京都一周トレイルの最終区間を歩きました。「西山コース」は、清滝から保津川まで下り、鳥居本、嵯峨野、嵐山を越えて、松尾山に登り、苔寺まで続きます。
清滝川にそって下ってきて、保津川と合流しました。「ギー、ギ」と音がするので川面を見ると、保津川下りの船でした。
のどかな嵯峨野の春です。菜の花が咲いてます。
嵐山の川岸に礼服の一団が並んでいます。何だろうと見ていると、対岸から新郎、新婦を乗せた船がやってきました。
どういう趣向なんでしょう? まあ、快晴で良かったですね、お幸せに!!
法輪寺は「十三参り」の振り袖姿の少女でにぎわってます。
満開の春です。
松尾山の頂上直下から望遠(420ミリ)で見下ろした渡月橋です。観光客でいっぱいです。
コースの詳細はHPをご覧ください。
これで伏見稲荷-東山-銀閣寺-比叡山-鞍馬-鷹峯-高尾-嵐山と続く京都一周トレイルを踏破しました。
カテゴリー: walking & climbing
京都一周トレイル 西山
西山
清滝-落合橋-鳥居本-嵯峨野-嵐山-松尾山-苔寺-上桂
2006/03/25
総歩数=24,113




ほととぎす 嵯峨へは一里 京へ三里
水の清滝 夜の明けやすき



「ギー、ギ」と音がするので川面を見ると、保津川下りの船でした。



(実は「つたや」です。一文字隠れているだけです)


松尾芭蕉の門人で蕉門十哲の一人、向井去来(江戸時代前期に活躍した俳人)の草庵です。




馬が食べると苦しむので馬酔木(あせび)という名がついそうです。







わが社のシステム関係の部署には、ここのお札がありました。







カラフルな防火用水です。


単線のレールを桂行きの電車がやってきます。
京都一周トレイル その7 西山
HP版はここをクリックしてください。
決定版 東海道五十三次ガイド
東海道五十三次を、わたしも歩いてみたくなりました。
京から江戸に下るか?
文庫本の「決定版 東海道五十三次ガイド」(東海道ネットワークの会21 講談社α文庫)です。1996年に書き下ろされたものが、昨年、加筆・再編集されて再出版されています。最近のブームを反映しているのでしょう。「見返り富士の旅」でも、歩いている中年が大勢いましたから。
西国街道 京へのぼる
春のような暖かな一日(2月25日)です。京の都から西国(山陽地方)を結ぶ古来の日本の幹線道路「西国街道」を通って、京七口のひとつ、鳥羽口を目指しました。
自宅から5分も北に歩くと、「桜井の駅跡」があります。「西国街道」の碑が建っており、これは「街角の再発見」としてフジサンケイグループが大阪府下のあちこちに建てた記念碑のひとつです。
見わたせば 山もとかすむ 水無瀬川
ゆうべは秋と なに思ひけむ
(新古今集 後鳥羽上皇)
碑にはこう彫られています。
JR山崎駅前にある離宮八幡宮は、荏胡麻油の生産と結びついてきました。
向日市の下川原地区です。静かな街道の佇まいが残っています。石畳が敷かれ、凝ったデザインの街路灯が並んでいます。
店頭には、早くも筍が並んでいます。
阪急東向日駅に近い梅ノ木あたり。右端に碑や道標が並んでいます。
街道は、桂川に突き当たりました。対岸へは「渡し」があったのでしょうか。彼方に比叡山の山並みが望めます。
吉祥院の商店街を抜けました。
「久世の大根飯、吉祥の菜飯、またも竹田のもんば飯」
赤い鳥-紙風船が歌っている「竹田の子守歌」を思わず口ずさみました。
京の都に到着しました。羅城門までやってきた。児童公園の片隅の石碑だけが、平安京の証なのでしょう。
HP版「西国街道 京へのぼる」もご覧ください。
河原町 本屋を見つける
「本の河原町」「書店の力量が問われる」「ストップ活字離れ」「京都の中心で本を選ぶ」「博士の愛したジュンク」「超ホンの壁」「そうだジュンク行こう」「書店進化論」「本の河原町は不滅です」「BALが変わる!本屋も変わる!」「書店は人材」「見やすい棚をめざして」「品揃え主義」
広告の中に並ぶ書名です。思わず、順に読んでしまいました。通勤途中に阪急京都線の通勤特急で見かけた中吊り広告です。
「河原町 本屋はどこに…」と書いたばかりです。それが、河原町のファッションビルBALの5~8階にジュンク堂がオープンするそうです。あす24日のことです。「四条通りの京都店がライバル!」とは、ちょっと小憎らしいです。
そういえば、大阪・梅田のハービス・プラザにもジュンク堂ができてるんですね。堂島にあれだけ大きなのがあるのに。「勝ち組」ばかりが景気がいいようです。
追加画像です。きょう、地下鉄・御堂筋線で見かけました。「ふたつのジュンク」です。
河原町 本屋はどこに…
京宝・スカラ座
京都・河原町を三条から四条へ向かいました。
1月いっぱいで、「京都宝塚劇場」が閉鎖になりました。1935年オープンの老舗映画館も、シネコンブームに押されて70年の歴史に幕が下りたのです。
わたしも京宝、スカラ座で何本の映画を見たことでしょう。といっても、それほどの映画マニアではありませんので、スカラ座に最後に入ったのは2年ほど前の「戦場のピアニスト」だったでしょうか。
ブックファースト
京都に住んでいたときは、1階の書店によくお世話になりました。
かつては駸々堂書店がはいっていました。バス停がその前にあって、ちょっと立ち読みしてでてくると、バスは行ってしまった。また待たされる-なんて思い出があります。
それが倒産して阪急系のブックファーストになって、こちらも閉め出されてしまいました。
ビーバー
書店の左側(南側)にレコード店のビーバーがありました。早くも落書きされたガラス越しにのぞいてみると、かつてと同じ店名でした。もちろん、CDやDVDのショップに替わってますが。
開店したのは、わたしの学生時代だったはずです。ここでドボルザークの「チェロ協奏曲」(指揮・カラヤン、チェロ・ロストロポーヴィッチ)やマーラーの「大地の歌」、モーツァルト「レクイエム」なんかのLPを買いました。1枚2000円は、学生の身には高額でした。領収書をジャケットの間にはさんでいたはずです。久しぶりにLPで聞いて見たくなりました。
何枚かのLPのジャケットをのぞき込みました。やはり、ありました。
フルトベングラー(通称フルベン)指揮、ウィーン・フィルのベートーベン交響曲第3番「英雄」です。当時の定番でした。
レシートはこんな具合です。
「レコードショップ ビーバー 京宝会館 24 MAR 72 2,000現」
駸々堂
ホテルが建っているあたりだと思います。石造りの立派な駸々堂書店があったのは。それも幻です。
丸善
丸善は昨秋、閉店する最後の日にやってきました。
それにしてもあの立派な建物がカラオケハウスになるんですか。京都の学生は本を読まずに、カラオケばっかり歌ってるんですか。ちょっと寂しい風景です。
蛸薬師
蛸薬師はすっかり若者の街に変身しています。焼き芋屋さんだけは健在ですが。
こ の角にも、わたしの記憶ではちょっと小さいですが本屋があった気がします。
OPA
大きなファッションビルがそびえています。
ここには京都書院とオーム社というともに2階建ての書店が並んでいたのですよね。
京都書院は、文化系というか芸術系が得意な書店でした。3階が画廊になっていて、高校生のときに、友人のはいっているデザイン部が作品展を開き、見にきたことを思い出さしました。
オーム社は理科系の出版も手がけている書店でした。アマチュア無線にこっていたときは、「CQ」という雑誌なんかを買ったものです。
みんな、姿を消してしまいました。
新京極には京極東宝の跡地に紀伊国屋も出店してます。四条にはジュンク堂があります。それにしても、なじみの店がなくなるのは寂しい限りです。
河原町もどんどん変貌を遂げています。変貌そのものは、停滞よりはましかもしれまっせんが、画一的なけばけばしい看板のビルが建ち並ぶ風景からは、京都らしさが失われていくんですね。
東海道五十三次 三条大橋へ
京都・岡崎の京都市美術館です。ここがスタートです。
京都市美術館は、昭和8年11月、東京都美術館に次ぐ日本で二番目の大規模公立美術館として設立されました。設立の機縁となったのは、昭和3年に京都で挙行された天皇即位の大典であり、その記念事業として、関西の財界はもとより多数の市民の協力を得て「大礼記念京都美術館」との名称で開設されました。
京都市美術館のHPの説明です。これでプレートの削られた部分が解明できました。
明治42年、武田五一の設計で誕生した「京都府立京都図書館」、現在は京都府立図書館。建て直されたが、壁面が保存されています。
神宮道から右折して三条通を西に向かいます。
絵に描いたような商店です。どことなく「高貴」な雰囲気も漂います。
「時代を超越した商店街」で紹介した商店街です。
鍾馗さんにも出会いました。
路地です。「三条大橋東二ノ七四」の表札がかかっています。
三条大橋に着きました。
東海道五十三次のゴールです。Sクンがここにやってくるのはいつの日ことでしょうか?
弥次さん、喜多さんも上洛を果たしてほっとしています。
全編はこちらをどうぞ。
「いるかすまし」って?
東海道五十三次の蒲原の宿(静岡県)あたりを歩いていて、意味不明の看板に出くわしました。魚屋です。桜エビやシラスはわかります。でも「イルカスマシ」って何でしょう? いくつも見かけるのです。
開店していた魚屋をのぞきました。でも、ここにいる魚はわかります。
「いるかすまし」発見です。何軒目かの魚屋の冷蔵ケースの片隅、それはありました。小さなパックで1000円もします。珍味なんでしょう。
黒っぽい皮に白い脂肪の塊のようです。乾燥させてあるようです。クジラのコロにも似ているようですが、聞く人がいなかったので、まだ正体不明のままです。
興津まで歩きました。今度は、そのものズバリの看板を発見です。「イルカあります 骨付(あばら)」とストレートです。
店をのぞきましたが、それはどこにあるのか? 「おじさん、イルカってどこにあるの?」
指さされた先のトロ箱がこれ。白色と赤い肉片がパックにはいってました。
「伊豆の港に揚がるのが、清水に回ってくる。うん、イルカだよ。醤油でたくとおいしいんだから。できたのがあったら食べさせてあげるけど、今はないね」
「イルカスマシは、蒲原や由比の方だね」とのこと。イルカの背びれを塩茹でにしたもの薄く切ったものらしい。同じ体験をした人もいるようで、お味のほどはこちらへ。
うーん、イルカか。この話は、動物愛護団体の頭の固いヤカラには内緒にしておきましょう。
「東海道の親不知」で出会った花
真っ青な駿河湾を背にして咲くスイセンです。
ウメも満開でした。
アンコ椿の伊豆も目の前です。
薩埵峠(さったとうげ)を越えました。東海道五十三次の由比から奥津(興津)に抜ける峠道で、「東海道の親不知」といわれる難所です。山塊が海に接する地点で、江戸時代はこの峠道しかありませんでした。今は、東名高速に国道1号、JR東海道線が走っています。
東に富士の高嶺、南に伊豆の岬、西に三保の松原と街道無双の展望が楽しめるはずでした。ところがどうした。肝腎の富士の高嶺はどこに行った? 雲の彼方です。
峠の展望台ではカメラマニア20人ほどが、夕日に染まる富士を撮影しようと、カメラの放列を敷いてました。