Paso a paso Dos 30日目=9/23 サリアへの長い道

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 サンティアゴ・デ・コンポステーラまで100km超の最後の町サリア。3年前の巡礼をスタートさせた地だ。そこまで20kmもない。楽勝のはずだったが。
 
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 サリアのサンタ・マリーナ教会。今回はクレデンシャルにスタンプをいただくことができた。

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 夕食に食べたカラマーレス・フリートス。日本でもおなじみのイカリングのフライだが、ふわっと揚がっていた。

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my camino=30日目 もはや、ここまでかと泣けてきた 

 トリアカステーラの町を出たところに分かれ道がありました。モホン(石標)が2本、並んで立っていました。黄色い矢印は左と右を向いてます。どちらに行ったらよいのでしょうか? たまにこんなことがありました。
 よく出くわしたのは、自らのアルベルゲやバルなどにペルグリーノを誘導するために付け加えられたニセ(回り道)の矢印でした。
 ここの分かれ道は、ガイドブックにも載っていました。右に行くとアップダウンはあるものの、まっすぐに次の目的地のサリアに向かいます。左を取ると、サモスというきれいな修道院の町を経由します。道は平たんですが、距離は長くなります。
 前夜のアルベルゲのベッドで思案しました。左足は相変わらずチクチクと痛かったのです。まあ、あれこれ悩んでも仕方ないので、歩きだしてから判断しようと眠りにつきました。で、その分かれ道までやってきました。そこまでは快調に歩いてこれたので、迷うことなくまっすぐサリアに向かう右を選択しました。
 霧に霞む朝でした。やがて東の空が明るくなりました。牧草地に何本もの光線が降り注ぎ、黄金に輝きました。これまでとは違った、すがすがしい巡礼路でした。
 でもよいことばかりは続きませんでした。気になる左足が、また痛み出したのです。「サリア」と書かれたレストランの看板と出会ったのは、町の中心地まであと5キロほどの地点でした。痛みは激しくなり、道端に座り込んでしまいました。
 スマホを取り出して、サリアの宿を予約しました。アルベルゲではゆっくりと休養できそうにないのでオステルを、しかも翌日もダメだろうと2連泊することにしました。これまでの行程で、1日分の貯金があったのです。
 いつまで座っていても、サリアは近づきません。痛い足を引きずって、トボトボと歩きました。町に入るとスマホを取り出して、Google mapで予約した宿までの最短路をたどりました。
 もはや、ここまでかと覚悟しました。3年前の巡礼でサリアからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでは歩いたことがありました。区切り巡礼と考えると、すでに聖地までつながったことにはなります。でも、サンジャン・ピエ・ド・ポーから歩いてきたのに、ここでリタイアかと思うと泣けてきそうでした。
 分かれ道で、左に進んで途中のサモス泊としておけばよかったでしょうか・・・。でも、それが分かれ道でした。
 わたしの人生にはも、そんな分かれ道がいくつかあったはずです。どちらを選べば正解だったのかは、その時点ではだれにもわかるはずがありませんでした。

サン・ロケ峠の巡礼者

オ・セブレイロを出発してしばらく歩くともう一つのサン・ロケ峠を越えました。

強風に耐えて帽子を押さえる巡礼者の像が立ってます。

きょうは曇り空で肌寒い一日でした。

朝焼けが東の空を染めました。雲海が広がります。

でも日の出はなく、雲間からちょっと顔を見せただけです。

ガリシア州に入って、急に天候が変わったようです。

雲海の下に降りてくると、視界がありません。

牛たちは、自分の時間をのんびりと過ごしていました。

my camino=29日目 Mr. ルミックスの自慢のカメラ 

 オスピタル・デ・ラ・コンデサのバルで朝食を食べていました。ガリシア州に入ると、トーストしたパンにお目にかかるようになっていました。そこに長いマントを翻した中世風のいでたちのペルグリーノが入ってきました。横にいたミスター(Mr.)ルミックスは即座にカウンターの向こうに回り込み、クレデンシャルにスタンプを押す男を撮影してました。
 「どうだい、よく写っているだろう」と、ミスターはわたしに撮影したばかりのモニター画像を見せて自慢げでした。座ったままだったわたしの写真(上)とは雲泥の差でした。
 ミスターが胸から下げている大きなカメラは、日本製のLUMIX(Panasonicのカメラ・ブランド)ミラーレス一眼のフラグシップ機でした。 「これがいま、ドイツで手に入る最高級のカメラだよ」と胸を張っていました。かのライカなんかを生んだ国のお方が、何をおっしゃるのかと思いながらも、日本人としてまんざらではありませんでした。

 ミスターとはここ数日、何度も顔を会わせてました。大きな栗の木の下で休んでいると、ミスターが近づいてきて「写してやるよ」と私の小さなコンデジ(コンパクト・デジタル・カメラ)を受け取って記念撮影してくれたこともありました。大きくて重たいカメラを胸にしながらも、ひょいひょいと身軽なこなしで巡礼路を右に左に動き回り、たくさんの写真を撮影していました。背には、小さなザックしかありませんでした。大きな荷物は、コモドに頼んで運搬してもらっていたのでしょう。
 そいえば、似顔絵師と名づけたKさんも同じでした。オリンパスのミラーレスにデカいプロ仕様のズームレンズをつけていました。
 カミーノにどんなカメラを持っていくかは、わたしにとって大きな迷いでした。ニコンのデジタル一眼は重たすぎて、もはや選択外でした。LUMIXのGM1というかわいいミラーレス一眼は気に入ってましたが、それでも中途半端にかさばり、両手でウォーキング・ポールを握ると、もって行き場に困りました。結局は、前回のカミーノでも使ったコンデジに落ち着きました。
 新たに用意したのは、CANONのG9Xという大型センサー搭載の機種でした。これだと胸ポケットに入れることができました。わたしは、小さなバッグを前抱きにして、その中にガイドブックとともに放り込んでいました。そのできばえについては、このブログでご覧になっている通りです。
 もう1台、用意したのはスマホのカメラです。わたしのスマホは防水仕様だったので、雨の日はこちらを使う予定でした。幸い、その雨には降られることはなく、出番はありませんでした。
 カミーノでは、あちこちでみんなが記念撮影していました。でもそのカメラで一番多かったのは、実はスマホでした。最近のスマホのカメラは、びっくりするほど優秀になっていて、このお手軽さに勝るものはないかもしれません。
 わたしは帰国後、LUMIXのGX7MK2というミラーレスをゲット。何本かの交換レンズの中から20㎜、F1.7というパンケーキのようにかわいい単焦点レンズを常用しています。スマホのカメラを使うことはありません。

 【追記 2021/06】
 LUMIX GX7MK2は2台目のボディーを使い続けています。レンズはライカブランドのVario-Elmarit 12-60というズームです。少々デカくて重たいですが、すっかり慣れてしまいました。山を歩くときも両手でポールを握り、カメラは首にぶら下げています。最近の写真は、わたしのブログ「『どたぐつ』をはいて・・・」の方にアップしています。
 

Paso a paso Dos 29日目=9/22 下り道をゆっくりと

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 オ・セブレイロの峠は越えた。その後もしばらくはアップダウンを繰り返し、やがてトリアカステーラに向けて下っていく20kmほどのステージ。
 サン・ロケ峠には、強風に帽子を押さえて耐える「サン・ロケ峠の巡礼所者」が。ヒョウタンをぶらさげた杖の上部はなくなっていた。

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 追い越されるのもいいものだ。左足首はやはり痛い。ゆっくりとマイペースで歩いた。

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 トリアカステーラのアルベルゲで食べた夕食。隣のスーパーメルカドで買ってきたレトルト・パスタの上に、トマト味のサーディンをぶちまけた。予想外にうまかった。
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巡礼道の運び屋

巡礼道には、運び屋が存在します。わたしも試してみました。きょうは、オ・セブレイロの峠まで、700mを登る行程でした。
朝のアルベルゲに、ザックを置き去りにしました。

きょう宿泊予定のアルベルゲと連絡先なんかを書いた封筒をぶら下げておきます。料金の5€も入れて。

峠の登り口でこんなポーターに追い抜かされました。巡礼者が馬の背で運ばれて行きます。

オ・セブレイロのアルベルゲに着きました。まだ開いてません。ザックを並べて待ちました。わたしのザックは、どこかに着いていると思ってました。

ありません。公営アルベルゲのホスピタレイロは、そんなの知らんとけんもほろろです。
「バーに届いてるよ」と教えてくれる人がいて、村のレストランを1軒ずつ捜索です。同じように探している人もいて、業者に電話してもらうと、あと半時間で到着するとか。わたしの足の方が早かったようです。

となれば慌てても仕方ありません。ビールを飲んで待っていると、やがてワゴン車が到着。わたしのバックもありました。
ここでもスペイン時間を思い知らされました。

my camino=28日目 遍路転がし」に転がりそうになる 

 オ・セブレイロの峠越えでした。前夜のペレヘのアルベルゲからは、初めてザックをポーターに預けました。「コモド」というサービスで、アルベルゲに業者が置いている封筒のような荷札に目的地なんかを書き込み、料金の5ユーロをいれ、アルベルゲに置いておきます。ザックは業者によって車で集められて、その日の午後には目的地のアルベルゲまで運ばれるシステムでした。
 「一度、これを使うと、もうやめられないですよ」
 リタイア3人組のひとり、Kさんは毎日、これを利用していました。その代り、胸には重たいレンズを装着したカメラをぶら下げていました。こういう選択もあったのです。
 峠への道は25キロほどでした。サブザックに必要最小限のものをもっただけで、ザックを背負っていない空荷でした。楽勝のはずでした。
 そんな時に限ってトラブルに見舞われました。
 四国88ヶ所のお遍路には、「遍路転(ころ)がし」があります。最初の遍路転がしは11番・藤井寺から12番・焼山寺に向かう遍路道です。それまでの吉野川沿いの平たんでのどかな道から一転、厳しい山道となります。覚悟の足りない遍路は、ここで根をあげてしまうのです。「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれる阿波の3か所は、なかでも難所です。
 サンティアゴ巡礼でも、最初のピレネー越えやぺルドン峠に始まって、メセタという遮るものがない平原も「遍路転がし」の道でした。終盤にさしかかる前に立ちはだかったのがオ・セブレイロの峠越えでした。
 左足首がチクチクと痛みだしました。レオン辺りを歩いていたときに痛かったのは右足です。テーピングの効果は絶大で、あの時の痛みは忘れていました。
 たいしたことはないだろうと、たかをくくっていました。それでも痛さは増すばかりでした。よほどトボトボと歩いていたのでしょう。引き馬の出発点となるヘレリアスのベンチで休憩していると、おばあちゃんが声をかけてくれました。「あんたも乗っていく」。老夫婦の巡礼はここまでがやっとで、おじいちゃんが電話でタクシーを呼んだところでした。
 ありがたさでジーンときました。でもまだ申し出を断るほどの意地は残ってました。
 そこから本格な登り道になりました。地元のおばあちゃんが独り、さらに山奥の村にでも向かうかの杖を頼りにゆっくりと歩んでいました。わたしも同じペースでその後に続きました。いったん立ち止まると、もう一度歩き始めるのがいち段と痛いので、ラグーナ・デ・カスティージャ村は横目で通り過ぎました。
 引き馬の一団に追い抜かされました。うらめしげな表情で見送っていたはずでした。
 「¡¡paso a paso!!」というのがわたしのカミーノのタイトルでした。日本語では一歩一歩です。ゆっくりでも歩き続けると、いつかはゴールにたどり着けるものです。
 それでもなんとか最後まで歩き切ってオ・セブロイロの公営アルベルゲに着いたのは、オープンする午後1時より早かったでした。

Paso a paso Dos 28日目=9/21 足を引きずりオ・セブレイロを登る

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 終盤に向けての難関、オ・セブロイ峠(1330m)への24kmほどの登りです。荷物はポーターに預けて万全を期したのですが、途中から左足首がチクチクと痛くなってきました。レオンのころに痛めたのとは反対の足。部位もちょっと上でした。

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 それでも昼過ぎには峠に着きました。1時からのアルベルゲ・オープンを待ってチェックイン。預けていたザックを探しにカフェを巡りました。

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 夕食に食べたのはボイルドハム?

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ブドウほお張る巡礼道

ブドウの収穫があちこちで行われてます。
おっちゃんに「写真撮らせ」と頼んだら、ボーズを取ってくれました。ちょっと緊張気味です。
期待したわけではないですが、「これ持っていけ」と2房くれました。ありがたく、1房だけいただきました。

端からほお張ります。甘さが口中に広がります。ワインもいいですが、こちらは採れたて100%の新鮮ジュースです。
ペェッ、ペェッと皮と種を巡礼道に吐き捨てながら、幸せな気分で歩きました。

広大なブドウ畑です。収穫は1房ずつ手作業です。

ブドウ畑の向こうに、奇妙な一軒家が建ってます。
きょうも30キロ歩きました。ゴールまで200キロを切りました。

Paso a paso Dos 27日目=9/20 ブドウ畑を抜けて

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長かった巡礼も、あと200kmとなった。
この日は最後の難関、オ・セブロイドへへの登りの負担を軽くしようと、ペレヘまで30kmのロング・ステージ。実は、これが裏目に出た。

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昼飯は、ビジャフランカ・デル・ピエルソで。
まだ早かったので、さらに歩いた。

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翌日の峠越えでは荷を軽くするため、ザックは「コモド」に運んでもらうよう準備した。

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