比叡山 花摘、天梯、裳立と美しい名の3峰を巡る

 比叡山の坂本側(東側)の山腹に、どれも美しい名の3つの峰があります。花摘ノ峰、天梯(てんだい)ノ峰、裳立山です。
 びわ湖畔のJR比叡山坂本から延暦寺へのケーブルができるまではメーンルートだった本坂を登りました。何度も登っている比叡山ですが、京都人にとっては初めて登り道でした。
 下りは裳立山を通りました。頂上には「土佐日記」の紀貫之の墓があります。「木工頭紀貫之朝臣之墳」と刻まれた墓石と、小さな石仏が京の都を向いていました。

 花摘の峰です。
 比叡山延暦寺を開いた伝教大師(最澄)の母が、ここで花と摘んで大師が山から降りてくるのを待ったことから、その名がついています。

 比叡山には三大魔所があります。そのひとつが天梯権現詞(ほこら)です。その祠があるが天梯ノ峰です。

 昼飯は、ケーブル延暦寺駅の前にあるベンチでいただきました。温かいスープがおいしかったです。


 【2024/11/27 09:55】
 JR比叡山坂本で下車。日吉大社への道を上がりました。大鳥居の向こうに、これから登る比叡山の峰が見えていました。

 日吉大社の紅葉はきれいに色づいています。

 紅葉を横目に、本坂ルートを登りました。

 まずは長い階段でした。

 きれいです。

 振り返ると、びわ湖の向こうに近江富士(三上山)です。

 ケーブルカーが登っていきました。

 再び長い石段です。
 赤いワンピース姿の女性が独りで歩いていました。「急に思い立って歩き始めたのですが、まだ遠いですよね」。大丈夫かなと、ちょっと心配でしたが、私よりの早いペースで登って行かれました。

 美しい石段です。

 本坂からそれて、花摘ノ峰を目指します。尾根の上です。

 尾根までの急坂を登ると、そこが花摘堂跡でした。

 尾根伝いに登ったところが頂上でした。残念ながら眺望はありません。

 花摘堂跡に戻り、そのまま尾根伝いに歩いてくると、本坂と合流しました。

 標識もありました。

 本坂は広い道です。風雨で荒れた路面の区間もありますが、比較的歩きやすいルートでした。

 右手に開けた土地があり、かつては堂宇があったらしき礎石が残っています。亀堂と呼ばれる地です。

 奥に進むとピークを目指すような踏み跡があります。

 天梯権現祠です。この辺りは、昔から「天狗が棲んでいる」といわれてきました。
 祠の裏を抜けてさらに進みました。

 「天梯」とは「天への梯子」という意味です。

 最後の急坂を登ると、延暦寺でした。

 根本中道はシェルターをかぶったままで、まだ工事中です。

 比叡山の頂上、大比叡(おおびえ)に行こうかとも思いました。でも「ここより12町」の紀貫之の墓を目指しました。

 ケーブル延暦寺駅にやってきました。ケーブルが到着すると、インバウンドらの観光客が大勢、降りてきました。 

 駅前のベンチで昼飯にしました。長野・伊那の「かんてんぱぱ」で買ってきた湯を注ぐだけのスープをいただきました。

 寒天がつるりと喉を滑りました。中華味です。

 昼前から日差しは消え、寒々とした光景になりました。

 大津の中心街も臨めました。

 ケーブルに沿って急坂を下りました。

 ケーブルのもたて山です。すぐにケーブルがゴロゴロと音をたてて動き出しました。

 カメラを動画にセットするとすぐにケーブルが下ってきました。備え付けのインターフォンで事前連絡しないと、停車しません。

 昭和24(1949)年に開業した裳立山遊園地の跡地でしょう。わたしが生まれた年です。

 きれいに整備されている紀貫之の墓です。

 坂本に向けて一気に下りました。岩ゴロゴロで歩きにく急坂でした。

 ケーブル坂本まで下ってきました。

 日吉大社の前を通り抜けました。

 真っ赤に色づいていました。

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