「京七口」のひとつ、粟田口(あわたぐち)です。近江国大津から山科を経て三条に至る東海道の終点にあたります。元は豊臣秀吉が築いたお土居があった現在の河原町三条あたりにだったはずですが、いつのころからか三条大橋の東方に粟田口はあります。三条口とか大津口とも呼ばれます。
粟田口の石碑は、三条神宮道を少し下がった(南に行った)ところにあります。神宮道のはるか先に平安神宮の大鳥居が見えます。暑くなった日差しをあびて6日、三条通を歩きました。
地下鉄・蹴上から歩き始めました。向こうに南禅寺につながるまんぼうが。上部にはインクラインの線路が走っています。
ウエスティン都ホテル京都(左)の前から蹴上方面を振り返ります。みどりがきれいです。
三条通に面して「合槌稲荷明神」の鳥居が並んでいます。
粟田口一帯には、鎌倉時代に粟田口を屋号とする刀匠が住んでいたそうです。鍛冶や町の地名も残っています。
粟田神社への階段を上りました。大きな張り子の「出世えびす」が飾られています。
北方を臨むと、平安神宮の赤い鳥居、京都市美術館、右手はるかには京大の時計台も見えます。
粟田口の石碑は、京都市立白川小学校の前に建っています。
三条通を歩きます。古い民家も残っています。この家の2階の窓は、一枚ガラスのうえ、きれいな意匠が施されています。
『坂本龍馬 お龍 「結婚式場」跡』という真新しい石碑が建ってます。日本で初めて新婚旅行に行ったと言われる夫婦ですから、結婚式も挙げていたんでしょう。
白川にかかる「白川橋」を渡ります。きれいな水が流れています。
白川橋から100メートルほど南に入った路地わきに「明智光秀の首塚」があります。山崎の合戦に敗れた明智光秀は、近江・坂本城に敗走中、山科の小栗栖で土民の竹槍に刺されて亡くなりました。その首がどうしてここに埋められたかはわかりません。
竹細工店をのぞきました。
こちらはがま口の専門店。いろんな生地をつかったがま口がぎっしりと並んでいます。
三条大橋の東詰。高山彦九郎が御所を向いてひざまずいています。
東海道五十三次を旅した「弥次さん、喜多さん」。
三条大橋で東海道はおわります。