聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂を初めて見下ろすことができるモンテ・ド・ゴゾ(歓喜の丘)に向けて歩き始めました。ゆっくりと出発しました。ゆっくりと歩きました。サンティアゴ・デ・コンポステーラまでは、もう20キロちょっとしか残ってませんでした。
どうぞ、皆さん、お先に行ってください。わたしは、もう少し回り道、寄り道、わき見をして行きます。行き(死に)急ぐことはありませんでした。まだまだやりたいことはあります。
霧の向こうに巡礼路が延びていました。神々しい朝でした。進むのがもったいない思いでした。
最後となる朝食をとりました。カミーノに沿って広い庭が広がるバルです。顔なじみになったオランダ人のおっちゃん2人組もやってきました。思わず駆け寄って握手しました。「元気にここまでやってこれたね」と。
最後となる休憩をとりました。前回の巡礼で泊まったラバコージャのホテル前のバルでした。シードラ(アップルワイン)を頼みました。心地よく喉をすべってゆきました。
で、お前がカミーノを歩きたいと思った意味は見つかったのかい? 自問しましたが、頭の中は真っ白でした。何も答えはありませんでした。ここまでの長く苦しかった道のりを「行」として勤めたことはありませんでした。その報いでしょうか。せっかくここまで歩いてきたのに、悟りの境地に至るには、まだ入り口にも達していない思いでした。
¡¡paso a paso!! 一歩一歩進んでいると、やがてゴールは見えてきました。
ラバコージャのバルからモンテ・ド・ゴソまでの道は、あっけないほど短かったです。わたしは再び、この丘に立っていました。
つのる思いが過去のものになりつつありました。はるかサン・ジャン・ピエ・ド・ポーから800キロ近くを独りで、この自分の足で歩いて来ました。その事実の重みがあればもう十分でした。