幻となった「丸子の宿」のとろろ汁

丁子屋1

 東海道五十三次を歩く今回の楽しみは、鞠子(丸子=まりこ)の宿で食べる名物のとろろ汁でした。

丸子の宿

 安藤広重描く「東海道五十三次」のうちの「鞠子」と同じ風景が、目の前にあります。

丁子屋2

 「丁子屋」は、慶長年間の創業です。それがずっと続いているとは。
 でも一番繁盛しているのは、現在のようです。国道に沿った裏手には、観光バスが何台もとまれるような大きな駐車場がありました。

丁字屋3

 え、え、えーっ。開店は11時からです。まだ30分はあります。予想されたことではあれ、ここを通過するのがちょっと早すぎました。急ぐ旅でもありませんが、「腹も減ってない」と自分自身を納得させて通り過ぎました。

丁字屋4

 付録の写真です。ちょっと歩くと、こんな看板が。
 とろろ汁を食べながら「ご休憩」するのでしょうか。アイデア倒れだったようで、休業中です。

芭蕉碑

 追加画像です。
 「イリさん」ご指摘の芭蕉の碑もありました。「梅わかな丸子の宿のとろろ汁」と読めます。
 弥次さん、喜多さんは、にわか雨に降られてほうほうの体で茶屋に入ったところ、店では夫婦げんかの最中で、とろろ汁にありつけなかったという「膝栗毛」の碑もありました。

「幻となった「丸子の宿」のとろろ汁」への3件のフィードバック

  1. 毎年10月頭に国際文通週間というのがあり、これを記念して記念切手が発行されます。90円、110円、130円の3種です。図柄には広重や北斎の絵が多く使われます。それで、丸子の宿の絵に覚えがあるので、我が家の切手アルバムを広げたら、ありました!昨年、つまり平成17年10月7日発行の国際文通週間の90円で~す!しかし、たたずまいはそっくりですね。行ってみたいです。さすれば車かな。
    余談ですが、松尾芭蕉が「梅若葉丸子の宿のとろろ汁」と詠んだ句がありましたね。これ、そうですよ。

  2. 先のコメントの訂正です。丸子の宿についての松尾芭蕉の句、正しくは「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」でした。芭蕉が大津の幻住庵にいたころ(47歳)、俳人で芭蕉の門弟の河合乙州(おとくに)が東行する時に、自分は行ったことがないけれど、東海道屈指の名物のとろろ汁の丸子宿を言うことで、旅の楽しみをこめて餞別にした句と言われます。もっと、書けば、芭蕉もあまりうまい句と思わなかったのか、後に「工(たく)みて云へる句にあらず。ふと云ひて、宜しと後にて知りたる句」と自評しています。丸子宿のことをよく知って言ったのではなくて、ひょいと口にしたのが結果オーライだったということでしょうか。句にはその背景にそんなユーモラスを秘めてるんですね。奥の細道行脚は46歳ですから、この句はその翌年ですね。

  3. 芭蕉の句碑があったんですか。それをちゃんと写真に収めて来られていたのは、さすがです。句はやはり「梅若菜」が正しかったんですね。訂正して良かったです。何か身近な感じがしてきて、行きたくなってきました。

コメントは停止中です。