舞鶴 JR松尾寺の木造駅舎、RURUTEIの驛舎ねこのフロート

 お盆です。京都縦貫道はこれまでになく渋滞していて、舞鶴まで3時間ほどもかかりました。奥さまの実家の墓参りをして、JR松尾寺(まつのおでら)まで走りました。
 舞鶴の東端にそびえる若狭富士(青葉山)の麓、西国札所の松尾寺の名をいただく駅です。
 レトロな木造駅舎は国の登録有形文化財に指定されています。

 そこにある映えスポットが、駅舎内のカフェ「Salon de RURUTEI」です。人気は「驛舎ねこのフロート」(700円)です。
 かつて愛された猫駅長こと「ミーちゃん♀」が、クッキーになってトップにいます。この部分は、わたしは食べませんでしたのでお味は不明です。 

 トロリと濃厚なクリームです。

 かき氷は、ちょっと粗目でザクザクとしています。抹茶の清々しい甘みが口に広がると、やがてガツンと冷たさが襲ってきました。暑い日にはたまりません。

 松尾寺の門前にあった茶店「流々亭」が引っ越してきたそうです。

 舞鶴で採れる茶葉を使った煎茶を中心に、ラテなどが並びます。トッピングもいろいろあって、頼むのに迷うほどです。ただしコーヒーはありません。

 ショップにはとりどりの日本茶なんかが並んでいます。

 奥さまは緑茶のティーバッグをお買い上げです。

 1日に上下それぞれ11本しか列車がやってこない西舞鶴と敦賀を結ぶ小浜線のひなびた駅です。

 見上げると掲示板があります。
 「専貨」の「実績」とは、貨物の取扱量のことです。旧国鉄時代には、福知山鉄道管理局では最大の貨物取扱量を誇っていた貨物駅だったそうです。

 かつての線路図も残っています。
 現在は1面1線の棒線駅ですが、かつては何線もの広い側線があったようです。
 ここから湾岸部の海軍火薬廠まで専用線も延びていました。戦後は日本板硝子の工場が誘致され、専用線として使われていました。

 検札のない改札口を出てみます。

 北向きの陽ざしが遮られた涼し気な待合です。

 ホームへの階段を上がると、コンクリートに数字が残っていました。1959年1月につくられたということでしょう。

 列車がやってこないレール上に降りてみました。

 改修されてますが、駅が開業した1922(大正11)年に立てられた木造駅舎です。

京都・五条 河井寛次郎記念館でひと時の涼を

 京都はきょうも暑い一日でした。ふと思い立って「河井寛次郎記念館」を訪ねました。
 大正・昭和にかけて活躍した陶工、河井寬次郎の住まい兼仕事場をそのままに公開しています。
 「建物のみならず、館内の家具や調度類も寬次郎のデザイン、あるいは蒐集によるもので、それぞれ個性を発揮しつつも、不思議な統一感を生み出しています」(河井寬次郎記念館のHPより)

 中庭から吹き抜ける涼やかな風にひと息つきました。

 炉を前にして、丸くてかわいい椅子が並びます。

 2階の書斎の窓際です。これまたかわいい、いや現代人からすれば小学生がちょこっと腰かけるくらいの小さな机と椅子です。

 背もたれのデザインがすごいです。

 寝そべった猫が、床と同化しています。

 書斎の大うすのテーブルです。割れ目がまるで金継ぎのように補修されています。

 展示物ですが、座り込んで休むこともできます。

 陶房の前の休憩室です。並べられてミニチュアのようなかわいい椅子たちです。

 素焼窯の前にも、焼き上がるのを待つためのように並んでいます。

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京都・出町 「みつばち」の宇治氷とあんみつ

 暑い京都の昼下がりです。ちょっと冷たいものをと、京都府立医大病院から河原町をちょっと上がった「みつばち」に寄りました。「京のちいさな あんみつ屋」です。
 わたしのセレクトではありません。奥さまは10数年前のわたしの入院時に、独りでやって来たことがあるそうです。
 「宇治氷(柳桜園さんの抹茶)」(850円)をいただきました。きめ細かなかき氷です。口に含むと、たちどころに消え去ります。冷たさと、濃厚な抹茶の香り、甘さが残ります。

 寒天と赤えんどうが別皿です。

 南房総産の天草(てんぐさ)を使ってじっくりと煮込んだこだわりの自家製寒天です。弾力がある口触りで、磯の香りすら感じるほどです。

 追い蜜をかけて、最後まで変わらないお味でした。

 奥さまはシンプルなあんみつでした。

 抹茶の柳桜園は、二条通御幸町にある茶道三千家の家元御用達の老舗です。

 女性たちでいつもにぎわっているのは知ってました。独りでこの暖簾をくぐる勇気はありませんでした。

 店先に木槿(むくげ)が一輪、大きな花を咲かせていました。

 みつばち
 075-213-2144
 京都市上京区河原町今出川下ル梶井町448-60

 河原町を渡った出町輸入食品を久しぶりにのぞきました。ちょっと買い物をすると、コーヒーのサービスがありました。

 ポテトチップスも一片を味見させてもらいました。

 スペイン産のポットチップスが並んでいました。気になりました。

 コーヒーが好きだった母が、ここのブルーマウンテンを愛飲していました。よく買いに来たものです。

 出町輸入食品 本店
 京都市上京区河原町通今出川下ル栄町359-2

 定期検診のほうは、CT、RI検査ともに異常はなく、腫瘍マーカー値も下がってひと安心でした。

反田恭平ピアノリサイタル2023を聴く

 奈良・橿原の県立橿原文化会館大ホールで、「反田恭平ピアノリサイタル2023」を聴きました(13日夜)。
 1000人を超す大きなホールです。それがソールド・アウトの満席でした。大阪や京都などからもファンが詰めかけていたのです。
 開演直前まで、念入りに調律が行われていました。

 前から4列目の中央の席でした。
 目の前のスタインウェイのふたの裏側が、弦を反射して光っているのが印象的でした。

 プログラム(一部変更あり)は、近代ロシアのスクリャービン、ラフマニノフとショパンの影響を受けた2人から始まりました。
 わたしは、その日に病院で受診した2つの検査で疲れていたのか、不覚にもこっくりとする瞬間もありました。
 後半のショパンは、これは圧巻でした。雷が落ちたのかと思わせるほどの爆音が、ホールに鳴り響く場面もありました。でもそれは一瞬のこと。心にグイグイと迫ってきたのは、圧倒的な弱音!でした。これまでに聴いたことがない最弱音に息をのんでいると、その音色はいく重にも変化して、一音一音がしみわたりました。そのバリエーションの豊かさに驚きました。
 拍手にスタンディングにブラボーが途切れません。5曲もアンコールを弾いてくれました。
 その極みが、アンコールで弾いてくれたラルゴでした。何度も聴いています。でも、この夜のラルゴが、ショパンの母国・ポーランドに対する思いを、これまでになく静かに熱く表現しているように思えました。聴くたびに限りなく進化する反田くんでした。

 なんだか反田くん一座がどさ回りしているような案内です。

 ホール前には「増長天」が飾られていました。、

 近鉄・大和八木から歩いて5分ほどのところにありました。

 近鉄特急で帰宅しました。

 大和八木のホーム内にあるコンビニで、缶を買って乗り込みました。ガラガラの車内で、余韻とともに楽しみました。

「哲&友号」 大川で浸水せずに進水

 山の友だちの「天満の哲」さんが、ヘンなことをしでかしました。
 ペットボトルをつないでボートをつくり、大阪湾に漕ぎ出すという奇想天外、いや気宇壮大な計画です。
 進水式を挙行するという知らせに、わたしも大阪・大川に駆けつけました。
 結果は無事に浸水、ではなくて進水。なんでもやってみようーの遠い昔のロマンが戻ってきたように、みんなの笑顔がはじけました。

 大阪・天六に近い哲さんのスタジオ「音太小屋」に集合しました。哲さんとその仲間たちです。「だれも欠けずに帰って来られるかな」の声も。

 分解したボートを台車に載せて歩いて出発です。

 早速に荷崩れを起こして、前途多難の様相です。

 大川(淀川の支流)の源八橋下流にある大阪ふれあいの水辺にやってきました。


 
 テープを張って組み立てです。

 浮かびました。「哲&友号」と命名されました。
 早速、哲さんとSさんが乗りこみます。

 岸をゆっくりと離れました。沈没するようなことはないようです。

 初航海を終えて、どや顔の2人です。

 対岸には帝国ホテル大阪や高層マンションがそびえます。どこを航海しているのかと思わせます。

 思わず笑顔がこぼれます。

 哲さんは、へっぴり腰で立ち漕ぎに挑戦です。

 水を漕いで、様になってます。

 警備員も見に来ましたが、お目こぼしにあずかりました。
 オトナの遊びは、撤収も完璧でした。

 都島橋を帰ると、わが母校の大学ボート部が練習中でした。あんな風に大川の本流を進み、大阪湾まで漕ぎ出るのはやり絵空事だったのでしょうか。

 音太小屋に戻って乾杯しました。哲さんの夢に便乗させていただき(ボートには、怖くて乗りませんでした)、ありがとうございます。

京都・桂 中村軒の宇治ミルク

 きょうの京都は、最高気温が36.8度にも達しました。暑かったです。帰り道に桂の中村軒に寄って、かき氷をいただきました。
 「宇治ミルク」(940円)です。奥さまが頼んだ「あんみつ」の金時(あん)も回ってきました。宇治金のできあがりです。

 ほおばると、すぐに溶けるきめ細かなかき氷です。冷たくて、甘いです。
 若いころは「あんこ、怖い」でしたが、し好が変わったようです。

 「あんみつ」もおいしそうです。

 ねっとりとした白玉を口に含みながら、氷を流し込みます。たまりません。

 追いシロップです。食べ進んでも、変わらずに濃厚味です。

 床の間には、祇園祭の長刀鉾の扇が飾られていました。

 坪庭が涼し気です。

 祇園祭のミニチュアが展示されていました。

 これまでの中村軒

 御菓子司 中村軒
 075-381-2650
 京都市西京区桂浅原町61

続・孫娘と遊ぶ ナイツポーカー

 もうすぐ横浜からやって来る孫娘と遊ぶおもちゃをつくりました。
 知恵の輪に続く第2段は「ナイツポーカー」です。人気ボードゲームで、市販されています。それを、百均で集めた材料で手作りしました。
 トランプのポーカーをまねた対戦ゲームです。役は4種類で、ロイヤルストレートが最強です。

 コマは1から6までの数字がふられたものが5色、全部で30個あります。 

 パソコンのエクセルで図形を描き、写真用紙に印刷。裏面に両面粘着テープを張り付けてカットしてシールにしました。
 アルミの丸い板は、「くるみボタン」です。百均の手芸コーナーで見つけました。これを布でくるんでボタンにするようです。そにシールを張りました。

 最初は買ってきたラベルシールに印刷しました。でも鮮やかさがイマイチだったので、写真用紙に印刷し直しました。

 ボード、コマを入れいる袋、くるみボタン2袋で、材料費は計400円でした。

高槻城公園芸術文化劇場 高槻市合唱祭を聴く

 高槻城公園芸術文化劇場のトリシマホール(大ホール)で第46回高槻市合唱祭を聴きました。
 今春、オープンしたばかりのホールです。初めて入りました。
 キリシタン大名の高山右近も城主をつとめた高槻城の二の丸跡に立っています。濠をめぐらせた現代風の天守閣のようでもあります。

 トリシマホールは、地元企業のポンプメーカー、酉島製作所の名を冠しています。
 内壁全面に、柱の断面が突き出しているようなデザインです。

 2階席まで983席あります。

 壁は柱の断面が飛び出しているのかと思いましたが、厚さ5センチ前後で厚いのや薄いのをおりまぜた木片が固定されていました。
 音響のことはわかりませんが、長い柱が埋め込まれていたら、もっと素晴らしい音響空間になったのではと仮想してしまいました。大量の木材を使えば、構造も大がかりになり費用も莫大になるでしょう。
 ホールの響き具合は、きょうの合唱だけではよくわかりませんでした。

 わたしの役目は、ビデオ撮影係でした。

 手前の三脚2台にカメラをそれぞれセットして、1台はステージ全体を見渡す固定焦点、もう1台は手動で動かす移動焦点で撮影しました。それを音源とあわせて1本の動画に編集します。

 トップバッターで登場した「女声アンサンブル クラルス・ヴォ―チェ」で、奥さまが歌っていました。

 26団体が出演しましたが、わたしの役目はすぐに終わりました。

 堺、豊中、東大阪、枚方と似たような規模の都市にできたホールで聴きました。昭和の高度成長期にできたた多目的大ホールが老朽化して建て替えられたのでしょう。
 設計は、兵庫芸文やフェスティバルホール、豊中と同じ日建設計の江副敏史氏です。

枚方市総合文化芸術センターで J.Sバッハ「マタイ受難曲」を聴く

 枚方市総合文化芸術センターの大ホールで、J.Sバッハ「マタイ受難曲」を聴きました。
 コーラスが好き、宗教曲を歌いたいというアマチュアが立ち上げた「マタイ・プロジェクト」が大舞台に上がりました。奥さまも歌っていました。
 3時間を超える大曲ですが、わたしも生演奏で聴いた回数は圧倒的に多いです。このブログに記録が残っている2008年以降だけでも12回目となります。
 バッハの最高傑作に魅かれるファンは多いです。きょうもチケットは完売。満席でした。

 難しいことはわかりません。1部は、昼食後のお休みタイムと重なって、ついうつらうつらしてしまうこともありました。「生」でも飲んでいたら、爆睡だったでしょう。
 それが2部になると、がぜん、テンポがよくなってきました。指揮は、初めてマタイを振るケイコ先生(永松圭子=奥さまたちはそう呼んでます)でした。これまではアルトの声を聞いてました。指揮・エバンゲリストだった畑儀文が、きょうはテノールに徹して絶好調です。
 圧巻はバリトンの三原剛でした。大きな体から発せられるイエスの声に圧倒されました。初めてウイーンに旅した2005年に、関西空港から同じオーストリア航空に搭乗したことがありました。それ以来でしょうか。
 アルトの八木寿子らソロがすべて素晴らしく、グイグイとひきつけられていきました。
 きょの主役のマタイ・プロジェクト合唱団も、マスクをつけてとはいえ、よく響いていました。

 ホール2階のウイング席で聴きました。
 「うまいあ」と感心したビオラ・ダ・ガンバなどすべての楽器の動きがよく見え、響きにも満足しました。

 終演時には、辺りは暗くなっていました。おまけに土砂降りでした。クルマでアッシーをしてよかったです。

 枚方市総合文化芸術センター 関西医科大 大ホール
 枚方市新町2-1-60
 072-845-4910

孫娘と遊ぶ 知恵の環

 間もなくゴールデンウイークです。横浜に住む孫娘がやって来ます。一緒に遊ぶゲームを考えました。
 簡単に作った知恵の環です。もうひとりの孫娘にもと、2つ作りました。
 上の画像では、赤い玉が糸の両端についています。
 2枚目では、それが一方に固まってます。
 赤い玉は、中央の糸がくぐっている穴よりも大きいです。さて、どうして潜り抜けたのでしょうか。 

 材料となる角材を買いに、近くのホームセンターへ行きました。併設されている百均で良いものを見つけました。小さな額を立てるイーゼルです。この部材がぴったりでした。
 さっそく分解して、その用材の棒を2分しました。

 ドリルで糸を通す穴を開けました。

 赤い玉は、孫娘のファーストシューズをつくったときに靴紐のアクセントにつけたのが残っていました。色違いならよかったのですが。
 タコ糸を通しました。

 タコ糸の端末はボンドで接着して、すぐにでき上がりました。

 さて、この春に小学生になった孫娘は喜んでくれるでしょうか。