ライプツィヒ 聖ニコライ教会とシュタージ

【6/7、8】
ライプツィヒの聖ニコライ教会は、聖トーマス教会とともにbachfest/バッハ音楽祭の演奏会場のひとつとなる教会です。聞けませんでしたが今年もここでトン・コープマン指揮のアムステルダム・バロックオーケストラが演奏しました。

ここは、東西ドイツ統一の流れを生み出した「月曜デモ」が行われた教会でもあります。
1982年9月の月曜日、集まった数百人の信者らが「平和の祈り」の後に市内を行進しました。それがどんどんと膨らみ、89年10月9日には7万人の市民が「Wir sind das Volk!(われわれは市民だ!)」とシュプレヒコールをあげて環状道路を埋め尽くしました。ホーネッカー書記長は弾圧する方針でしたが、ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団の指揮者、クルト・マズーアらの呼びかけでデモは平穏に終了。その直後にホーネッカーは失脚しました。

教会は1165年の創設とライプツィヒで一番古いですが、その後に改修の手が入っています。
内部は明るく、柱の上部は南国の植物をかたどっているように見えます。

北側に広い広場があります。ここもデモの人並みに埋まったのでしょう。

環状道路沿いにはルンデ・エッケと呼ばれる威圧的な建物が残っています。現在は「ライプツィヒ・シュタージ博物館」となっています。シュタージとは、東ドイツ時代の国家秘密警察のことで、国民の8人に1人は関係があったといわれているそうです。

壁には「1950-89年の間はライプツィヒ秘密警察の管理領域だったが、89年12月4日の月曜デモで市民に占拠された」と書かれています。

ルンデ・エッケの前には、ベルリンの壁の一部が、記念物として移設されていました。
ライプツィヒからわき上がった東西ドイツ統一の願いの声が、この壁をも壊す平和革命につながったのです。

博物館には入りませんでしたが、内部の壁には何枚かの写真が張られていました。
わたしはこの1枚をはっきりと覚えています。
当時、わたしは新聞社の国際面デスクをしており、最後は50万人にまで膨れあがったデモを驚異の目で見ていました。外国通信社から配信されてきたこの写真を、出稿(新聞記事にすること)しました。
改めて画像を見ると、オペラ座の裏手にある環状道路沿いのビルから写されていることがわかります。オペラ座の向こうにゲバントハウスが見えます。

ゲバントハウスから写したアウグスツゥス広場です。正面がオペラ座です。この広場を群衆が埋め尽くしたのです。写真右に写っている高層ビルから、上の歴史的カットは撮影されたのでしょう。

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