比叡山に登りました。京都で育った人にとっては、朝夕に見上げる東北の目印の山でした。小さなころから数えきれないほどその山上を歩いています。
京都市街を見下ろすケーブル比叡の横には、現在は「HIEIZAN」の大きな文字があります。ところが、その歴史を調べると、といっても僧兵が都に直訴で降りてきた白河法皇の時代ほどではなく、昭和の初めから戦中にかけてのころです。現在とは違う初代のロープウェイ、比叡山空中ケーブル(叡山空中ケーブル)が架かっていて、その駅舎が今も廃墟となって残っていることを知りました。
わたしが子どものころに怖さに震えた「お化け屋敷」は、戦前に6年間だけ営業した叡山ホテルの跡地につくられていました。その建物も残っていました。
知らなかった3つの廃墟を巡りました。
【廃墟1】
空中ケーブルの高祖谷駅跡です。昭和3(1928)年から19(1944)年まで使われていました。
ケーブル比叡から20分ほど廃道を歩いた先に残っていました。
【廃墟2】
空中ケーブルの延暦寺駅跡です。
釈迦堂近くに外壁が残っています。
【廃墟3】
ケーブル比叡の近くには叡山ホテル跡がありました。
戦後、ここが夏季の「お化け屋敷」に使われていたようです。