京都はきょうも暑い一日でした。ふと思い立って「河井寛次郎記念館」を訪ねました。
大正・昭和にかけて活躍した陶工、河井寬次郎の住まい兼仕事場をそのままに公開しています。
「建物のみならず、館内の家具や調度類も寬次郎のデザイン、あるいは蒐集によるもので、それぞれ個性を発揮しつつも、不思議な統一感を生み出しています」(河井寬次郎記念館のHPより)
中庭から吹き抜ける涼やかな風にひと息つきました。
炉を前にして、丸くてかわいい椅子が並びます。
2階の書斎の窓際です。これまたかわいい、いや現代人からすれば小学生がちょこっと腰かけるくらいの小さな机と椅子です。
背もたれのデザインがすごいです。
寝そべった猫が、床と同化しています。
書斎の大うすのテーブルです。割れ目がまるで金継ぎのように補修されています。
展示物ですが、座り込んで休むこともできます。
陶房の前の休憩室です。並べられてミニチュアのようなかわいい椅子たちです。
素焼窯の前にも、焼き上がるのを待つためのように並んでいます。
あちこちに花が活けられてます。
陶房には「けろくろ(蹴り回し轆轤)」が並んでいます。ここで作業したのです。
中庭の奥に登り窯の「鐘徯窯(しょうけいよう)」がありました。
現在は住宅街のど真ん中です。こんな場所で薪を焚いていたのです。
寛次郎が使っていた前からは2番目の室です。
内部に入ると、ひんやりとしていました。
炎は、この窓を伝わって後ろの室へと燃え広がっていきます。
寛次郎の作品が並んでいます。
画録風に編集しました。
河井寛次郎
明治23(1890)年、島根・安来に生まれる。松江中学から東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科に入学。京都陶磁器試験所で釉薬の研究。
大正9(1920)年、現在の記念館の地、五条坂に住居と窯を持つ。
作風は大きく、三期に分けられる。中国古陶磁を範とした初期、「用の美」の中期、「造形」の後期。
昭和12(1937)年に、自らの設計により自宅を建築(現在の記念館)。
昭和41(1966)年、76歳で亡くなる。
写真撮影は、ノートに名前を記すと許可されます。「作品もご自由に」ということでした。
ともに活動した民芸運動の理論的指導者、柳宗悦から贈られた柱時計が今も時を刻んでいます。
その向こうの箱階段は、浜田庄司の寄贈です。
大看板は棟方志功の筆です。
河井寛次郎記念館
075-561-3585
京都市東山区五条坂鐘鋳町569
向こうは清水山です。こちら側とは対照的に清水寺につづく五条坂は外国人も多く、観光客でいっぱいでした。