京街道を上る 朝鮮人街道 安土から近江八幡まで

 京街道と呼ばれた都に上る街道は各地にあります。「朝鮮人街道(ちょうせんじんかいどう)」は、近江国(滋賀県)を通る中山道の鳥居本宿(彦根市)から分岐し、彦根、能登川、安土、近江八幡、野洲を経て守山宿で再び中山道と合流する脇街道です。徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利し凱旋した街道です。江戸時代には将軍上洛に利用され、朝鮮通信使が通行したためこの名があります。
 五月晴れとなった29日、その一部の安土から近江八幡まで約6キロを歩きました。

 10:25=JR安土駅前には、この地に安土城を築いた織田信長の像が建っています。胴長短足なのは、本人がそうだったためなのでしょうか?


 10:21=JR安土駅前までは自宅最寄りの島本駅から乗り換えなしの快速、といっても各駅停車で1時間ちょっとかかりました。

 10:29=安土町内には安土城跡やセミナリヨ跡など観光名所もありますが、駅前を横切る朝鮮人街道に沿って西へ向けて歩き始めました。「楽市楽座」は織田信長が始めた経済振興策です。それが観光案内所の名前になってます。

 10:35=10分も歩くと、田植えをしたばかりの田が広がりました。向こうをJR東海道線が走ります。

 10:41=街道脇に半鐘が残ります。

 10:50=あちこちに麦畑が広がります。麦秋です。

 10:55=一里塚でしょうか。大きな常夜灯が残ります。

 11:08=近江八幡市に入りました。向こうには八幡山に登るロープウエーが見えます。

 11:18=この日、初めておめにかかった「朝鮮人街道」の文字です。曲がりくねった農道が合流しているところが朝鮮人街道と、八日市、永源寺を経て鈴鹿山脈をこえ、三重県桑名市に出る八風街道との分岐点でした。

 11:19=このあたりの常夜灯のスタイルです。上部にはロウソクを灯す窓ではなく、木片が埋め込まれています。

 11:32=近江八幡は豊臣秀次が築いた八幡城の城下町です。整然とした道が碁盤の目になってます。縄手町のあたりは、古い家並みが残ります。

 11:33=柱に紅殻を塗っている立派な家が多いです。

 11:42=近江八幡は、建築家・ヴォーリスの設計した建築物が多く残ることでも有名です。ちょっと街道からはずれて近江兄弟社学園まで歩きました。創設者の一柳満喜子(ヴォーリス夫人)の像の向こうに、瀟洒な洋館の校舎が並びます。

 11:52=ヴォーリス建築のひとつ、ハイド記念館です。内部をのぞき込みましたが、素敵なシャンデリアがぶら下がっているのが見えるだけでした。見学には予約が必要でした。

 12:06=白壁と黒塀の対比が美しい永原町通りです。この先の「尾賀商店」でゆっくりとしました。

 12:38=酒蔵を再生した「酒游館」です。ランチもあって、ひと休みしたかったところですが、先を急ぎました。

 12:46=これもヴォーリス建築の八幡町郵便局です。

 内部から見ました。

 外部からの窓の意匠です。

 12:57=京街道は、町を東西に横切ります。

 12:58=「朝鮮人街道」の表記もあります。

 12:59=「京街道門前通り」という商店街までやってきました。

 13:03=本日のゴールと定めていた八幡本願寺です。立派な本堂です。
 江戸時代には、朝鮮通信使がここで昼食を使いました。

 13:29=ここからは近江八幡観光です。八幡堀を散歩しました、掘り割りに黄しょうぶが咲いてます。

 14:34=向こうが白雲橋です。

 14:41=ロープウエーに乗って八幡山に登ります。

 15:00=八幡山城の西の丸跡から琵琶湖を望みます。右の山の上に西国札所の円命寺が見えてます。この湖岸は、「琵琶湖周歩の旅」で歩き、「琵琶湖周輪の旅」でペダルを踏んだところです。

 15:05=西の湖に水郷めぐりの小舟が浮かんでいるのが見えます。

 15:06=歩いてきたコースが見渡せます。

 15:12=秀次を弔うために母(秀吉の姉)が創建した村雲御所瑞龍寺です。 

 15:35=近江八幡の風物詩、日牟禮八幡の「左義長祭り」で使われる左義長が展示されてます。

 16:34=バスでJR近江八幡まで行き、新快速で帰宅しました。

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