大阪・いずみホールにJ.S.Bachのマタイ受難曲を聴きに出かけました。ちょっと早く家を出て、京阪電鉄の京橋駅を探索しました。学生時代に京阪特急から環状線に乗り換えていた思い出の駅です。
「JR、地下鉄と連結する大阪有数のターミナル駅」というのが選定理由です。
JR環状線の京橋駅(改札口の位置が変わってます)を降りると、左側が京阪の京橋駅です。頭上を複々線の線路が走ってます。
3本のエスカレーターの右端は、京都行きのホームに直結しています。これほど長いエスカレーターは、当時は珍しかったものです。
京都・出町柳行きの特急です。私が通っていたころに、先代の3000系(今も大井川鉄道を走っている)がデビューしました。時代を感じます。
中之島線が開通して、新しい塗色の新型車がやってきました。
平面を走っていた京橋駅探訪は「続き」をご覧ください。
私が通い始めたころの京橋駅は、ホームは相対式で待避線や跨線橋なんてありませんでした。商店街を横切ってましたが、踏切はなく、駅員が旗で通行を整理してました。淀屋橋行きは、発車するとすぐにJR環状線の高架をくぐってました。
三条からの特急を下車して後ろよりの改札を出ると、すぐに商店街でした。朝、駅を降りると左側の中華料理店の店先で、いつも若いのが餃子に使う白菜を切り刻んでいました。妙に覚えています。同じ場所に立ってみました。「餃子」の看板です。この店だったのでしょうか!?
90度右を向くと「京阪京橋商店街」です。このあたりに淀屋橋行きのホームがあったはずです。
高架下の反対側(北側)は「シャトー商店街」です。大阪の人ならよくご存じのCMソング「京橋は・・・グランシャトーにいらっしゃい」(作曲はなにわのモーツァルトことキダ・タロー)のビルがあります。
そのビルを右手に高架下を進むと環状線の高架にぶつかりました。でもそこを右折すると、ビル北側の道の延長上に環状線を抜ける高架橋の名残がありました。ここを京阪は走っていたのでしょう。
このページ最初の高架を写した場所は、昔の線路上だったことになります。