天下分け目の天王山は、祝日とあって大勢の人が登っていました。
ここは、豊臣秀吉を天下人にした合戦の舞台でもあります。ハイキングコースを地元・大山崎町が「秀吉の道」と名づけており、ルートには6枚の大きな陶板画が掲げられています。何気なく見過ごしてきましたが、改めて説明を読みながら下ってきました。
天王山の頂上にあるのは「天下人への道はここから始まった」です。大阪城を築き、関白となった秀吉と千宗易が描かれています。
陶板画は麓から順に時代を追ってますが、わたしは逆順に眺めました。
少し下った酒解神社近くに「明智光秀の最期」があります。
山崎の合戦で敗れた光秀は、近江・坂本城に逃げようとしますが、山科・小栗栖の竹やぶで落ち武者狩りの竹槍に刺され、自刃して果てます。
旗立松展望台には、幅5メートルはあろうかという2枚の大きな陶板画が並んでいます。
右は、「天下分け目の天王山」です。合戦は、山の上ではなく天王山東側の淀川沿いが主戦場となりました。
左は、「頼みの将兵来たらず」で、あてにしていた娘、ガラシャの義父、細川藤孝もやってこず、筒井順慶は洞ヶ峠を決め込みました。
三川合流展望広場には、「秀吉の中国大返し」が描かれています。
中国攻めの総大将として出陣していた秀吉は、信長の死を聞き、即座に戻ってきて光秀と対峙しました。
「本能寺の変」は当時の勢力図が描かれています。
アサヒビール大山崎山荘美術館の前にあります。こちらから登っていくのです。
【2020/03/20 10:00】
水無瀬のわが家から歩いて出発。20分ほどで水無瀬川までやって来ました。目の前が、これから登る天王山です。
名神高速道路の下をくぐります。大山崎トンネルの西側口の直下です。
高さ約20メートルの水無瀬の滝です。古くから歌にも詠まれ、水無瀬に離宮を造った後鳥羽上皇も観賞された記録が残っているそうです。
きょうは、天王山西斜面のこのルートから登ります。
きれいな竹林が広がります。タケノコの収穫がシーズンインです。
進んでいくと、竹林がちょっと荒れてきます。
倒木も目立ちます。
【10:53】
ひと汗かいて十方山(304.3m)まで登ってきました。天王山より30mほど高いです。
このルートを登ったのは初めてです。
気持ちの良い尾根道を進みます。
10分ほどで天王山から柳谷観音に通じる尾根道と合流しました。
これもアセビでしょうか。形は似てますが花が小さく、葉の下に花がついています。
こちらがよく見るアセビです。
【11:23】
天王山の頂上西側広場です。たくさんのグループが弁当を広げています。
わが家がある水無瀬から枚方方面を眺めます。視界がよければあべのハルカスまで見えるそうです。
三川合流域の背割堤が目の下です。桜はまだ開花してないようです。
山崎聖天に下り、イート・インができるおいしいパン屋に向かいました。ところがこの行列です。しばらく並んでみましたが、まるで動かないので、あきらめて引き返しました。
【12:29】
JR山崎までやってきて、きょうはここまでとしました。
昼飯は帰宅して食べたので、「歩いて昼飯」とはなりませんでした。