渡船で結ぶ水の都

甚兵衛渡船場1

 梅雨とは思えない日和です。久しぶりにDAHONを担いでポタリングしました。
 木津川と尻無川に囲まれた大阪・大正区。今も多くの渡船が、生活の足となっています。無料です。全部乗ってやろうペダルをこぎました。
 最初は甚兵衛渡船場です。港区福崎1-大正区泉尾7を結び、岸壁間は94メートル、乗船時間は2分です。

甚兵衛渡船場2

 乗り込んだのはおとな9人、子ども2人、自転車9台。ということは、みんな自転車で乗り込んだわけです。

千歳渡船場1

 どうしたのでしょう。この青空は。
 千歳渡船場は、大正区北恩加島2-同鶴町3の371メートルを結んでいます。今回の渡船では最長です。

千歳渡船場2

 若いママはスーパーへの買い物の帰りでしょうか。腕の日焼け対策は万全です。それにひきかえ無防備だったわたくしは・・・。

船町渡船場1

 船町渡船場は、対岸まで75メートル。大正区鶴町1-同船町1を結んでますが、すぐそこです。

船町渡船場2

 澪標(大阪市の市章)の透かし彫りの向こうに、ホンモノの澪標が立っています。

木津川渡船場1

 木津川渡船場の乗客はたったの2人でした。
 大正区船町1-住之江区平林1間は、238メートルです。

木津川渡船場2

 ここだけは大阪市港湾局管理の渡船です。他は大阪市建設局渡船事務所の管轄で、要するに「橋」なんです。だから無料です。
 上空には木津川大橋がかかり、そちらが開通してからは利用者が減り、ここだけは45分間隔の運航です。

千本松渡船場1

 千本松渡船場は西成区津守2-大正区南恩加島1を結んでいます。岸壁間は230メートル。
 上空にはループ上の千本松大橋が渡っています。
 「はるかぜ」は、平成18年3月に就航した新鋭船です。

千本松渡船場2

 下船も乗船も、自転車ばかりです。

落合下渡船場1

 落合下渡船場のあたりは、冬季には数百羽のユリカモメが飛来するそうです。
 大正区平尾1-西成区津守2の138メートルを結びます。

落合下渡船場2

 帰りの便の乗客はたったの一人。それでも2人の職員が運航します。

落合上渡船場1

 最後の落合上渡船場です。
 西成区北津守4から再び大正区の千鳥1へ。100メートルです。

落合上渡船場2

 川上には木津川水門がそびえています。
 残る天保山渡船場はかつて、乗ったことがあるので、水の都の渡船場全踏破です。
 それにしてもこの天気。腕はやけど状態です。
 ポタリングの詳細は、HP版をご覧ください。

「渡船で結ぶ水の都」への3件のフィードバック

  1. 私の父が日立造船桜島工場に勤めていたことから、国民学校2年生修了まで桜島の社宅に住み、桜島国民学校(終戦前に閉鎖されています)に通っていました。その頃に安治川に面した櫻島工場の北の端から対岸の港区へ「渡し」がありました。名称を忘れました。また、桜島工場の南端から対岸の天保山桟橋に「渡し」がありました。「一銭渡し」と言ったように思います。戦時中は大阪商船、戦後は関西汽船の別府航路の客船が天保山桟橋から出ていましたので、故郷の愛媛県へ行く時に、この「渡し」を利用しました。この他西九条の方だったかに、やはり安治川を渡る「げんぺいの渡し」というのがあったと記憶しています。

  2.  イリさん
     渡船場でもらった「渡船場マップ」(大阪市発行)によりますと、大阪の渡船は昭和10年頃には31カ所、保有船舶数69隻で、年間利用者数は約5752万人だったそうです。大阪が水の都だったことがよくわかります。
     現在は詩が運営する8カ所に渡船があり、平成13年度の利用者は約209万人だそうです。
     

  3. 転職するなら港区へ!!

    港区は、企業本社を日本で最も多く構える区であり、日本のビジネスの中心です。

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