独りで歩いていた弘前大くんと初めて会ったのはどこだったのかは思い出せません。でも、すっかり顔なじみになっていました。青森県の弘前大学の学生さんで、生まれも育ちも弘前ということでした。
この日、レリエゴスから歩き始めたわたしは、1時間ほど歩いて次の村、マンシージャ・デ・ラス・ムラスを通り過ぎました。開いているバルが見つからなかったのです。マンシージャに泊まっていた弘前大くんと顔を会わせ、話しながら一緒に歩きました。「ペース、早いですね。ぼくはいつもは抜かされてばかりです」。若い彼に、そんなことをいわれました。
国道沿いのバルに入って朝食にしました。彼もいったんはバルに入りましたが、ボガティージョがなかったので、「次のバルに行きます」と出ていきました。わたしはクロワッサン1個で満腹でしたが、若い彼はそれでは満足できないようでした。じょっぱりな性格の一端だったのかもしれません。
弘前大くんと出会った場所を思い返してみました。エステージャあたりで出会っているはずです。ベロラードの町を出るときは、終夜営業していたディスコのようなところで、朝まで歌い踊っている若者を見ながら、自動販売機でジュースを買いました。サン・ファン・デ・オルテガのアルベルゲは同宿でした。並んで巡礼定食を食べました。その翌日、一緒に歩いていたふみさんとカルデニュエラ・リオピコのバルに入ると、彼はボガティージョンにかぶりついてました。
カリストヘリスでは日本人が大集合。サワさん、まやさん、弘前大くんと早大くんの5人で自炊しました。サワさんが炊いてくれた銀シャリを懐かしく味わいました。
カリオン・ロス・コンデスの人気アルベルゲは、午後の早い時間に「コンプリート(満室)」になりました。それからだいぶたって彼が現れました。チェックインを断られましたが、彼はひるむことなく交渉。「マットレスなら」という妥協を引き出し、廊下の端に敷いたマットレスをその夜のねぐらとしました。「かえって静かで寝られそうですよ」と淡々としている彼が大人(たいじん)に見えました。一緒に夕食に出てレオン産のワインを1本注文、2人で飲みました。わたしのおごりとはいえ、5ユーロほどのことでした。
オ・セブレイロの峠道でも出会い、最後はサリアでした。夕食を共にして、ここまでの健闘をたたえ合いました。
思い出せるだけでもこれくらいの回数は顔を会わせています。同じ道を、同じ方向に歩いているのですから当然ともいえます。でも、約束したわけでもないのに、偶然の積み重ねでこんなに同じ人と出会うのも、カミーノの楽しみのひとつかもしれません。