京の三十三食 六番 下鴨 音色食堂のランチ(C)

 きょうから8月です。平日はすべて放射線治療にスケジューリングされています。さあ、がんばって「京の三十三食」も食べ進みます。
 わたしが育った下鴨の「廃墟探検」がテーマです。下鴨神社の次の一本松で京都市バスを降りました。通りを東に入ると「音色(おんしょく)食堂」はありました。
 食べたのは「ランチ(C)」です。今どき、ありがたいワンコイン+10円です。
 コロッケとウインナーソーセージ、新鮮野菜とポテトのサラダがメーンです。

 揚げたてなのか、電子レンジで加熱したものかはわかりませんが、サクッとした衣にちょっと甘いコロッケです。昔の肉屋のコロッケを思いだします。

 コチラも甘めの味付けのふんわりとした卵焼きです。おふくろの味でしょうか。

 醤油、ソース、七味の3点セットは、バスケットに入って料理と一緒に運ばれてきます。

 昼のみのランチはA、B、Cの3種類です。一番豪勢なセレクトですが、価格差は40円です。

 一番人気は日替定食で、ワンコインで釣りがきます。
 わたしより先に来店していた3人は、みんなこれでした。3人はバラバラの男性客で、いずれもわたしと同年代でした。

 常連客には、これでもかとサービスは続きます。

 壁一面に紙が張られ、メニューが書き連ねられています。

 「経費節約」とはいえ、新聞社勤めだった身としては残念なことです。

 どなたかのブログで「廃墟」と表現されていたのはこのことです。
 テントははがれ、看板は数年前の台風で壊れてしまい、鉄骨だけです。店名がわかるものはありません。その前に食堂とわかるようなものもありません。何も書かれていないドアを開くには、探検気分の勇気がいります。
 もっとも、内部は予想に反してきれいです。心配は不要です。

 ショーウインドーには、どうしたことか年代物の受験参考書です。しかも東大に京大。下段には2022年版の共通テスト対策本もあり、どうやら現役です。

 店の横の路地(ろーじ)は、わたしの中学への通学路でした。
 おばちゃんに「いつからやってるの?」と聞くと、「わたしがここに(嫁入りして)来たときから60年は変わってません」という返答が返ってきました。
 昭和30年代の後半にも、同じように存在したのです。

 音色食堂
 075-781-2282
 京都市左京区下鴨膳部町1-23

 懐かしさに、路地を北に進みました。
 和菓子の「宝泉堂」がありました。JR新幹線の京都駅にも大きな店舗があります。社長は同級生です。

 この日の京都市の最高気温は37.4度でした。「下鴨探訪」は別の機会にしようと、洛北高校バス停から市バスで帰宅しました。

京の三十三食 五番 新町 矢尾定の塩さば定食 

 治療を終えて病院前から乗った京都市バスは3系統でした。四条河原町で右折します。そのまま四条烏丸まで乗りました。行ってみたい店がありました。
 「ごはん処 矢尾定」です。新町通にあり、昼はサラリーマンらもやって来る定食屋さんです。頼んだのは、サラリーマン昼食の王道ともいうべき「塩さば定食」(900円)です。
 わたしもかつてはよく食べたものです。覚えているのは本社が大阪・桜橋にあったときに、大阪駅前第一ビル地下の夜は飲み屋の昼店で、おばちゃんがカウンターの向こうで焼いてくれたさばの味です。懐かしいです。  

 おろし大根とともにひと口つまんで、びっくりしました。ものすごい脂がジュワーッと口いっぱいに広がりました。これまで食べた中でもピカイチのさばでした。

 小鉢は、冬瓜とゴボウなど野菜の煮物でした。予想外に濃い味付けでした。

 ゆったりとした店内です。壁には祇園祭の山鉾の粽が飾られています。

 店の奥には、祇園祭の後祭で巡行する大船鉾の大きな木製の車輪が展示されています。

 いろんな魚が定食になっています。塩さばは、一番安価な選択でした。
 店の一番人気は、きょうはイカリングフライがメーンの「日替定食」(850円)でした。

 矢尾定は、明治42年に創業した京料理の仕出し屋です。築80年の京町家を丁寧に改装してごはん処をオープンさせました。

 祇園祭の鉾町の一角です。先日までは、ここそこに山鉾が立っていて、にぎわっていたところです。

 ごはん処 矢尾定
 075-351-3518
 京都市下京区新町綾小路上ル四条町361

 放射線治療は、きょうで1クール(5回)が無事に終了しました。会社勤め同様に土、日曜日は休みです。ほっとしました。

京の三十三食 四番 出町柳 名曲喫茶柳月堂の九条ねぎ焼き

 放射線治療は昼前には終わります。さて「京の三十三食」となるわけですが、きょうは午後3時から主治医の診察が予定されていました。この暑い中、どうして時間をつぶそうかー。
 出町柳の「柳月堂」を思いだしました。わたしが高校生だったころに、初めてはいった音楽喫茶です。今も健在です。
 1階のベーカリーでパンを2個買い、トレーを持ったまま2階のリスニングルームに上がりました。アイスコーヒーを注文して、ゆっくりといただきました。 

 九条ネギがトッピングされた「九条ねぎ焼き」(190円)と、もう1つは「ハムクロワッサン」(160円)と、極めてリーズナブルです。店で焼いています。

 飲み物には、テーブルチャージが加算されます。合計で1700円になりますが、2時間半もの間、冷房のよく効いた部屋でクラッシック音楽に浸れたのですから大満足です。

 30人くらいがゆったりと座れるリスニングルームです。入ったときは、わたし1人でした。
 この部屋は会話禁止です。他にも禁止事項は多く、要するに静かに音楽に集中します。

 壁面にはLPレコードがぎっしりと並んでいます。

 大きくて目をひくマルチ・セルラーホーンを中心としたスピーカーシステムです。
 ベルリオーズの「幻想交響曲」が流れていました。第3楽章冒頭のイングリッシュホルンとオーボエの音色に驚かされました。LPにこんな音が録音されていたのかと。途中に、プツリというスクラッチノイズがなかったら、生のオーケストラを聴いているかのようです。そして「断頭台への行進」の大爆発に続きました。
 2004年のザルツブルク音楽祭で、ウイーン・フィルの演奏する「幻想」を聴いたときの感動を思いだすほどでした。

 ターンテーブルが2台にマッキントッシュのアンプが並んでいました。

 談笑OKの別室もあります。

 ト音記号の暖簾から2階に上がります。

 1階がベーカリーです。
 叡山電車出町柳の目の前です。

 名曲喫茶柳月堂
 075-781-5162
 京都市左京区田中下柳町5-1 2F

 出町柳は賀茂川と高野川が合流して鴨川となるあたりの地名です。「鯖街道」の終着点でもあります。
 その川を歩いて渡れる亀の飛び石は、いまやランドマーク的存在です。
 ワンちゃんが飼い主を引っ張って水に飛び込みました。わたしも渡って病院に戻りました。

 子どもたちも水の中で気持ちよさそうです。

 今出川橋から見下ろしました。いつの時代からか、この辺りを「鴨川デルタ」と呼ぶようになりました。わたしが子どものころは、亀石もそんな呼び名もありませんでした。

京の三十三食 三番 三条 篠田屋の中華そば

 中華そばが食べたくなりました。ラーメンではありません。丼ものや麺類一式を並べていた町の食堂の中華そばです。
 三条京阪の前にある篠田屋です。創業は1904(明治37)年という「百年食堂」ですが、昭和で時をストップさせたような店です。
 頼んだのは「中華そば(大)」(650円)です。並だとあたり前に中華風の丼です。それでは小さ過ぎるのか、大は和風の丼です。ちょっと風情には欠けるかな。雰囲気を楽しむような店ではないですがね。

 澄んだ醤油味の懐かしさを感じさせるスープです。
 麺には、さしてこだわりはないのでしょう。柔らかいです。
 小ぶりのチャーシューとメンマ、それにネギが浮かんでいるだけです。
 最初から、たっぷりと胡椒が振りかけられています。

 一杯1,000円オーバーも出現しているこだわりのラーメンと比べて、価格までもがシンプルです。

 メニューは多いです。でも、客の注文はほぼ中華そばか皿盛の二択です。
 皿盛とはこんなものです。

 女性が独り、入ろうかと迷っているようでした。ちょっと勇気がいりますかね。

 目の前が東海道五十三次の終点です。

 篠田屋
 075-752-0296
 京都市東山区三条通大橋東入大橋町111

京の三十三食 二番 新京極 レストランスター京極店の「スター食堂のトルコライス」

 「スター食堂」といえば、京都で育った子どもにとっては、繁華街に輝く「食のスター」でした。今も「レストランスター京極店」という洋食店として、新京極錦にあります。
 店のイチオシという「スター食堂のトルコライス」(1078円)をいただきました。
 トルコライスは、ピラフ、パスタ、とんかつをワンプレートに盛った長崎発祥の「大人のお子様ランチ」とも呼ばれる料理です。各地にそのバリエーションが存在し、ここではオムライス、とんかつ、パスタの3種です。ガッツリ系も喜ばしそうな大盛りで登場しました。

 結構な分厚さのかつに続いて、ふんわりとしたオムライスです。
 たっぷりかかったドミグラスソースが、味の調和を図ってくれます。

 喫茶店の味を思い出させる、ちょっと伸びた懐かしいスパゲティ―です。

 大満足の口直しに「アイスコーヒー」(プラス198円)を追加しました。
 広い店内は、人数制限しているのかパラパラと空席がありました。出る時には「待ち」ができていました。

 大きなショーケースを彩るメニューの数々です。トルコライスは、上段中央でスターのような存在です。

 ショーケースの上には、さらに大きなオムライスです。
 半地下にある泡がおいしい「キリンシティ」は、何回もきたことがあります。

 テーブルカバーとして敷かれていたチラシの一部です。かつての「スター食堂京極店」です。懐かしい光景です。
 大正14年創業という、「京都洋食」の老舗です。

 新京極と錦が交わるところから振り返りました。右の2軒目がレストランスター京極店です。

 レストランスター京極店
 075-221-2555
 京都市中京区新京極通四条上ル中之町539

 錦を西に折れました。振り返ると、突き当りが錦天満宮です。その石の鳥居が両側のビルに食い込んでいます。鳥居の方が先に存在したのです。

 レストランスター京極店は寺町側にまで突き抜けていて、2階に通用口があります。
 その壁面には、寺町の由来が記されていました。

 寺町をちょっと上がった西側に、同じスター食堂が経営する「市場小路」などがはいる「With Youビル」があります。調べてみると、ここがスター食堂寺町総本店の跡地でした。
 わたしは、スター食堂は寺町にあったと記憶していましたが、それも正しかったのです。
 となれば、近くには「わらじのムラセ」があったはずです。わらじのように大きなカツで有名な店でした。もう、どこにあったのかはわかりません。

 「名物すき焼キムラ」は健在です。大学生のコンパ御用達のような店です。京都で学生生活を送ることができなかったわたしは、入ったことがありません。
 33日の巡礼の「結願」はここでもいいかなと、ふと思いました。

京の三十三食 一番 南座 松葉のにしんそば

 京都への通勤(通院)が始まりました。せめてもの楽しみは、新聞社勤務以来の外食です。わたしなりの三十三食を、西国三十三所巡礼になぞらえていきます。33回(33日)の放射線照射とともに完遂したいと思います。
 京都でも新型コロナウイルス感染症が爆発的に広がっています。行列のできる店や、感染症対策に不安を感じる店は敬遠して、京都育ちなのに行ったことがないといった店を巡ります。
 「発願の食」は、四条大橋たもとの南座角にある「総本家にしんそば 松葉」です。記憶の限りでは初入店です。
 「にしんそば(鰊しぐれごはん付)」(1925円)は、こんなきっかけでもなければ、味わうこともなかったでしょう。 

 京都のそばです。うどんもそうですが、ふにゃりと柔らかいです。それを出汁でいただきます。あたり前のようですが、その出汁が京の味です。昆布と鰹節からとられた雑味のない純粋なうまさです。
 ひと口すすると、薄味です。薬味のねぎをそえます。七味を振ります。ホロリと崩れるにしんからしみ出した脂が溶け込みます。お味は七変化します。

 甘さ控えめの分厚いにしんは、丼を横断するほどの大きさでした。
 さすがに暑かったです。汗をかきつつ出汁を飲みつくすと、お冷やを頼みました。

 ちょっと甘い鰊(にしん)しぐれが、温かいご飯いかけられています。漬物があれば、これだけで軽く一膳です。

 初めての味とはいえ、店頭のディスプレーからにしんそばのイメージは植え付けられていました。わが家で年越しそばをいただくときも、そばをにしんの中央にいく筋かをかけていました。
 ところが、きょうのそばは、にしんが尻尾だけを見せて、行儀よく並んだそばに隠れていました。

 いただいたしおりにヒントがありました。画像上は明治15年に二代目松野与三吉が発案したにしんそばです。にしんは埋まっています。下は「現在のにしんそば」です。ということは、現在からさらに先祖返りをしたということでしょうか。

 2階でいただきました。入店は一番乗りでした。やがてほぼ満席になりました。
 右下が四条通り、向こうが鴨川にかかる四条大橋です。

 古い暖簾や、祇園のきれいどころの団扇が飾られています。

 南座のすぐ横です。いつもは大勢の人だかりができています。

 南座では、「坂東玉三郎 特別舞踊公演」がかかっています。

 総本家にしんそば 松葉
 京都市東山区四条大橋東入ル川端町192
 075-561-1451

 肝心の放射線照射は、所要時間10分ほどで何事もなく終了しました。

京の三十三食 序にかえて 「ざるそば」とアルコールフリー・ビール

 一気に秋がやって来たかのような気持ちがよい風が吹き抜けます。きょうの昼飯は、ざるそばにしました。
 山芋もすりおろして、とろろそばにもしてみました。
 でも、きょうの主役は、アルコールフリーのビールの方なのです。

 遂にドクター・ストップがかかりました。といっても、肝臓がつぶれたわけではありません。1ヵ月半という期限付き「禁酒」です。
 本日より、晩酌もこちらになります。

 近くのスーパーへ買い出しに行きました。
 あるものです。すべてアルコールフリーで、アルコール0.00度です。
 順番に飲み比べて、その先のためにセレクトします。

 そばはいっしょに買ってきた「更科そば」でした。長野市のメーカーのようです。細めでさらっとした食べやすいそばでした。

 あすから京都の医大病院で33回(33日)の放射線照射を受けます。
 10年前に全摘手術したがんが、予想されたこととして再発しました。体のどこかに腫瘍ができているのが判明したわけではなく、腫瘍マーカー値(PSA)上昇による判定です。「それほど深刻な事態とは思っていません」という医師の診断を信じたいです。
 それにしても9月中旬までの暑い日々、京都への通院に明け暮れます。さらに「禁酒」が追い打ちをかけます。成人して以来、これほどにも長期にわたるアルコール抜き生活は初めてです。

 バッグには、お守りが2つはいっています。ひとつは讃岐・金比羅宮の785段の石段を上った孫娘が、「じーじ、がんばってね」といただいてきてくれました。
 もう一方は、「がん封じ」にご霊験があるという京都・宇治田原の猿丸神社のものです。先日、参りました。

 猿丸神社は、「瘤とりの神 猿丸さん」として知られます。最初の手術の前に義妹夫婦が参って平癒を祈願してくれました。それ以来、わたしも年初めには欠かさずに参っています。
 再発まで10年もかかったのもご利益だと信じて、新たな「封じ」を祈願しました。
 *画像は一部を加工しています

 猿丸神社
 0744-88-3782
 京都府綴喜郡宇治田原町禅定寺粽谷44

 
 
 

京都・宇治田原 リンデンバウムの「シェフのおすすめランチ」

 風鈴のお寺・正寿院から車で15分ほど走った、これまた山里にある「宇治田原の隠れ家レストラン リンデンバウム」です。「シェフのおすすめランチ」(1700円)をいただきました。
 京都国際会館のレストランなどで腕を磨かれたシェフの3品は、ハンバーグに肉、魚です。
 カツレツはわざとでしょうが黒くなるほど揚げてあります。ハンバーグも、チーズが入っているのかギュッと濃厚なお味です。
 魚はタイだったのでしょうか。後で聞こうと思っているうちに、忘れていました。

 コーンスープは、アサツキがアクセントなっていました。

 天然酵母のパンは、もっちりとしています。

 冷たいコーヒーでひと息つきました。

 デザートのアイスクリームが、あまいケーキにぴったりでした。

 古民家を改築しています。昔の2間にゆったりとテーブルが4つです。
 3卓が女性ばかり3人組でうまっていました。ということで、男女比は10:1の劣勢でした。

 古時計は時を刻んで、いません。

 ネットで調べて行ってみると、こんなに辺鄙な(失礼!)ロケーションにもかかわらずに、予想外の満席。「半時間待ってもらえれば」といことで、近くをブラブラしました。

 リンデンバウム
 0774-88-2647
 京都府綴喜郡宇治田原町湯屋谷西谷1

京都・嵯峨 ホテルビナリオ嵯峨嵐山の京都牛すき焼き膳

 ワクチン3回接種が条件の「京都府割」格安日帰りツアーに参加しました。
 まずは嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車にトロッコ亀岡からトロッコ嵯峨嵐山まで乗りました。JR嵯峨嵐山の目の前にホテルビナリオ嵯峨嵐山はありました。宴会場で、学校教室のように全員が一方を向いての「ツアーランチ」でした。
 正直、あまり期待はしていませんでした。それにしては豪勢でした。久しぶりの独りすき焼きを堪能しました。

 肉は柔らかです。京風なのか薄味です。

 おばんざいもきれいに盛られています。どれもいい味付けです。

 追加注文のビール(770円)は、いただいたばかりの京都応援クーポンで支払うこともできました。でも釣りはでないということで、現金払いしました。 
 ツアーはこの後、京都鉄道博物館、京都水族館を巡りました。ツアー料金は全部まとめて1人10000円ポッキリ。そこに京都府による府内旅行応援事業支援として5000円が補助されます。さらに2000円分のクーポンまでいただいきました。
 このツアーの申し込みで阪急交通社にネット会員登録したので、さらに1000円のポイントが返ってきました。

 ホテルビナリオ嵯峨嵐山
 京都市右京区嵯峨天龍寺広道町3-4
 075-871-9711

東山三十六峰 その3 南禅寺山など4峰を巡る

 梅雨入り前の最後の好天でした。東山三十六峰を巡る3回目は、蹴上から南禅寺の裏山とでもいうべき4峰を歩きました。それぞれに山名を表示したプレートがあり、4戦全勝の好成績でした。
 第16峰の若王子山(にゃくおうじやま、183㍍)のすぐ前には学校法人同志社の共同墓地があり、創始者の新島襄、妻の八重らが眠っています。

 若王子山から雑木の間を100㍍あまり行くと、第17峰南禅寺山(197㍍)でした。
 京都市左京区南禅寺福地町というのが所在地です。
 わたしは右京区の産院で生まれましたが、両親は当時、南禅寺の塔頭の一間を借りて住んでいました。わたしの最初の住民登録地は左京区南禅寺福地町だったはずです。赤ん坊のときに見上げていた町内の山というわけです。

 暑い1日でした。冷麺が食いたいなと歩きました。
 山を下りた天王町から丸太町を河原町まで歩いて、「冷たいまぜ麺、あります」という店と巡り合いました。
 冷たいビールとともに、ああうまかった!

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