熊野古道の紀伊路は、紀伊田辺からそのまま海辺を熊野那智大社に向かう大辺路と、山に分け入り滝尻王子を経て熊野本宮大社を目指す中辺路に分かれます。
わたしの「熊野九十九王子を往く」は27日、12日(回)目にして紀伊田辺から滝尻王子までの最後の空白区間を埋めました。
1泊した紀伊田辺から24キロほど。口熊野の山道を、そして富田川にそった川辺の道を独り歩き切りました。
この日の前半には山道もありました。ただしこの区間を歩く人は多くないようです。古道に雑草が茂っていました。
後半は富田川に沿って遡りました。川沿いを国道が走ってますが、古道はそこから離れて川辺を縫うように続いていました。
滝尻王子にゴールしました。大方の人はここから中辺路をスタートさせます。
わたしも2度、ここから熊野本宮大社まで歩いたことがあります。
【2024/05/26 07:06】
紀伊田辺駅前のビジネスホテルの朝食です。トーストにコーヒー、サラダと、これだけあれば十分です。
JR紀伊田辺駅からスタートしました。
新大阪行の「くろしお10号」が発車しました。
前日、歩いたルートを少し戻り、左会津川にそって歩きました。
本日、最初の王子である秋津王子跡は、住宅地の道に沿って石碑が建っているだけでした。
田植えが終わった田を横目に進みます。
立派な神社がありました。
万呂王子は、直前にきても案内がありません。GPSアプリの地図が示すのは、前方の梅林の中でした。
梅林の中に道標が1本立っていました。
梅の収穫作業をしていた奥さんに聞くと、「何も残ってないんですよ」。私有地のようでしたので、「通らせてもらいます」と許可を得て梅の木の下を通り抜けました。
次の三栖王子までは、山道になりました。
眺めのよいポイントもありました。
草が生い茂り、歩く人は少ないことがわかります。
山の中に三栖王子社跡の立派な石碑がありました。
次の八上王子までの区間が、最悪でした。梅林の作業道は縦横に走ってますが、それに惑わされてルートを見失いました。
GPSアプリ地図のおかげで自分のいるポイントはわかっています。ルートを外れたのを承知で大回りの作業道を進むと、荒れた古道と合流しました。
南方熊楠が半裸で写真におさまっている撮影場所に出くわしました。
熊楠も眺めた口熊野の風景です。
再び悪路を下りました。
山を越えて新岡坂トンネルの出口に降りてきました。
やれやれの八上王子に到着です。
中辺路は世界遺産に登録されて今年で20年です。
スペインのサンティアゴ巡礼路とともに世界で2つしか認められていない「道の世界遺産」です。その割にはこの区間は荒れ放題でした。
カラーの白い花がいっぱい咲いていました。
ちょうど1年前、ポルトガルからの巡礼路を歩いていて、同じ花に癒されたことを思い出しました。
畑の中のこんもりとした森です。
田中神社の社がありました。熊楠が命名した「オカフジ」が茂るそうですが、わかりませんでした。
稲葉根王子までの山越え道は、荒れているとの情報でした。ここはトンネルの広い歩道をショートカットしました。
富田川沿いの稲葉根王子です。五体王子のひとつで、格が高いです。ここが距離的には本日の中間地点でした。
スーパーマーケットで避暑をして、冷たいフルーツゼリーをいただきました。
川の右岸、左岸と渡って上流を目指しました。
一瀬王子跡までやってきました。
小学校で運動会が開かれていました。こんな時期にするんですね。
右岸に渡ったところに鮎川王子跡がありました。
右岸をそのまま進むと道の駅がありました。ここで昼飯にしようとおもっていました。ところが、予想に反して食堂なんてない小さな売店でした。
ロケットサイダーでひと息入れました。串本には、民間ロケット「カイロス」の打ち上げ場があります。
選択の余地はなく、おにぎりセットで空腹を満たしました。
さすがに歩き疲れてきました。アップダウンが激しい古道には戻らず、国道311号のトンネルをくぐりました。
つり橋を渡りました。
「娘道成寺」の清姫の墓です。
10年前に、何回かに分けた日帰りバスツアーで中辺路を歩いたことがあります。その時に見学して以来のことです。
滝尻王子はもうすぐです。最後の登りでした。
ツアーバスで走ったころは、山が崩れて大規模な復旧工事が行われていました。10年もたつと、コンクリートの堰堤もすっかり周りと調和しています。
滝尻王子の古道センターが見えてきました。到着しました。25キロ近くも歩いてました。
【13:49】
王子の前の茶店で、独り缶ビールで祝杯をあげました。
これで大阪・八軒家から始めた熊野詣は紀伊路を南下、田辺から中辺路に入り滝尻王子から熊野本宮大社までを歩き切ったことになりました。
別ルートで、京都・八幡の東高野街道からスタートして河内長野で高野街道に合流。高野山を経て小辺路を通って熊野本宮大社へつながるルートも歩いたことがあります。
もちろん、京都ー大阪をつなぐ京街道も歩いていますので、京の都から2つの道をたどって熊野詣を達成したことになりました。