憧れだったポルトの夜はふけて

【 paso a paso 3 2023/05/16 】

 ポルトの町を流れるドウロ川と、ドン・ルイスⅠ世橋です。エッフェルの弟子によって1886年に建造された鉄のアーチが美しい町のシンボルです。イルミネーションが輝きました。
 コロナ・ウイルスが流行し始めた20年の春、ここからサンティアゴ巡礼を始めるはずでした。航空券も予約してましたが、断念に追い込まれました。それから3年。もう73歳になっています。やっと巡ってきたラスト・チャンスでした。
 憧れの地までやって来ました。3回目の巡礼のスタート台に立てたことを実感した夜でした。

 関空を飛び立ったルフトハンザ機はミュンヘンに到着。ここからポルトへの直行便も飛んでますが、チケットが取れませんでした。フランクフルトを第2経由地として乗り継ぎました。

 フランクフルト上空まで飛んできました。

 とにかく広く、歩かせてくれます。このハブ空港の利用は3回目です。

 最新型車がカッコよく展示されています。

 ライカの赤いロゴが見えたので、のぞいてみました。

 Leica D-LUX7が堂々と展示されています。このカメラ、実は日本のLUMIX(Pasanosic)が、LX100ⅡをベースにOEM生産しています。わたしのカメラの兄弟なのです。細部の仕様などは異なるようですが、レンズまわりの格好など、瓜二つでした。ちなみに価格は2999€。ひゃー高い。

 フランクフルトにやって来て、フランクフルト・ソーセージです。マスタードたっぷりに、そりゃうまいでしょ。

 ビールなどとセットでなんと14.9€。昼飯で2000円超えです。

 ルフトハンザ機ばかりが目につく空港から、再び出発です。

 どこの上空を飛んでいるのでしょうか?

 スペインからポルトガルを突き抜けて大西洋に達しました。

 ポルトに向けて下降しました。

 緊張の瞬間です。ロスト・バッゲージにはなってないだろうなと。ターンテーブルにわたしのザックが現れると、ホッとしました。
 百均出身の布団袋の役目はここまで。すぐに破り捨てました。

 予約しているオステルまではメトロで向かいます。
 自動券売機でチケットを買いました。運賃は1.6€(ゾーン3)、初回発券代が0.5€でした。ホームの黄色い箱でバリデートしました。

 メトロと呼ぶLRTのような乗り物です。ポルト広域を走っています。郊外では地上を、都心では地下に潜ります。

 空港発のメトロは、大きなスーツケースもあって混雑していました。

 メトロを一度、乗り換えて迷うことなくオステルの最寄駅です。

 駅から歩いて3分ほどの、表通りに面したビルです。ところがオステルの看板はありません。そんなことは承知で、グーグルのストリートビューで調べてありました。
 インターフォンで呼ぶと、ドアのロックが解除されました。

 2階(日本風には3階)まで小さなエレベータで上がると、「ORIGAMI」というオステルがありました。

 オステルでひと段落した後、夕飯に出かけました。
 中心街のサオ・ベントです。ポルト大聖堂もこの近くにあります。

 方向だけを確認して、ドウロ川に向かって歩きました。カフェが立ち並び、にぎやかでした。

 憧れていた風景が目の前にありました。

 さっそく夕食です。ドウロ川沿いのカフェに入りました。

 「Portuguese Octpus Salad」(14€)です。冷製のタコのブツ切りがオリーブオイルで和えられています。これはタコの酢モノを食べているようです。

 ビールの次はきれいなサングリアも頼みました。スカッとさわやかな口当たりを、ゆっくりと楽しみました。

 川風に吹かれて、ほっとひと息のよい気分でした。

 黄昏のドウロ川沿いは、大にぎわいでした。

 帰りのメトロがドン・ルイスⅠ世橋を渡りました。車窓からにぎわう川沿いを見下ろしました。

関空から3回目のサンティアゴ巡礼へ

 サンティアゴ巡礼に関西空港から飛び立ってから、早くも1ヵ月以上が過ぎました。その間にいっぱいの思い出が詰まってしまい、すでに遠い過去のようです。改めて【paso a paso(一歩一歩)3】として、旅のあれこれを書き連ねていきます。

 

【 paso a paso 3 2023/05/15】

 緊張感がいっぱいの旅立ちでした。深夜便のため、夕刻に自宅を出ました。満杯のザックが、ズシリと肩に食い込みました。

 JR新大阪から乗り換えた特急「はるか」は、大阪駅の地下駅に停車しました。奥さまも関空まで見送りについてきてくれました。

 チェックインはネットで済ませていました。手荷物のザックを預けるだけです。

 百均で買った布団袋でザックを包み、ビニールテープでぐるぐる巻きにしました。「迷子にならずにポルトまでいけよ」と送り出しました。

 最後の日本食です。ところが関空の食堂街はコロナの影響からか多くの店が撤退したようです。選択の余地はほとんどなく、「神座(かむくら)」のラーメンで済ませました。

 白菜スープがおいしいラーメンです。この醤油味ともしばしのお別れでした。

 ルフトハンザドイツ航空で最初の経由地であるミュンヘンに向かいました。
 20年以上も前にこの路線が開設されたときに、ドイツ政府観光局から新聞社への招待がありました。その時はビジネスクラスでしたが、今回は当然のことながらエコノミーです。

 機内食が出て気ました。まずまずのお味でした。

 赤ワインいただきました。

 

 最短ルートのロシア上空を横切って飛べなくなった航空機は、北極圏を回ると聞いてました。実際には北京から中国北部、タクラマカン砂漠と飛行しました。やがて黒海上空でした。キエフ(キーウ)などウクライナの地名がディスプレーに表示されると、「おいおい、ロシアに撃墜されないか?」とちょっと心配もしました。

 何事もなく飛行は続き、2回目の機内食をいただきました。ミュンヘンはもうすぐでした。

ヒゲを剃りました

 ヒゲをそりました。ちょうど1ヵ月の成果です。レザーは持ってましたが、一度も剃ってませんでした。15mmくらいはあったでしょうか。
 頬がこけているのもよくわかります。

 さっぱりとしました。
 体重は、出発前は68kgありました。今、測ってみるとなんと61.0kgしかありませんでした。1カ月で7kg減というのも驚きです。

 

巡礼の旅 最後の夜は最高の夜

 ほぼ1ヶ月に及んだサンティアゴ巡礼の旅も、リスボンで最後の夜をむかえました。知人に紹介していただいた神父さまに、夕食をごちそうになりました。
 高槻のカトリック教会におられたこともある神父さまは、日本語がお上手。遠藤周作の「沈黙」の研究で博士となられた偉い方です。穏やかな神父さまは、信徒でもないのに巡礼をしているわたしにも、いろいろとお話しくださいました。
 リスボンは翌日がイワシ祭として知られるサント・アントニオ祭でした。この夜はみんながイワシを食べるそうです。わたしもおいしくいただきました。

 おそれ多くも神父さまとのツーショットです。話がはずみました。ワインを一本、空にしました。
 巡礼中のわたしの身元保証人になっていただいておりました。何かのアクシデントでは、電話でご対応いただけることになってました。感謝を伝えました。

 この夜の料理は、イワシしかセレクトはないでしょう。

 塩味が効いた紛れもなくイワシです。匂いまで日本で食べるのと同じです。

 神父さまを見習ってオリーブオイルを垂らしていただきました。

 デザートは、リンゴの入った菓子でした。

 甘さはほどほどて、わたしもペロリと平らげました。

 Joce fo Casaという、この店のオリジナルだそうです。

 グーグルのナビに導かれ、ホテルから電車、地下鉄、地下鉄と乗り継いでやってきました。

 食事後、20分ほど歩いてサント・アントニオ祭の前夜祭の一会場に案内してくださいました。
 カーニバルのようなパレードでした。

 ものすごい人出で熱狂してました。

 オリジナル・サイトです

パスティシュ・デ・ベレンで朝食を

 リスボン名物のナタ(エッグタルト)で朝食でした。巡礼とは違っても我ながらオシャレを気取ります。
 ナタの名店、パスティシュ・デ・ベレンが、なんと泊まっているホテルの10メートル先でした。これは食べてみるしかないでしょ。起きるやいなや、出かけました。
 ナタが2個とコーヒーミルクです。すぐに出てきました。
 甘さ控えめです。ほのかに温かいです。玉子クリームが、口の中でとろけます。こりゃ、うまいわ!

 テーブルにはシナモンと砂糖です。
 2つ目にはシナモンをふりかけました。良い香りが広がりました。

 厨房では、どんどんと焼けてました。

 わたしは小さな部屋でいただきました。奥には大広間もありました。

 テークアゥェーする客も多いです。

 1個1.3€と手ごろです。

6個入りをみやげにしたかったです。

 1837年創業の老舗です。

 向こうがジェロ二モス修道院です。ベレンの塔もすぐ近くです。