my camino=30日目 もはや、ここまでかと泣けてきた 

 トリアカステーラの町を出たところに分かれ道がありました。モホン(石標)が2本、並んで立っていました。黄色い矢印は左と右を向いてます。どちらに行ったらよいのでしょうか? たまにこんなことがありました。
 よく出くわしたのは、自らのアルベルゲやバルなどにペルグリーノを誘導するために付け加えられたニセ(回り道)の矢印でした。
 ここの分かれ道は、ガイドブックにも載っていました。右に行くとアップダウンはあるものの、まっすぐに次の目的地のサリアに向かいます。左を取ると、サモスというきれいな修道院の町を経由します。道は平たんですが、距離は長くなります。
 前夜のアルベルゲのベッドで思案しました。左足は相変わらずチクチクと痛かったのです。まあ、あれこれ悩んでも仕方ないので、歩きだしてから判断しようと眠りにつきました。で、その分かれ道までやってきました。そこまでは快調に歩いてこれたので、迷うことなくまっすぐサリアに向かう右を選択しました。
 霧に霞む朝でした。やがて東の空が明るくなりました。牧草地に何本もの光線が降り注ぎ、黄金に輝きました。これまでとは違った、すがすがしい巡礼路でした。
 でもよいことばかりは続きませんでした。気になる左足が、また痛み出したのです。「サリア」と書かれたレストランの看板と出会ったのは、町の中心地まであと5キロほどの地点でした。痛みは激しくなり、道端に座り込んでしまいました。
 スマホを取り出して、サリアの宿を予約しました。アルベルゲではゆっくりと休養できそうにないのでオステルを、しかも翌日もダメだろうと2連泊することにしました。これまでの行程で、1日分の貯金があったのです。
 いつまで座っていても、サリアは近づきません。痛い足を引きずって、トボトボと歩きました。町に入るとスマホを取り出して、Google mapで予約した宿までの最短路をたどりました。
 もはや、ここまでかと覚悟しました。3年前の巡礼でサリアからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでは歩いたことがありました。区切り巡礼と考えると、すでに聖地までつながったことにはなります。でも、サンジャン・ピエ・ド・ポーから歩いてきたのに、ここでリタイアかと思うと泣けてきそうでした。
 分かれ道で、左に進んで途中のサモス泊としておけばよかったでしょうか・・・。でも、それが分かれ道でした。
 わたしの人生にはも、そんな分かれ道がいくつかあったはずです。どちらを選べば正解だったのかは、その時点ではだれにもわかるはずがありませんでした。