JR京都線(東海道線)の京都-高槻間には4つの「ねじりまんぽ」が残ってます。3つはすでに踏破しました残っていた自宅に一番近い「奥田ノ端橋梁」です。よく晴れ上がった日差しの中、カメラ片手に歩きました。
このあたりには、煉瓦積みのまんぽがいくつもあります。でもここだけがねじれてます。トンネルが線路に対して直交していないため斜拱渠(しゃきょうきょ)と呼ばれるこんな技術が使われているのです。
複々線の軌道敷のうち、南側2線部がねじりまんぽになってます。
大阪-京都間の鉄道は明治10年(1877)に開通した。ねじりまんぽはその時に建設されたが、軌道敷の拡幅で北側にコンクリート製のトンネルがつなげられたのです。
「奥田ノ端橋梁」と表記しました、実際には「奥田畑」と書かれています。「とうかい-140」というのが、JR西日本の正式名称のようです。
自宅からここまで歩きましたが、その前にくぐったただの「まんぽ」は、「つづき」に記します。