琵琶湖周歩の旅 その1

(1) 水無瀬-宇治 (03/04/27)

 水無瀬-淀川河川敷-山崎-淀-伏見-観月橋-宇治(-京阪四条-水無瀬)


 8:35
 4月27日(日)、晴れ。
 「琵琶湖周歩の旅」にひとり出発する。
 島本町水無瀬の自宅を出て、コンビニでアクエリアスのペットボトルを1本買う。
 駅前の掲示板の表示はすでに22度を示してしる。暑い一日になりそう。


 8:51
 5分も南下すると淀川の河川敷へ。そこからちょっと上流へ歩いたところに、「河口から34.0km」の石碑があった。ここを今回の旅のスタート地点と定める。
 後方は河川敷の水無瀬ゴルフ場、はるかに石清水八幡宮のある男山。


 9:05
 いつもはクルマで通り過ぎる国道171号沿いも、歩いてみると新たな発見が。
 京都・大山崎町との境あたりに「官幣大社 水無瀬神宮」の石碑が立っている。


 9:45
 大山崎地区ピクニック広場は、バーベキューを楽しもうという親子連れらでにぎわっている。


 10:18
 宇治川にかかる宮前橋を渡る。
 振り返ると右側の手前の山が天王山。その向こう側から歩いてきた。


 10:35
 歩き始めて2時間。そろそろ疲れが。
 馬券を買いに京都競馬場に入っていく車を横目に休憩。


 11:41
 伏見の濠川(宇治川派流)。観光地区としてきれいに整備されており、気持ちがよい。
 菜の花(?)には、モンシロチョウが舞っている。


 11:44
 十石船が観光客を乗せてゆらゆらと。伏見港開港400年を記念して1999年に復活した。「秀吉」号と「龍馬」号がある。30分ほどかけて、水上から、酒蔵が並ぶ伏見の町を見ることができる。


 11:42
 家並みの間から「寺田屋」が見える。坂本龍馬がお龍の機転で難を逃れた「寺田屋騒動」があったところ。柱には刃傷の痕も残っている。


 11:47
 寺田屋近くの路地のような商店街は、いつのころからか「龍馬通り」を名乗っている。


 12:08
 宇治川にかかる観月橋を渡る。岸には、伏見と大阪を往復した「三十石船」を模した屋形船が係留されている。
 川を渡ると、宇治までは左岸に沿って歩く。その前にラーメン店に入り、ビールをぐっとガマンして、味噌ラーメンを食べる。そこそこの味だった。


12:59
 「47.5km」と書かれた大きな看板。水無瀬から川の上をまっすぐあるいてくれば13.5キロの計算。実際には、淀-伏見間は堤防上を歩けなかったので、だいぶ大回りをしている。
 マメができたのか、足の踵が痛い。


 13:04
 48キロ地点。対岸のあたりに、小学校時代の担任の先生が住んでいて、夏休みには遊びに行き、このあたりの川原で泳いだことをがある。


 13:47
 宇治橋に到着した。「大化2年(646年)に架けられて日本最古の橋」と説明されている。
 万歩計は3万4000歩を超えている。

杉本町探訪ツアー


2003/01/04 大阪市立大学およびその周辺、アベノにて
              (Photo by 鎌田、田谷)

 

JR杉本町駅は、当時と同じだった

踏切から見る本部キャンパス

1年の秋まで時計台は封鎖されていた

 

「あの木、もって背がひくかった?」とかすかな記憶を呼び起こす

後輩にシャッターを押してもらう

立派な門表が

 トレーニングで汗を流した階段スタンドは、新しくなっている

地図で確かめながら、キャンパス周辺を歩く

工学部前

 立て看板ひとつない、きれい(?)な  教養の門

 当時と同じ教養生協の前に、わずかに立て看があった

立ち入り禁止事項は「覆面、ヘルメット」

野っ原だったとこに高層ビルが

立派な「学術情報総合センター」

 クラブ長屋。汚さは当時と同じ

 整然とした理学部前

 生活科学部(当時は家政学部)

 杉本町駅も改札口は2階に

 なつかしの「東」「喜代」は、そのまま

 喫茶「杉の子」は、店名を変えたようだが、はげたテントに昔の名前が

 ありました「イーグレット」。昔はもっと大きなテントで、2階窓は見えなかったはず

住吉さん行きのチンチン電車が今も走るあべの筋

 近鉄はそのままだが、ビアガーデンによく行った「ホテル・エコー」は更地に

 工事中のJR天王寺駅。暗くなると恐竜の骨格が光っていた

 帰りには「551」の豚まんをおみやげに

どたぐつ3 on Mt.Fuji

どたぐつ3 on Mt.Fuji  


 2002年7月26-28日、大阪市立大学野外活動部「どたぐつ」OB3期の8人が学生時代から30年後に、
その家族も交えて富士山登山に挑み、下山後の一夜を河口湖畔ですごした行動の写真集です。
 

(Photo by 吉本、原、鎌田、田谷)     


7月25日午後7時13分。東京・八王子市の鎌田くん宅屋上から見た富士山。翌日の好天が約束されていた。


2002年7月26日午前8時、JR京都駅に集合した8人。さあ出発


「こだま」の中で受験勉強する原家4男、喜世志くん


列車が新富士に近づくと、「早くおいで」とばかりに富士山が雲の上から頭を見せた


新富士駅で佐藤くんと合流。われわれのザックをみて、この日のために買ったステッキを忘れたことに気づく


廣田くんがハンドルを握るレンタカー。「東芝」の看板と背比べするかのようにくっきりと富士山が


河口湖口5合目の駐車場は満車。1キロ以上手前でクルマを止め、火山岩の上で昼食の駅弁を食べる


高度順応のため、5合目で錠剤酸素を5粒ずつ飲み、体を慣らす


昔懐かしいポストも立っていた5合目。ここまでは観光地


2305メートルが出発点。頂上までの高度差は1471メートル


いよいよ登山路へ。「富士登山競争」で山頂へ駆け上がってきたムキムキ選手らとすれ違う


隊列を組んで、一歩一歩踏みしめる


樹林帯を抜けると、はるか頂上まで見渡せる。「あそこまで登るのか」


万里の長城のように続く登山路には、いくつもの山小屋が林立している


雲の上まで登ってきた。眼下には「胃」の格好をした山中湖


次々と現れる山小屋が、休憩ポイントとなる


山小屋では杖に焼印を押してもらう登山者が多かった


登山路はアリの行列状態。おかげでオーバーペースにならず、まだまだ元気にピッチをかせぐ


富士山の地図を張り付けた自慢の団扇を手にしたリーダー。これがなくても道に迷いそうもないが


出発直後にアクシデントに見舞われた佐藤くんも、大丈夫のようだ


そろそろ疲れが。凍らせてもってきたアクエリアスがおいしい


夕闇が迫る。かなたには八ヶ岳が浮かぶ


やっと高度3000メートルに到達。傾斜はきつい。ジグザグに登る


8合目「蓬莱館」に宿泊することに。団体が少なく、比較的ゆったりしていた


山小屋の夕食は、レトルトカレーだけの粗末なものだった。あとは眠るだけ。8時には布団に


東京の明かりまでが見渡せる、よく晴れた夜だった


7月27日午前3時。いよいよ頂上を目指す日がやってきた


出発を前に余裕のタバコをふかすふたり


前夜は高山病に苦しめられた原ジュニアも、体調も戻ったようでひと安心


頂上をめざして、さあ気合いを入れないと・・・


やっと本8合目に着いた。日の出を前に、朝食の準備にかかる


まだ太陽は上がらない


真夏だというのに、寒さが身にしみる。温度は5度ほどしかない


あっ、太陽だ。東の空に一条の光が


お日さまが昇ってくる。清々しい気持ちで迎えた富士山からのご来光だ


日本一の日の出を、われわれは拝むことができた。HPのカウントダウン時計はこの瞬間「0」となっていたはずだ


空が赤く染まる。きょうも快晴だ


雲海が広がる。島のように浮かぶのは、どこの山だろうか


この感動を誰かに伝えたくなる。相手の時間もきにせず携帯を握る


笑顔が素晴らしい。いっしょにここまでやって来た


笑顔は? 逆光で表情は不明。きっとすばらしい


原ファミリーにも最高の瞬間


満足感から思わず表情もなごむ


さあ、頂上までもう少し。あそこにゴールが見えている


「富士山頂上奥宮」に登り着いた。敬虔な気持ちで手を合わせた。「みんな、ありがとう」。そして「家内安全」


「どたぐつ3期」の7人。晴れ晴れとした表情で整列


原一家にとっては、家族の絆を深めた登山となった


まわりは全てが眼下。気持ちが良い


コーヒーをたてる。達成感を胸に至福の時間


思わず笑みがこぼれる


頂上にはお土産屋も並び混雑していた


コースリーダーは、お鉢巡りをどちらから回るか検討する


単身赴任の不規則な生活も、スポーツジム通いで克服した?


苦しみながら登りきった根性で、次は来春の頂上を目指せ


最高峰の剣が峰に向けてお鉢巡りに出発


黒い石が積もっていた火口。おみやげはこの軽石というかたも


空荷で歩く。散策気分だ


のんびりとした天上の時


親子で踏みしめる道


「ほら、あれが御岳」、と指をさす


眼下には、春合宿で彷徨った人もいる青木ヶ原の樹海が広がる


はるか、八ヶ岳から槍、穂高、後立山までが望めた。最高の眺望

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登頂の9人。3776メートルの剣が峰頂上で、夢が現実のものとなった


富士山頂上、3776メートルの証


私の高度計は誤差が生じて「3765メートル」を指した


富士山頂上の三角点。恐れ多くてさするのが精一杯。踏みつけた人はいない

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レーダーが取り外された富士山測候所前で。「芙蓉の人」のすごさを、改めて思い知る


富士山自慢のバイオトイレ前で。予期せぬ人が高山病で苦しんでいた


意気揚々とお鉢をめぐる


ブルドーザーが砂埃を上げて急斜面を登ってきた


2日目の宿は河口湖カントリーコテージ「Ban」。鎌田くん父子が先着して食事の用意をしていてくれた


露天風呂につかり、さっぱりとした気分で


鎌田くんが仕入れてくれたヤマメやアマゴ、エビを焼く


ビールの味が最高。何杯でものどを通る


鎌田くんと愛娘・佐芳ちゃん


何を食べてもおいしい


「あっちむいて、ホイ!」。原夫人もすっかりくつろいで


喜世志くんは、「おにいちゃん」と慕われ、花火の大サービス


ゴーマちゃんの「富士山、登ろうよ!」という意気込みに感謝、感謝!


このプロジェクトの計画、手配、リーダーと廣田幹事長、ほんとにご苦労さま


つじもっちゃん、コースリーダーとして我々を明るくひっぱってくれて、ありがとう


ムードメーカーの佐藤くん、あなたのおかげで今回も楽しい山行でした

3人で参加の原くん、すばらしい家族の生き方を身をもって示してくれて、見習わなくては


鎌田くん、おかげでおいしい食事を満喫しました。今度はともに


すっかりパーティーの一員となった原夫人と、喜世志くん、次の機会も一緒に行きましょう


ありがとう、みどりちゃん。同じ時間を過ごせて楽しかったよ


佐芳ちゃん、早く大きくなって、おじちゃん、おばちゃんたちと山に登ろうよ


夜のコテージ前。富士山の稜線にかすかに小屋の明かりが見えた


静かにな夜が時を忘れさせる


朝食は鎌田くんが用意してくれた「ほうとう」に舌鼓


次はどこに? といつまでも話はつきない

コテージの庭からは、3日目(7月28日)の朝も河口湖の向こうに富士山の姿が


さほ姫、ちょっと大きめの杖に帽子でポーズをとる


さあ、記念撮影。あれひとり足りないぞ


やり直し

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隣の奥さんを呼んでシャッターを押してもらう。これで全員集合!


孫の手を引いて、という日も遠からずやってくる


寒い。「富岳風穴」で


冷気が吹き上げてくる「鳴沢氷穴」の前は大渋滞


ちょっとした探検気分で


昔は、夏の氷は将軍に献上する貴重品だった


富士山の氷をパック入りで売っていた


旅も終わりに近づいた


「次は一緒に行こう」と、ムラタくんらに手紙を書く