霰舞う 近江・繖(きぬがさ)山

 近江・安土城跡の南に連なる繖(きぬがさ)山に登りました。頂上近くに西国三十二番札所、観音正寺があることから観音寺山とも呼ばれます。
 生憎の天気となりました。冷たい北風に吹きすさばれ、挙句は霰(あられ)がパラパラと落ちてきて、山道があっという間に真っ白になる冬に震え上がりました。それもつかの間、眼下のびわ湖から真っ白に輝く伊吹山まで見渡しすことができて、変化に富んだ山道でした。

 繖山の標高は432m。さして高くはありませんが、初っ端から頂上まで、ほとんどが階段でした。
 英会話教室のお仲間から広がった山仲間5人で登りました。

 観音正寺の境内で昼飯にしました。西の空が明るくなり、「聖徳太子開基」の寺らしく逆光の太子の像の向こうに近江富士(三上山)が臨めました。

 激しい霰に、山道はあっという間に白くなりました。

 【2018/12/14 09:43】
 JR島本で待ち合わせて、乗り継ぎなしの普通で安土までやって来ました。
 工事中の駅前広場の向こうに繖山がそびえていました。織田信長像は姿を消していました。

 アプローチの農道を行きました。小雨交じりの冷たい北風の歓迎を受けました。

 JR琵琶湖線の向こうにセミナリヨを模した安土城考古博物館などが並んでいました。

 【10:30】
 安土城跡に連なる山と繖山との鞍部にある北腰越から登りました。山頂まで1.6kmと、ハイキング気分のつもりでした。

 道はしょっぱなから階段の連続でした。とはいえ、歩きやすい道でした。

 子授け地蔵がまつられていました。

 観音正寺から続くミニ西国札所が並んでいました。

 近江八幡がかなたでした。

 セミナリヨが眼下になっていました。

 西の湖や水郷地帯が一望できました。

 【11:51】
 繖山まで登ってきました。三角点がありました。

 観音正寺までループ状に回りました。

 立派な石垣が現れました。佐々木城(観音寺城)跡でした。

 【12:27】 
 西国札所の観音正寺です。入山料500円を納めてお参りしました。
 実は、ループ状に繖山の頂上に戻るには、境内をほんの少しですが通る必要があったのです。折角ですから、境内の案内所の軒下を借りて昼飯にしました。

 わたしの本日の昼飯は、おにぎり2個と即席のポタージュスープでした。いつものようにコーヒーもいれて温まりました。

  立派な本堂です。西国札所を巡っていた10年前に訪れていました。
 西国三十二番 冬空に映える「観音正寺」

 【13:23】
 境内を抜けて繖山の山頂へ戻りました。

 野イチゴが赤い実をつけていました。

 霰がパラパラと降ってきました。

 山道は瞬く間に白くなりました。

 展望台までくると、真っ白い雪に覆われた伊吹山がそびえていました。

 霊仙山も真っ白でした。

 太陽が顔を出した稜線を気持ちよく下りました。

 季節外れに冷たい水を浴びてツツジが2輪、咲いていました。

 【14:36】
 地獄越まで下ってきました。
 当初の計画ではさらに進んで能登川に下る予定でした。ところが、予想外に時間をくっていたため、ここからやわらぎの郷公園に下ることにしました。

 不動の滝まで回り道しました。
 山肌の不動の祠からパイプが延びていました。ここからこぼれ落ちる水が滝だったのでしょうか。

 

 【15:21】
 やわらぎの郷公園まで下ってきました。向こうの稜線のへこんだところが地獄越でした。

 JR琵琶湖線のトンネルの上を通りました。
 

 東近江市から近江八幡市に戻ってきました。
 ここは朝鮮人街道として歩いた、見覚えのある道でした。
 京街道を上る 朝鮮人街道を能登川から安土まで

【15:37】
 スタート地点の北腰越まで一周してきました。5時間ほど経過していました。

 行きは北風に苦しめられた農道を安土に向けて最後の歩みでした。

 振り返ると、セミナリヨの向こうに繖山が西日を浴びていました。