太閤道を雨乞い岩から カレーうどんを食べに登る

 おじいさんは、きょうも山に柴刈りに出かけました。
 というわけで、雨乞い岩を通っていく初めてのルートから太閤道を目指しました。
 高槻の悠久の丘に下り、昼飯は熱々のカレーうどんでした。
 きょうから師走です。プシューの儀式は「冬物語」でした。

 気持ちの良い竹林を抜けていきました。

 雨乞い岩の上部から見ろします。手前は高槻市上牧、淀川の向こうは枚方市樟葉です。

 ドウダンツツジでしょうか。真っ赤に色づいていました。

 【2020/12/01 10:32】
 JR島本から太閤道が通る尾根を見渡します。

 名神高速の北側に沿って梶原トンネルの東側出口です。

 ここから太閤道に登ります。

 竹林の間を通り抜けると、落ち葉のジュータンになりました。

 【11:14】
 25分ほど急坂を登って、最初の鉄塔までやって来ました。

 雨乞い岩は、すぐそこです。

 この岩の上で雨乞いをしたのでしょう。

 「天保十亥年」と彫られた石碑が転がっています。
 天保10年(1839)は「己亥」です。天保の大飢饉は、天保4年に始まり、10年まで続いたそうです。何らかの関係があるのでしょうか。

 緩やかになった尾根道をたどると、太閤道と合流しました。

 【11:32】 
 前回、昼飯を食べた日当たりのよいスポットです。

 昼飯にしようかと、わがマンションを見下ろしながらしばらく休憩しました。でも、まだ腹が減っていないので歩きました。

 太閤道は、金竜寺跡を通って磐手橋に下ります。左折して悠久の丘に降りました。

 西向きの展望が開けました。六甲山が雄大です。

 【12:14】
 高槻市立公園墓地の最上部に出てきました。気持ちの良いベンチがあったので、ここで昼飯にしました。

 パスタを切らしていたので、うどんにしました。
 レトルトのカレーがあったので、カレーうどんに決定。きつね用に甘く炊いて冷凍されていた揚げを1枚。九条ネギを刻んで持ってきました。
 写ってませんが、出汁もつくり、ペットボトルに詰めました。

 ガスバーナーに四角いコッフェルです。
 出汁を温め、凍ったうどんを放り込みます。
 レトルトのカレーをいれ、揚げも切って放り込みます。
 グツグツト煮あがったら、ネギを入れます。
 最後に、京都・清水坂の七味家本舗の七味を振りかけて、でき上がりです。

 「秋味」でも買うかと入ったコンビニに並んでいたのは、すでに「冬物語」でした。これを飲みながら、煮あがるのを待ちました。

 鍋から直接の熱々をハフハフといただきました。当然ながら旨いです。

 カレーうどんには白いご飯が欠かせません。残念ながらコンビニに白いにぎりはなかったので、「わかめごはんにぎり」です。

 インスタントのコーヒーもいれてくつろぎました。

 【12:56】
 ゆっくりと休憩した、さて下山です。公園墓地の中にある安満宮山古墳(あま みややま こふん)に行くつもりでしたが、道を間違えて墓地を下ってしまいました。

 名神高速のすぐ近くまで下ってきました。ところが急階段は通行禁止になっていて、大回りとなりました。

 【13:25】
 左の階段を降りてきました。そこは、よく車で走る名神高速の側道でした。

 名神高速の高架橋を渡りました。高槻JCTの辺りが見渡せます。

 西国街道に出てきました。そのまま水無瀬に向けて歩き続けました。結構な道でした。

 上牧の辺りから、登ったルートを見上げました。
 水無瀬の自宅に帰り着いたのは、スタートから4時間後でした。

 赤色がきょうのルート。青色はこれまでの軌跡です。