地、曽根崎新地が形成された」とあります。
近松門左衛門の「心中天綱島」の道行きの舞台となったこの川です。その一節にも「別れを嘆き悲しみて跡にこがるる桜橋」とあるそうです。