路地裏までこのとおりです。
石畳の細い道に車は入ってきません。ごみひとつ落ちてません。玄関をでるとそこは路地、共用の廊下の感覚なんでしょうか。 (2005/05/19)
投稿者: dot117
プラハのペンキ屋さん
朝から仕事に精が出るペンキ屋さんです。なにやら口ずさみながら楽しそうに仕事をしています。
どこを歩いてもきれいな町の秘密がわかったような気がしました。古くなれば補修する。たったそれだけのことなんです。
日本では、とんと見かけなくなった光景だと思いませんか。
(2005/05/19)
ビロード革命の舞台
1989年11月17日に始まった民主化要求デモは、連日10万人を超える人々がこのヴァーツラフ広場(広場というが、実はプラハ市内中心部の大通り)を埋め尽くしたというこてです。
いまでは、そんなことは昔話のようににぎやかなショッピング街でした。 (2005/05/18)
Verwandlung
カフカの「変身」(読んだことはありません)が、マルクス「資本論」の「貨幣の資本への転化」の「転化」と同じVerwandlungであることを、大昔に学びました。それ以上は知りません。
プラハ城内の「黄金小路」は、かつて練金術士が住んで、金を作りそうとがんばったところだそうです。左から2つ目の青い家にはフランツ・カフカも住んだことがあります。
とはいえ、中国人がほとんどだった観光客は、「カフカ」のプレート(左下)には気が付かないように通り過ぎていました。 (2005/05/18)
そのとき衛兵は
プラハ城の正門です。門外のフラチャニ広場にはものすごい数の観光客が押し寄せてます。門内の衛兵たち(右側)は、どうしたものかと相談しています。
といのはウソで、正面では左下の写真のようにイケメンの衛兵は何事もないように正面をみて立ってました。 (2005/05/18)
天に突き刺さる
聖ヴィート大聖堂です。ムハのステンドグラスを見て外へ出ると、青い空が広がってました。そこに突き刺さる尖塔のすごさです。
926年に建築が始まり、ロマネスク様式から途中でゴシック様式に変更され、完成したのはなんと1929年のことです。木造建築の国に生まれた身には、信じられないような時間の経過です。 (2005/05/18)
ムハのステンドグラス
チェコを代表するアールヌーボーの画家、ムハ(フランス語読みならミュシャ)のステンドグラス「聖キリルと聖メトディウス」です。
プラハ城内の聖ヴィート大聖堂にあります。ほかにも美しいステンドグラスがありますが、聖書の物語を知らない身には、あまり絵柄を理解できませんでした。
ムハ美術館にも行きました。日本人に愛されているのか、あまり出会わなかった日本人が多くきてました。館長さんも、日本語でにこやかにあいさつしてくれました。
額縁に入れて飾ろうと、一番気に入ったまっすぐにこちらをみすえたようなきりっとした表情の女性画のコピーを買いました。折らないように大事に持ち帰ったのに、別の作品が入っていてがっかりしました。 (2005/05/19)
夕暮れの旧市街広場
午後7時半。まだまだ空が青い旧市街地広場です。8時から始まるコンサートに時間があったので、ぶらりと歩いてきました。。
左がゴッシク様式のディーン教会、その下の広場中央にあるのがヤン・フス像、右側が天文時計のある旧市庁舎、さらに聖ミクラーシュ教会が続きます。
この写真は、パノラマ撮影を合成したものです。左右で段差ができたのをそのままにしてます。 (2005/05/19)
プラハといえばこの風景です
チェコといえばビールです
プラハの名物Pivnice(ピヴニツェ=ビアホール)、「ウ・カリハ」です。
席につくと、ボーイが聞いてくれる。
「食前酒はいるか?」、「ワインかビールか?」。
でビールと頼むと、大きさなど聞かずにドーンと登場しました。日本の大ジョッキより二回りくらい大きなのが。さすがに女房には、だまっていたけどちょっと小ぶりのが。
口当たりがものすごくよい。アルコール度は5.何度と日本のビールとも変わらないようなのに、いくらでも飲めてあまり酔わない。「水の感覚」という言葉が理解できる。
料理は、スモークポークにクリネード、ザウアークラウト添え。クリネードはポテトをつぶして焼いたもので、ねっとりとした蒸しパンといった感じ。もう一皿のチキン料理も日本人の舌にあって、きれいに平らげた。
「ウ・カリハ」は作家のハシェクが通った店で、「兵士シュベイクの冒険」の舞台になったそうだ。壁には、小説を題材にした落書きがあり、主人公・シュベイクなどのグッズも売っていた。