京街道を上る 野洲から中山道~東海道を石山まで
朝鮮人街道を鳥居本から野洲まで歩いたあとは、さらに中山道を京に向かいました。東海道の石山までの道のりは、中山道をお江戸日本橋から歩いてきた友達と二人連れでした。 天気は悪くはないですが、まだまだ肌寒い風が吹き、ザック … 続きを読む 京街道を上る 野洲から中山道~東海道を石山まで
朝鮮人街道を鳥居本から野洲まで歩いたあとは、さらに中山道を京に向かいました。東海道の石山までの道のりは、中山道をお江戸日本橋から歩いてきた友達と二人連れでした。 天気は悪くはないですが、まだまだ肌寒い風が吹き、ザック … 続きを読む 京街道を上る 野洲から中山道~東海道を石山まで
朝鮮人街道を能登川から安土まで歩きました。JRでは1駅間です。でも途中で安土城跡にも登ったので、18,000余歩の心地よい散歩となりました。これで朝鮮人街道は鳥居本から野洲までを歩き通したことになります。 【13:5 … 続きを読む 京街道を上る 朝鮮人街道を能登川から安土まで
【10:33】 近江路の朝鮮人街道は、中山道の鳥居本宿から別れて、彦根の城下を通り、近江八幡を経て野洲まで続いている。よい天気となった20日、出発点の鳥居本から歩き始めた。 彦根城を横目に通り過ぎた。
「朝鮮人街道(ちょうせんじんかいどう)」は5月末に安土-近江八幡間を歩きました。よく晴れ上がった3日(文化の日)に、急に思い立って続きの近江八幡から中山道と合流する野洲までの10キロほどをたどりました。 写真はゴール … 続きを読む 京街道を上る 朝鮮人街道を近江八幡から野洲へ
「京七口」のひとつ、粟田口(あわたぐち)です。近江国大津から山科を経て三条に至る東海道の終点にあたります。元は豊臣秀吉が築いたお土居があった現在の河原町三条あたりにだったはずですが、いつのころからか三条大橋の東方に粟田 … 続きを読む 京街道を上る 粟田口を訪ねて三条通りを歩く
京街道と呼ばれた都に上る街道は各地にあります。「朝鮮人街道(ちょうせんじんかいどう)」は、近江国(滋賀県)を通る中山道の鳥居本宿(彦根市)から分岐し、彦根、能登川、安土、近江八幡、野洲を経て守山宿で再び中山道と合流する … 続きを読む 京街道を上る 朝鮮人街道 安土から近江八幡まで
「京七口」のひとつが鞍馬口です。ここから都を出て、鞍馬街道を通って鞍馬寺に参拝したのです。後白河法皇も、出家して大原・寂光院で過ごす建礼門院徳子のもとを訪れる「大原御幸」の際に通ったとされます。 五月晴れとなった22 … 続きを読む 京街道を上る 鞍馬街道~鞍馬寺から鞍馬口へ
「京七口」のひとつが荒神口です。河原町通の丸太町と今出川の中間に、現在もその名の交差点があります。大津・南志賀町から山中町を経て北白川を通り都へと上った山中越(志賀越)の終点です。 長かった連休最後の一日、京都も夏日 … 続きを読む 京街道を上る 「山中越」は石仏ロード 荒神口へ
「京七口(ななくち)」というのは、京に上る街道の京への入り口の総称です。 これまでに歩いてきた伏見街道には伏見口、竹田街道には竹田口、鳥羽街道や西国街道には鳥羽口、山陰道には丹波口、鯖街道の若狭街道には大原口がありま … 続きを読む 京街道を上る 京見峠から長坂口へ
天正10年(1582)6月1日亥の刻(午後10時)、明智光秀は丹波・亀山城(亀岡城)を発った。織田信長の命で、備中・高松城を水攻めしている羽柴秀吉の援軍として山陽路を行くはずだった。それが老ノ坂を越えた。京までの山陰道 … 続きを読む 京街道を上る 山陰道 亀岡から明智越を丹波口へ