プラハ 聖ミクラーシュ教会に降り注ぐ光

【6/5】
プラハのマラー・ストラナの中心にある聖ミクラーシュ教会です。
13世紀に建てられたゴシック建築の教会が、18世紀の初頭から半世紀をかけてバロック様式に改装されました。きらびやかな装飾が目をひきます。
なによりも、明るい光が降り注ぎます。ヨーロッパの教会もいくつか見てきましたが、これほどに光が美しい教会は初めてです。プラハ城にそびえる聖ビート大聖堂の暗く荘厳な雰囲気とは対照的です。

後部に、まわりの装飾に埋まったようなパイプオルガンがあります。
1787年にモーツァルトは、この教会でオルガンを演奏したという記録が残っています。このオルガンでしょうか?

祭壇の上からも光が差し込みます。

天井には、見事なフレスコ画が描かれています。円天井は「三位一体の祝典」だそうです。

ピンクとゴールドが際だちます。

「モーツァルトが亡くなった時に、ヨーロッパで唯一追悼ミサをあげ、大勢の人が彼の死を悼んだ教会でもある」(「私はチェコびいき」、大鷹節子著より)
プラハは、モーツァルトが愛し、モーツァルトが愛された町です。

聖ミクラーシュ教会の手前の建物の角に、スターバックスがありました。スタバ・チェコ1号店だそうです。

教会の周りはマラー・ストラナ広場です。見上げるとプラハ城の聖ビート大聖堂がそびえます。

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ライプツィヒ 幻に終わった「PLAY BACH」

【6/9】
bachfest/バッハ音楽祭は期間中、聖トーマス教会やニコライ教会、ゲバントハウスなどいろんな会場で、いろんな演奏会が開かれます。
そのプログラムに「Jacques Loussier Trio」の文字を見つけたときは、え、ホント!!と、一瞬、目を疑いました。
1960-70年代に「PLAY BACH」のタイトルでまさに一世を風靡したのがジャック・ルーシェ・トリオでした。それが出てくるのか!!
半ば信じ、半ば疑いながら午後9時開始のマルクト広場オープンステージに行きました。
確かにピアノ・トリオが演奏しています。でも、ジャック・ルーシェ・トリオでないことは明らかです。????

演奏は進みますが、左の画面に大写しになっている流ちょうにピアノを弾いているのが誰なのかといったインフォメーションは一切ありません。演奏の合間にピアニストはマイクを握り、ドイツ語でなにやら話します。その言葉の端に「ジャック・ルーシェ」という音も混じったようですが、当然のこととして理解できませんでした。

期待したホンモノとは違いましたが、結構楽しいバッハに引き込まれました。
マルクト広場に面した旧市庁舎の時計は午後10時を指そうとしています。でも、まだ空はこの青さです。

ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団は、クラシックのLPを聞きはじめたころからの馴染みです。その本拠地のゲバントハウス(織物会館)の大ホールです。ここに入ってみたかったので、8時から始まる「Bach und Jazz」という演奏会のチケットを買っていました。
でも、この演奏があまりにも紋切り型で、最初の休憩時間でさよならしました。

東ドイツ時代に建てられたホールです。もう一度、ゲバントハウス響の演奏をゆっくりと聞きたい思いを残して、そそくさとマルクト広場に向かいました。

bachfest2012のプログラムです。

Jacques Loussier Trio の文字は確かにあります。

ライプツィヒの町はバッハだけではありません。サッカーのユーロ選手権が開かれていたので、町のカフェは遅くまでテレビ応援のファンでにぎわってました。

PLAY BACH のLPを見つけました。
ジャック・ルーシェ・トリオの演奏で、初めて「イタリア協奏曲」を聴き、オーケストラと競演した「ブランデンブルク協奏曲第5番」を知りました。わたしのバッハの原点です。
今度の休みには、このLPに針を降ろしましょう。

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ライプツィヒ 中央駅からドイツ版新幹線「ICE」に乗る

 【6/9】
 ライプツィヒ滞在の1日、ワイマールに小旅行しました。
 Leipzig Hauptbahnhof/ライプツィヒ中央駅です。乗車するドレスデン発フランクフルト行きのICE1652がホームに入ってきました。
 ICE=Inter City Express は、ドイツ版新幹線といったところでしょうか。時速400キロ超の記録をもっています。軌道幅が標準軌(日本の新幹線と同じ)ですが、在来線も同じ幅なので、都市近郊では在来線のレールを走り、在来線の駅ホームに停車します。市外に出ると、区間により専用の高速新線を走ります。

 ヨーロッパで最大級のターミナル(終端駅)です。大きなドームに覆われています。

 ICEの先頭車両です。中央に運転席があります。

 日本のように指定席、自由席という区別はありません。
 座席の上に指定が入っている区間が表示されています。古い車両なら手書きのカードが差し込まれていますが、ICEは電光式です。この席はEisenach(アイゼナッハ=バッハの生誕地)-Fulda間が指定されています。それ以外の区間は自由に座れます。
 「携帯禁止、シーッ!!」という表示もあります。これは「quietシート」です。
 こちらの車内では、結構、携帯で話している人が多いです。そのため、こんな車両があるのでしょう。

 列車は目的地のワイマールを通り越して、エアフルトに停車しました。ここから逆向きのICE1745でワイマールに戻りました。

 この日は1等を奮発したので、ゆったりとした座席です。
 こちらの列車は、終端駅で運転方向が頻繁に変わるので、シートを方向転換させるというような発想はないようです。
 帰国した関西空港駅で、到着したJR特急「はるか」がかなり手の込んだ動きをしてシートの方向を自動転換させたときには、外国人観光客が驚いた表情を見せていました。

 ライプツィヒに着いた6日に目にした光景です。
 まるでICE同士が「チュー」しているようです。

 ホームの端には鉄道模型があって、ICEが走ってました。

 プラハ-ドレスデン-ライプツィヒ-ベルリンと、計画した移動はネットでチケットを購入していました。
 ワイマール往復はだけは、現地で購入しました。
 ライプツィヒ中央駅の発券窓口です。まず赤い予約機のボタンを押します。すると、写真の下のように番号をプリントした紙が出てきます。

 呼び出された番号の窓口で購入します。
 かつて、イタリア・ミラノでものすごく待たされた経験があったので覚悟してましたが、思いのほか早く購入することができました。

 ライプツィヒ-ワイマール間の往復チケットです。行きはICE、帰りはICの料金を含んで1等、2人で166EURでした。これは「正価」です。いろいろと割引制度があるので、事前にネット予約すればもう少し安くなったはずです。

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ワイマール 「HOTEL ELEPHANT」の優雅な時間

【6/9】
ワイマールの「HOTEL ELEPHANT」で食べた優雅なパスタは、ライプツィヒ滞在中に書きました。その続きです。
もうひと皿は、シュパーゲル(白アスパラガス)でした。旬でした。ここでも頼みました。でも「スープしかない」ということで、それを頼みました。グリーンアスパラも入ってますが、スープはにはたっぷりのシュパーゲルでした。

日本の「お通し」といった感じでパンとともに出てきた皿です。手前からハム、アーティチョークのマリネ(下も)、塩、そしてオリーブオイルです。

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もちろんビールも。
ホテル中庭の静かなテラスです。緑がいっぱい。太陽も降り注いで、のんびりとします。

これで30.1EUR(約3000円)は、円安の影響もありますが、リーズナブルすぎます。
チップを入れて32EURを支払ってます。

豪華なダイニングルームを抜けたところに、中庭はあります。

老舗の5つ星ですが、こぢんまりとしています。ホテルの正面バルコニーには、誰かの人形が飾られています。10数年前に泊まったときには、気づきませんでした。

ホテルの隣には、バッハが住んだ家があったことを記すプレートがかかっています。
右の向こうが市庁舎、右がマルクト広場です。

わたしの引き出しに入っている文鎮です。10数年前に「HOTEL ELEPHANT」に泊まったとき、記念に買ったみやげです。そのとき使われていたキーホルダーです。ホンモノはここにルームナンバーが彫られていました。直径5.5センチほどで、かなりの重さがあります。今も使われているのでしょうか。確認はできませんでした。

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ライプツィヒ 滝廉太郎とカール・マルクス

 【6/8】
 「荒城の月」や「花」の作曲家、滝廉太郎は、ライプツィヒで学んだことを知りました。それを記念したプレートが、廉太郎が暮らした町にありました。ガイドブックなどでもあまり紹介されていません。ちょっと探してやってきました。

 廉太郎は1901年に官費留学生としてライプツィヒにやってきました。メンデルスゾーンが創設したフェーリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ音楽大学に入学しますが、ほどなく肺炎を発病。わずか1年でここを去り、帰国後の03年には故郷・竹田で亡くなっています。

 今はカフェになっているビル(多分、建て替えられたもの)の前に、日本語だけを記したプレートはありました。
 没後100年して、このプレートは建てられました。

 Rentaro-Taki-Denkmal
 Ferdinand-Rhode-Str./Ecke Mozartstr. 6, Leipzig

 反対側の町角です。こちらの方が、当時の面影を伝えているのでしょう。

 「音楽地区」と呼ばれるそうです。通り名にはベートーベンからモーツァルト、テレマンとにぎやかです。

 すぐ近くには、廉太郎が学んだ現在のライプツィヒ演劇音楽大学がありました。チェロを担いだ女子学生が通り過ぎました。

 次は「メンデルスゾーン・ハウス」に行こうと歩いていると、突然、見覚えのある顔に出くわしました。近づいて確かめると「Das Kapital」の文字が刻まれています。
 ライプツィヒは古くから印刷の発達した町です。カール・マルクスの「資本論第1巻」もここで出版されました。
 「マル経(マルクス経済学)の牙城」といわれた大学の経済学部生としては、多少はこれをかじろうとした若き日もありました。
 今となっては、ドイツ語の地名が発音できる(といってもドイツ語はきまじめにすべてを発音するので意味はわからなくても読める)か、せいぜいohne(without)とmit(with)の違いがわかる程度です。でもウィーンでは通じた「no gas」より、こちらでは「ohne gas」の独英チャンポンの方が通じます。ペットボトルの水を買うときの話です。こちらで何気なく水を買うと、これがものすごい炭酸入りで、飲めたものではありません。

 ドイツで2番目に古いライプツィヒ大学も、東ドイツ時代はカール・マルクス大学と呼ばれていました。
 その町のニコライ教会に集まった人々の静かなデモから東ドイツの民主化を求める運動が始まったのも、皮肉といえます。

 滝廉太郎は今も日本で愛されてますが、マルクスの評価はどんなものなんでしょうか…。 

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ドレスデン 黄色いトラムがザクセン王国の都に映える

 【6/6】
 エルベ川沿いの旧市街の中心にある、バロック様式の美しい大聖堂。
 黄色いトラムが走り抜ける。
 ゼンパー・オーパー(ザクセン州立歌劇場)から撮影しました。

 バックは王宮の一部です。

 エルベ川を渡るトラムです。
 ホテルの窓から撮影しました。

 ドレスデン中央駅です。再開発が進んで、駅前広場はきれいに整備されています。

 Bombardier/ボンバルディア製の車両です。
 The Flexity Classic XXL (classification NGT D12DD)というのが正式型式です。
 5連接で長さが45メートルもあります。

 プジョーみたいなロゴがついてます。あ、プジョーはライオンですが、こちらは馬でしょうか。

 広い道路の専用軌道に入ると、一気に速度を上げます。

 社内には液晶ディスプレーなんかもついてます。
 パイプに付いているオレンジ色の箱は、乗車券の検印機です。

 エルベ川対岸の新市街にあるアルベルト広場です。複雑にレールが走ってます。

 ドレスデンカードを買いました。これがあればトラムは乗り放題。絵画館もフリーパスでした。

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目を覚ましたらプラハ カレル橋独り占め

【6/3】
目を覚ましたらプラハのホテル。旅の初日は、早く目が覚めます。時差の加減です。飛び起きて散歩に出ました。まだ午前5時のプラハです。
マーネス橋を渡ります。ヴルタヴァ川の川上の橋がカレル橋です。

東の空から朝日が昇ります。

橋を渡ったところにあるRudolfinum/芸術家の家です。空色の幟には、「プラハの春」音楽祭のシンボルマークが染め抜かれています。
この中にドボルザーク・ホールがあります。7年前に、ここでペーター・シュライヤー指揮・エバンゲリストの「ヨハネ受難曲」を聞きました。それ以来、すっかりバッハです。

プラハ城をバックにしたドボルザークの像です。

旧市街広場まで歩いてきました。ティーン教会の尖塔が美しいです。

いつも人だかりができている天文時計の前に、だれもいません。

カレル橋の向こうでプラハ城が朝日を浴びています。

カレル橋の旧市街塔です。

プラハの別名は「百塔の町」です。それが納得できる風景です。

カレル橋を独り占めです。赤いダウンコートを着て歩いているのが、同行者です。

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ライプツィヒ 駅前旅館「ROYAL」の満足の朝飯

 【6/7】
 ライプツィヒで4泊した「Royal International Leipzig」です。ここもネットで予約しました。
 最初の朝食には、ニシンのマリネをチョイス。キュウリのピクルスが詰まっていて、初めて食べる味です。酸っぱさもほどほどです。日本の旅館の朝食なら、さしずめアジの干物の焼いたんでしょうが、こちらで魚は珍しいです。

 パンの表面には、何かのタネ(?)がついています。ちょっと警戒しましたが、これがいい香りです。ファンになりました。

 果物にも手を伸ばしました。

 【6/8】
 青い野菜です。ルッコラの葉っぱでしょうか、生の葉っぱというだけで新鮮です。


 
 ジュースとコーヒーが定番です。
 日本では、コーヒーはあまり飲みませんが、向こうの食事には「カフィー」と頼んでしまいす。

 【6/9】
 この日はサーモンが目玉です。

 このクロアッサンも、パリッとしていて気に入り、何回も食べました。

 【6/10】
 スクランブルエッグが当たり前ですが、ゆで卵も並んでました。ちょっと趣向を変えてみました。

 4日間とも、十分にくつろげて、ゆったりとした朝食でした。
 ウエイトレスのお姉ちゃんも、愛想良くコーヒーをついてでくれました。

 最後まで近づくことがなかったのがこのテーブル。シリアルが並んでいて、向こうの人は、これにヨーグルトをたっぷりとかけてました。ケーキも毎朝、違ったのが並んでいるようでした。

 それほど広くはない食堂ですが、毎朝、いっぱいでした。
 でも4日間で出会った日本人は、独りだけでした。日本人ツアーなんかは使わないのでしょう。
 そういえば、隣のホテルには日本人団体が泊まっているようで、聖トーマス教会の音楽祭の夜には、そこまでツアー客を送る「○○浩子といくバッハツアー」みたいな表示を出した貸切バスが止まってました。わたしたちは、それを横目に歩いていきました。

 建物は古いですが、内部はモダンに改装されています。
 泊まった部屋は、シャワーでバスタブこそありませんでしたが、キッチン付きのこれまでにない広さでした。
 ネットもWiFi接続が無料(ちょっと問題はあり)でした。

 ちょっとてこずらされたルームキーです。
 チェックインしてキーを手に部屋へ。ルームボーイはいません。ところが無接触式のルームキーの開け方がわかりません。何回も試しましたが、あきらめてロビーに戻りました。でもフロントは、次の客の対応に追われています。ホテルの規模に対して、明らかにフロントが貧弱なのです。早口の説明聞いて、部屋にもどりましたが、やはり開くことができません。ちょうど、隣の部屋に入る女性が戻ってきたので、教えてもらいました。
 それにしても、このキーを開けるのはコツがいります。
 ちなみに、このホテルは4つ星です。

 ライプツィヒ中央駅の目の前にあります。道路が工事中ですが、見上げればそこそこのクラシックな建物です。この2階(外から見ると3階)の一番左の部屋に泊まりました。

 Royal International Leipzig
 Richard-Wagner-Straße 10 Leipzig, 04109 Germany
 Phone+49 (0) 341 231 00 60

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ベルリン東西分断の記憶 Checkpoint Charlie

【6/10】
ベルリンの思い出は、フィルハーモーニーにつきます。わざわざ行ったのは、絵画館、ブランデンブルク門とここだけでした。

Checkpoint Charlie/チェックポイント・チャーリーは、1945年から1990年まで存在し、ベルリンの壁と並ぶ東西分断の象徴となっていた国境検問所です。ベルリン市内のほぼ中心部、フリードリヒ通り(南北)とツィマー通りの交差点にあります。

東側から見た検問所です。立っているのは、観光客相手にポーズをとる兵士姿のモデルです。たまたまどちらも星条旗をもってますが、左はソ連兵、右は米兵の設定です。

東から西側へ向かう者への警告文です。

すっかり観光地と化してます。

西側からみた検問所です。ソ連兵の写真がにらんでいます。

こちらの警告文は、「米国セクターを離れるので・・・」とあります。

すぐそばにはMuseum Haus am Checkpoint Charlie/壁博物館があります。その前には、壁の一部が展示されています。

壁博物館には、1961年のベルリン封鎖当時の市内の様子や、東側から逃れようとし、逃れてきた人たちの記録が詰まっています。残念ながらゆっくりと見学する時間はありませんでした。
みやげもの売り場には、壁でデザインした飾り物が売られていました。

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Český Krumlov → Praha  帰りは高速バスで

 【6/4】
 チェスキー・クルムロフに1泊して、帰りは直通高速バスにしました。
 ハイデッカーのバスを見て安心しました。もっとボロボロのバスかと懸念してました。

 泊まった中心部のホテルから歩いて10分ほどの町外れにあるバスセンターです。一般の車はここからは入れません。

 studentagencyが運行しています。
 これまたネット予約した乗車券のプリントアウトです。なんと座席まで指定できました。地元客は、出入り口に近い中央部付近が好みのようでした。日本で高速バス事故があった直後に予約したので、眺めの良い最前部には座りたかったのですが、せめては運転手後ろの席です。
 2人で15.3EUR。1500円ちょっとです。安いです。

 あいにくの雨となりました。チェスキー・クルムロフ城が雨粒にかすみます。

 途中、行きの列車を乗り継いだČeské Budějovice/チェスキー・ブディェヨヴィツェに停車しました。
 サービスは抜群です。まず新聞を配ります。もちろん、読めるはずがない新聞はもらいませんでした。
 音楽を聞くイヤフォンを配ります。さらに飲み物のサービスまであります。女性乗務員は、結構忙しそうです。

 もうひとつ停車駅では、対面するようにパトカーが停車しました。どうしたのかなと見ていると、制服の警察官が乗り込んできて、写真が入ったプリントアウトを手に、1人づつ「面通し」です。凶悪犯が逃げていたのでしょうか? もちろん、わたしはフリーパスでした。 

 何事もなかったように、ボヘミアの大地をバスは走ります。
 プラハまであと40キロほどの表示が出たころです。
 「パーン」
 大きな音が響きました。パンクしたのかと思いました。バスはスピードを落とし、クッションも急に悪くなりました。運転手は、携帯電話で連絡を取ってます。それでも止まりませんでした。

 バスは一旦停車することもなく、そのままノロノロと後続車に抜かされるままプラハまで走りきりました。

 

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