京城勝覧を巡る 第十三日 「らーめん切符」で鞍馬へ

 貝原益軒が記す江戸時代の京都ツアーガイドブック「京城勝覧」を巡る第十三日です。「鞍馬山にゆく道をしるす 京より三里あり」です。
 鞍馬や貴船は、いく度となく訪れたスポットです。鞍馬街道を都まで歩いたこともあります。でも、おもしろいものを見つけました。鞍馬まで走る叡山電車(叡電)の「えいでん麺 京都一乗寺らーめん切符」です。1700円で叡電が1日乗り放題のうえ、一乗寺ラーメン街道の7店のうちで好きなラーメンを食べることができます。
 展望電車「きらら」で鞍馬までやってきました。きららは、第十一日に比叡山に登った雲母坂からとられています。デオ900系には「メープルグリーン」と「メープルオレンジ」の2編成が走っています。

 二ノ瀬-市原間にある「もみじのトンネル」です。紅葉のシーズンには、電車がゆっくりと走ってくれます。
 真っ赤とはいえませんが、ずい分と色づいています。


 
 昼飯は、ラーメン激戦区の一乗寺で、もはや古参となった「中華そば 高安」でいただきました。

 観光列車「ひえい」で、比叡山の登山口・八瀬にも回りました。
 2路線計14.4キロの叡電ですが、全線踏破しました。
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自分でつくる 京都のたぬきうどん

 京都の「たぬき」です。昨日、奈良で吉野葛を買ったばかりです。さっそくの登場です。
 大阪で「たぬき」といえば、きつねそば、つまりは揚げがのったそばのことです。ところが、京都ではあんかけのうどんです。刻んだ揚げと九条ネギがトッピングされています。薬味は七味ではなく、おろし生姜です。たっぷりとのせます。
 寒い日でも、これを食べると体がホカホカと暖まります。

 昆布、かつお、イリコをボトルに入れて冷蔵庫に常備している出汁を使いました。これさえあれば後は簡単です。
 自分の手だけは足らず(?)、奥さまの応援を得ました。

 冷凍のうどんと、味付けして冷凍してある揚げを使いました。もちろん主役は吉野葛です。
 「大和国大宇陀町 森野藤助謹製」、「大日本葛粉製造元祖 創業四百五十年」と書かれています。

 森野吉野葛本舗
 0745-83-0002
 奈良県宇陀市大宇陀上新1880

奈良 「鹿の舟 竈 」の季節の天ぷら定食と「正倉院展」

 奈良国立博物館で開かれている第73回正倉院展を観ました。昼ご飯は、奈良町を南の方まで歩いて「鹿の舟 竈 (かまど)」でいただきました。
 メニューは多くはなく、ほとんどの人が食べている「季節の天ぷら定食」(1800円)です。
 エビやイカも登場していますが、その姿をドーンと晒してはいません。エビはすりおろしてレンコンにはさまれ、イカはシイタケの傘の内に隠れています。サクッと揚がったのを、塩だけでいただきました。

 むかごの天ぷらって、当然ながら初めてです。

 「本日の5品」です。

 小鉢は、ほうれん草のゴマ和えと大根、厚揚げがじっくりと炊きあげてあります。

 炊き立てのごはんはお代わりを頼んで、しっかりと2膳分いただきました。もう満腹です。

 目の前の竃で炊いてます。おいしいはずです。

 奥さまは「天茶セット」でした。天ぷらは同じです。天ぷら茶漬けにする天つゆと薬味がついています。

 真ん中に大きなカウンターをめぐらせた明るいスペースです。

 反対側は特産品売り場になっています。奥さまは吉野葛をお買い上げです。
 わが家では、冬場の「たぬきうどん」に必須です。京都のたぬきうどんは、あんかけうどんの上に刻んだ油揚げと九条ねぎが載っています。

 鹿の舟 竈
 0742-94-5520
 奈良市井上町11

 隣接して「鹿の舟 囀 (さえずり)」(カフェ)と「鹿の舟 繭(まゆ)」(案内所)があります。

 庭の十月桜が雨滴を溜めていました。

 正倉院展が開かれている奈良国立博物館です。
 晴れ上がったり、土砂降りの雨になったりと、安定しない天気でした。

 コロナ以来、入場は予約制となり、待たなくても入れるようになりました。
 チケットはネットで予約、コンビニで発券されました。

伊勢参り 番外 起点は玉造稲荷神社

 歩いて伊勢参りは、京都・観月橋からスタートして、7回で宇陀・榛原に達しました。でもまだ全行程の半分といったところです。
 わたしが歩いている伊勢本街道は、大阪・玉造の玉造稲荷神社が江戸時代の玄関口でした。そこに「起点」と記した碑が建っています。
 遅まきながら訪ねました。伊勢まで約170キロです。 

 江戸時代のお伊勢参りの風景が錦絵になっています。

 社伝によると、垂仁天皇18年(紀元前12年)に天皇によって創建されました。蘇我氏と物部氏の戦いの際、蘇我氏方の聖徳太子がこの地、玉作岡に布陣して戦勝を祈願し、戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承があるそうです。

 大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家、なかでも豊臣秀頼と縁が深いです。この石鳥居も秀頼に寄進されたものですが、阪神大震災で崩壊、現在は上部だけが残っています。

 秋田実の笑魂碑というのもあります。

 上町台地の北端にあります。この辺りは坂が多いです。

 玉造稲荷神社
 大阪市中央区玉造2-3-8

 10分ほど歩いたところにある玉造稲荷神社分社です。
 こちらには浪花講発祥の地の新しい碑が建っています。浪花講は、伊勢参りなどの旅を安全なものにしようと文化元年(1804)に立ち上げられました。現在の協定旅館のルーツとされます。優良加盟店では「ぼったくり禁止」「飯盛り女を置かない」「賭博禁止」などの規制を設け、目印に浪花講の看板を揚げさせました。

 道標には、なら、伊勢、暗峠の手前にある大師堂と刻まれています。

 浪花講のかわいい御守もあったようです。

 わたしが玉造稲荷神社に参ったのは、これが欲しかったからです。神社が発行している「伊勢参宮本街道行程図」(500円)です。国土地理院の2万5000分の1の地図に、伊勢までのルートが赤線で引かれています。
 開いている榛原などの地図が、冊子のちょうど真ん中の22-23ページです。

 榛原から先は、日帰りで区切ることはできません。途中にはコンビニ一軒ないような山道と田舎道が続くようです。

京都・桂坂 モミジバフウの並木道 2021

 京都・桂坂のモミジバフウの並木道が、早くもお終いを迎えつつあるという情報です。慌てて車で出かけました。
 赤い葉は、落ち葉となって、スカスカに冬枯れた幹までも。
 今年の紅葉は、ちょっと遅いとタカをくくっていました。季節は確実に移ろっていました。

 夕陽を浴びて、いっそう鮮やかに染まりました。

 洛西の高台にあるだけに、市内中心部よりは気温が低いようです。

伊勢参り その7 伊勢本街道を長谷寺、榛原まで

 歩いて伊勢参りのその7です。山の辺の道を南下してきた大和路は、桜井から伊勢本街道に沿って東進します。JR三輪から歩き始めて、長谷寺を通り榛原まで13.6キロほどでした。
 道中で「いせ」の文字と何度も出会いました。
 長谷寺の紅葉を期待していました。しかし、五重塔はまだ緑の中に頭を出していました。 

 長谷寺の前にある茶屋で昼飯を食べて、拝観せずにUターンしました。

 「いせ」が近づいてきたようです。

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自分でつくる ベーコンとブロッコリーのパスタ

 「わたしの分も作っておいて」と、奥さまはちょっとお出かけ。冷蔵庫にブロッコリーがあったので、ベーコンとともに簡単にパスタにしました。
 アーリオ・オーリオのオイルに、刻んだベーコンと生のままのブロッコリー、パスタの茹で汁を放り込んでちょっと煮込みました。ブロッコリーはすぐに柔らかくなってソースの完成です。
 水分がちょっと少なかったようです。口の中の水気が奪われそうですが、いいお味にはなってました。

 ブロッコリー半分を、茎もいっしょに刻みました。パスタは2.5人分で、200gほどです。

伊勢参り その6 山の辺の道を桜井まで16キロ

 「ブエン・カミーノ!」と声をかけたくなるような光景でした。のどかな秋晴れの一日でした。
 歩いて伊勢参りのその6は、天理から山の辺の道を桜井まで歩きました。16キロほどありました。ほぼ平たん路とはいえ、久しぶりのロングウォークとなりました。
 スペインのサンティアゴ巡礼路を歩いているかのようでした。前にも後ろもハイカーが。そしてすれ違う人も。歩いていることの楽しさがあふれていました。

 大神(おおみわ)神社のご神体である三輪山に、きれいな秋雲がたなびいていました。

 大神神社に参りました。

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自分でつくる ロメスパ風スパゲティ大盛り

 ロメスパ、すなわち路面スパゲティのことです。東京の「ジャポネ」が有名ですが、わたしは「リトル小岩井」でした。現役時代に東京出張したときには、隣のビル地下街にあるそちらの「バジリコ」でした。
 あの味が懐かしくて、挑戦しました。
 醤油をちょっと入れた和風の味付けです。皿が盛り上がる大盛りでしたが、食べ尽くしました。

 ロメスパには必須の太麺です。茹で時間は、なんと16分です。しかもアルデンテはダメです。
 くたくたになるまで煮て、いったん湯を切り、オリーブオイルでコーティングして、冷蔵庫で寝かせました。
 ここまでが朝食直後の下準備でした。

 チンゲン菜やタマネギ、ニンニク、豚肉を刻みました。
 味付けは、醤油とケチャップ、コンソメです。化学調味料も入れたいところですが、わが家にはありません。

京城勝覧を巡る 第九日 紅葉には早い三尾を訪ねる

 貝原益軒の記す「京城勝覧」の後回しにしていた第九日です。『高雄槇尾栂の尾に行道』です。高雄は高尾とも書いて、他の2つの尾と合わせて三尾(さんび)とも呼ばれます。いずれも紅葉の名所です。
 ちょっと早いのはわかっていました。でも秋の観光客で込まないうちにと、車で出かけました。
 昼飯は、静かな清滝川の川辺で、途中でテイクアウトしていた京都・穂久彩の「太秦のり弁当」をいただきました。

 京城勝覧の1ページです。

 「♬ 京都栂ノ尾高山寺 恋に疲れた~」は、「京都大原三千院」に続くデューク・エイセスの「女ひとり」のセカンドコーラスです。有名なお寺ですが、わたしは参ったことがありませんでした。
 紅葉はまだ先ですが、きれいにグラデュエーションを描いている枝もありました。

 高雄神護寺は、長い石段を登った山の中腹にあります。
 平安時代に、文覚上人が再興した寺です。「盛遠と袈裟」の戀塚寺で書いた北面武士・遠藤盛遠その後の姿です。

 神護寺では時代劇映画のロケが行われていました。300人はいるかという町人姿らのエキストラが群がり、金堂への正面階段から下の毘沙門堂にかけては市のセットが設えられていて近づけませんでした。

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