ことしも最後の望みを託すことにしました。
370人の億万長者の仲間入りがしたいものです。
なんば・高島屋の売り場です。ここで買ったのは初めてです。「夢」と大書きした袋に入れてくれました。
ことしも最後の望みを託すことにしました。
370人の億万長者の仲間入りがしたいものです。
なんば・高島屋の売り場です。ここで買ったのは初めてです。「夢」と大書きした袋に入れてくれました。
久しぶりの「箱根彫刻の森美術館」です。あまりに天気が良いので、ちょっと散歩しました。
「足湯」ができていました。左下の画像が、お見せするほどのものではありませんが、わたしの足です。ほっこりとしました。
薄いウインドブレーカーを着て走りましたが、それでもちょうどでした。やっと秋らしい気温になりました。
水無瀬から西国街道を西へ。高槻市をノンストップで通り過ぎ、安威川を渡りました。ここからは初めてのルートです。郡山宿本陣、萱野三平旧宅と見てまわり、箕面市の牧落から南下。豊中市を走り、万博公園や茨木カンツリー倶楽部の横を通って、阪急茨木市まで。44.09キロの道程でした。
阪大・千里キャンパスの向かいの池は、紅葉がきれいでした。
「西国街道と千里丘陵」の詳細はHPをご覧ください。
櫟野寺(らくやじ)の十一面観音坐像(重要文化財)は秘仏です。もちろん、「撮影禁止」ですので、パンフレットの複写です。
「顔の彫りが深いのは、平安前期の特徴です。でも衣(ころも)のひだは薄くて繊細で、平安後期の特徴です。この仏様は、観世音菩薩といては珍しい坐像で、日本で最大級の大きさです」。京都市立芸大の仏教美術の先生の説明で、目の前で開帳された仏様を拝みました。
櫟野寺は、天台宗の寺です。最澄感得(信心が神仏に通じて、宿願がかなえられること)の観音像を本尊とし、大同元年(806年)、坂上田村麻呂が建立したと伝えられる。平安時代の仏像が多数伝わっています。
伽藍は戦国時代に焼失し、近代に再建されたものです。
櫟野(いちいの)という地名から、「いちいの観音」とも呼ばれています。甲賀の南の端にあり、鈴鹿を越えればすぐに伊賀、三重県です。こんな遠くの寺までやって来る機会は、そんなにありません。
紅葉が一本、赤く色づいていました。
「SANKEI EXPRESS(エクスプレス)」(1部70円)を買いました。JR京都駅のホーム売店に並んでました。左下は、自転車用の手袋をしたわたしの左手です。右手でシャッターを押しました。
1日に創刊したばかりの 新しい新聞です。木村拓哉がかっこよいテレビCMも間もなく流れます。京都市内には宅配(月1860円)があります。と、わたしからもよろしくお願いします。
もちろん、新聞を読みながら自転車には乗れません。目玉焼きはできますが…(この意味はキムタクのCMを見てください)。
エクスプレスを読みながら堅田まで快速に乗って、スタートしました。琵琶湖大橋を渡り、瀬田唐橋へ。これで「琵琶湖周輪の旅」の完成です。そこから瀬田川を下り、宇治まで走りました。
琵琶湖周輪の旅も終わりました。完結編「滋賀の都よいざさらば」はHPをご覧ください。
「宇治十帖スタンプラリー」も行われていて、観光客でいっぱいです。平等院の参道を自転車を押しながら歩いていると、「中村藤吉」の平等院支店がありました。半月ほど前に本店カフェで一服しました。
ここにもあるのかと立ち止まると、スタンドで美味しそうなソフトクリームを売っています。甘いものは、全般的に苦手ですが、ソフトクリームは好きな部類です。床机に腰かけて「抹茶金時ソフトクリーム」(350円)を食べました。
琵琶湖から走ってきて、ちょっと疲れたました。小豆もペロリと食べてしまいました。
初めての「落車」です。車から落ちる、転倒です。
場所は、ここです。「琵琶湖周輪の旅」の最終回は、近江今津を出発して、今は同じ高島市になっている旧高島町内です。乙女ヶ池をすぎて、国道を横切るトンネルに入りました。進入路が下り坂なっていたので、かなりの速度が出ていました。
危ない! と思ったときは、すでに遅すぎました。トンネルの出口あたりの路面は、向こうの湖岸から吹き込んできた砂をかぶってました。急ブレーキをかけたのがかえって悪く、前輪がロックしました。残念ながらわたしの自転車にはアンチ・ロック・ブレーキはついてません(ABS装置をつけた自転車なんて知りませんがね)。
あとは、あ、あ、あ-。あと数ミリで顔面が路面とキスするところでした。なんとか両手の方が犠牲心を発揮してくれました。おかげで手の平はすり傷だらけ、左手は打撲です。まあ、これは時間とともに自己再生するでしょう。パンツは5センチばかりやぶれて、コチラは廃棄処分です。
手袋さえしておれば、被害は軽減できたはずということを思い知りました。さっそく買ってきました。Yバシカメラ(パソコンから自転車までお世話になってます)で3,192円でした。
もうひとつ気になっている点です。やはりヘルメットは必要かと。
「自転車ヘルメットの効用に関する真面目な意見」は「こぐこぐ自転車」(伊藤礼著、平凡社、1600円)の1章です。
筆者の伊藤氏は、1ヶ月ほど前にNHK教育の番組で、古希や還暦を過ぎたりの仲間数人と東北を自転車で走る姿がドキュメンタリーで紹介されてました。小説と文芸評論の伊藤整の子息のようですが、エッセーとしてもすばらしい文章です。「古希をまたいで、こんどは自転車」という愉しい話です。「自転車が順繰りに増えて六台になった話」なんていうのは、わが奥さんにも読んでもらいたくて、「おもしろいよ」と薦めているんですがね。
ヘルメットも考えます。
「雄松が浜の乙女子は…」というタイトルにしましたが、実は手の痛さに気を取られて走っていて雄松が里(近江舞子)は通りすぎてしまいました。詳細はHP版にアップしています。
1950年代に花開いたMGMミュージカル代表作のひとつ「雨に唄えば」(1952年、アメリカ)です。といっても、突然に映画ファンになったわけではありません。これ、パソコンの画面です。
「Z」という雑誌の創刊号を、入手しました。ペラペラとめくりましたが、さて…。
それはそれ、として、付録に付いていたのがDVDです。
日本のレンタルビデオは、1泊2日とかで返却します。ところが、だっだ広い米国では、借りても、返すのがたいへんです。そのため、借りっぱなしでも、時間がくると見られなくなるDVDがあるということは聞いてました。ソレなんでしょう。
「48DVDは開封後約48時間、鑑賞いただけます」というDVDです。恐る恐る(!)、開封しました。何も変化がないようですが…。
「この文書は○秒後に自動消滅します」「シュポッ!!」なんてスパイ映画もありましたね。
しばらくすると、ドーナッツの中心部が黒く変色するそうです。なるほど、黒くなっています。
48時間後が楽しみでう。どうなるのかと。
その前に、中身を楽しまなければ-。
阪急の車内です。1枚の広告に目がとまりました。
「京の町に恋おりる」。新しくオープンする居酒屋です。ネーミングも凝っています。
大阪・阪急東通り商店街に今のあるモコ・ビルにあります。少しも凝ってませんが、懐かしい名前です。学生時代に行った喫茶店です。
でも、吸い付けられたのは、家紋です。
「七宝に花菱」。ウチと同じです。と思って確認したら、コチラは周囲が縁取りされた「丸に七宝に花菱」でした。まあ、それほどない家紋のようです。どちらも「家紋TOP100」には登場しません。
ちなみに「日本の苗字七千傑」で検索してみるとわたしの名字は、2535位です。トップは「佐藤」です。どちらでもいいですが…。
「七宝に花菱」の縁ではありますが、まあ、若者向きのこの店には行くことはないでしょう。わたしが行きたいのは、こんな本に紹介されている「居酒屋」の方です。