天下分け目の天王山は、祝日とあって大勢の人が登っていました。
ここは、豊臣秀吉を天下人にした合戦の舞台でもあります。ハイキングコースを地元・大山崎町が「秀吉の道」と名づけており、ルートには6枚の大きな陶板画が掲げられています。何気なく見過ごしてきましたが、改めて説明を読みながら下ってきました。
天王山の頂上にあるのは「天下人への道はここから始まった」です。大阪城を築き、関白となった秀吉と千宗易が描かれています。
陶板画は麓から順に時代を追ってますが、わたしは逆順に眺めました。
少し下った酒解神社近くに「明智光秀の最期」があります。
山崎の合戦で敗れた光秀は、近江・坂本城に逃げようとしますが、山科・小栗栖の竹やぶで落ち武者狩りの竹槍に刺され、自刃して果てます。
旗立松展望台には、幅5メートルはあろうかという2枚の大きな陶板画が並んでいます。
右は、「天下分け目の天王山」です。合戦は、山の上ではなく天王山東側の淀川沿いが主戦場となりました。
左は、「頼みの将兵来たらず」で、あてにしていた娘、ガラシャの義父、細川藤孝もやってこず、筒井順慶は洞ヶ峠を決め込みました。
三川合流展望広場には、「秀吉の中国大返し」が描かれています。
中国攻めの総大将として出陣していた秀吉は、信長の死を聞き、即座に戻ってきて光秀と対峙しました。
「本能寺の変」は当時の勢力図が描かれています。
アサヒビール大山崎山荘美術館の前にあります。こちらから登っていくのです。