「数」ある欧州旅 『22』

 スイスのミューレンは、アイガー、メンヒ、ユングフラウのベルナー・オーバーラント3山を目の前に見ることができる標高1,650mの村です。この村に通じる公道はありません。
 わたしは麓のラウターブルンネンからまずロープウエーで、さらにラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道に乗り換えて行きました。
 「地下鉄の車両はどこから地下に入れるのか」とうのは有名な漫才ネタですが、「22」を付けたこの車両はどうして運ばれたのでしょうか?

 プラハの城には黄金小路があります。王が錬金術師(?)を住まわせた長屋が残っています。「No22」の青い壁の家には、かつて作家のフランツ・カフカが暮らしたことがあるそうです。

 プラハのトラムは、再度の登場です。マラーストラナ広場から少し行ったところにトラムがビルの1階部分をくぐる個所があります。ここだけは単線になってました。

 冷戦時代のベルリンで、東西の接点だったチェックポイント・チャーリーです。「壁の博物館」は、土産物売り場のようでもあり、「壁」の破片も売り物として並んでました。10時まで営業してました。

自分でつくる トマト・ハンバーグパスタ

 冷蔵庫をあさって昼飯です。
 ハンバーグが1個、冷凍されてました。たくさんいただいたミニトマトは、ソースにして保存してました。これだけあれば十分です。

 ボリューム満点。トマトの酸味も効いたおいしいパスタになりました。

 ハンバーグを電子レンジで温めて、パスタの上に載せました。
 ニンニクで香りをつけたオリーブオイルでトマトソースを戻し、白ワインで緩めました。刻んだバジルも入れました。飾り用のバジルも用意してましたが、忘れてました。
 

「数」ある欧州旅 『21』

 ベルギーといえばチョコレート。ブリュッセルの世界で最も美しい広場のひとつといわれているグラン・プラスに面して、GODIVAの店もありました。「1926」ばかりが目立って、肝心の「21」は控えめです。

 ドイツ・ドレスデンで見かけた信号柱に21とありますが、意味はわかりません。
 わたしがレンズを向けたのは歩行者用信号のデザイン「アンペルマン」の方でした。旧東ドイツで使われていましたが、東西統一後もそのかわいさに親しみを寄せる人が多く、生き残っています。ベルリンには、アンペルマン・グッズを集めたショップもありました。

 スペイン・サンティアゴ巡礼では、多くはドミトリーのアルベルゲ(巡礼宿)に泊まりました。でもそれが続くとプライバシーもなくて疲れるので、1人部屋のペンシオンやホテルも利用しました。
 ログローニョのペンシオンは、飲み屋街の路地にありました。バルを3軒、ハシゴしてくつろぎました。

 わたしの2回目の巡礼は、バルセロナからパンプローナまでrenfe(スペイン国鉄)でやってきて、フランス・バイヨンヌ間を往復するバスに乗り継いでスタート地のサン・ジャン・ピエ・デ・ポーに向かいました。
 巡礼4日目に、再びパンプローナの旧市街を歩きました。

 

「数」ある欧州旅 『20』

 スペイン・サンティアゴ巡礼から2つ。
 巡礼の朝は早いです。この日も6時半にはプエンタ・ラ・レイナのアルベルゲを出発。開いていたカフェでクロワッサン、スーモ・ナハーラ(オレンジジュース)、カフェ・コン・レチェ(カフェオレ)とお決まりの朝食を取りました。さて、歩くかと外に出ても、まだあたりは真っ暗です。
 スペインは、ヨーロッパでもほぼ西の端に位置するのに、サマータイムもあって朝日が昇るのはこの時期は8時半ごろでした。

 巡礼も終盤近く。オ・セブレイロの峠の村で見つけた「貸し自転車」の広告です。これに乗って、20キロ先の麓の村、トリア・カステラまで2時間で走り降りることができます。足が痛かったので、かなり誘惑的でした。6時間ほどかけて、自分の足で歩きましたが。

 ウィーンのナッシュマルクトは、通りに沿って市が立ってます。そこで泳いでいたのは「Aale」、まぎれもなくウナギでした。1キロ、20€は高いのか安いのか? 調理法も不明です。まさかかば焼きはないでしょう。

 ドイツ・ライプツィヒの街角です。ウェディングドレスの新婦が通り過ぎました。

 FINNAIRで行くヘルシンキは、日本からは一番近いヨーロッパです。
 ベルリンからの帰り道も、ここで乗り継ぎました。ヘルシンキ・ヴァンター空港は、こじんまりとした空港です。ムーミンや北欧デザインの土産物が素敵でした。

Myメモリー 廃村八丁

 歳をとると、いろんな昔を思い出します。
 芦生の森を歩きました。「廃村灰野」に「佐々里峠」への分岐がありました。この2つのキーワードで浮かんだのが「廃村八丁」です。南西に3時間という佐々里峠のさらに同じほど離れた南西にあります。
 時は1965年秋までさかのぼります。わたしは高校1年生でした。その当時で、八丁はすでに1941(昭和16)年に最後の住民が離れてから24年が立って、廃村になってました。
 土蔵に近代的なビルや富士山、水着姿の女性が描かれたのはいつのことかはわかりません。当時から、知る人ぞ知るスポットでしたが、その土蔵も朽ち果てようとしていました。 

 ネットを調べてみると、それから22年後の「山と渓谷」(1987年3月号)に掲載せれた全景がありました。
 今は、もう存在しないでしょう。

 若かりし日のわたしと、Nくん、Kくんです。では、だれがカメラのシャッターを押したのでしょうか?

 もう1枚にヒントはあるのですが、手前の男性が誰であるかは、記憶にありません。

 この土蔵で泊まったはずです。
 食事の準備です。懐かしい灯油を燃料としたラジュースでコッフェルを熱しています。ご飯は飯盒で炊いたのでしょう。

 これまでのMyメモリー

「数」ある欧州旅 『19』

 スペイン・サンティアゴ巡礼の思いで深い1枚です。旅の前半のエステージャです。
 広場に面したレストランで巡礼定食を食べました。少年たちは、サッカーのボールを追ってました。カメラを向けると、列をつくってポーズをとってくれました。
 わたしも加わったところで、その日、知り合い、一緒に食事をしたKさんが、すかさずシャッターを押してくれました。

 ウィーン北部のハイリゲンシュタットにベートーベン通りと名づけられた小道がありました。傍らを小川が流れていました。
 ベートーベンは、ここを散策していて交響曲第6番「田園」の曲想を得たそうです。

 スイス・ルツェルンで見かけたレストランの看板です。ちょっと昔になりましたが、ランチの安い方で19€とは。スペインの巡礼では、夕食でも10€ほどだったことと比べると、スイスの物価は随分と高いです。

 ミラノのマルペンサ空港です。市内中心部まではシャトルバス(マルペンサ・エクスプレス)に乗りました。ところが乗り込んだバスは、なんだかヘン。
 「Milano Centarale?」と、運転手に確かめました。「No,No!」。運転手はバスを降りて、正しいバス停まで案内してくれました。迷子にならなくてよかったです。

芦生の森 トロッコ跡ハイキング

 京都・南丹の美山町芦生(あしゅう)にある芦生の森、正確には京都大学フィールド科学教育研究センター芦生研究林、昔の呼び方では京大演習林にハイキングに行きました。
 これまでの暑さはどこに行ったのか、初秋すら感じさせるすがすがしい1日でした。
 美山川に沿って、演習林の研究用に使われたトロッコの軌道跡が残っています。緑の空気をいっぱいに吸って、リフレッシュしました。

 川面には、対岸の樹々が美しく反射していました。紅葉のシーズンに、またやって来たいです。

 本日のわたしの山メシは素麺でした。前回の炎天下の高御位山登山で、同行者がおいしいそうに食べておられました。さっそく真似をしました。渓流に浸した冷たい素麺が、ツルツルとのどを滑りました。

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「数」ある欧州旅 『18』

 ベルギーのアントワープからアムステルダムへはタリスに乗りました。ユーロスターと同様に、フランスのTGVを基本につくられた高速特急です。
 指定席は18号車だったので、ホームの表示に従って待ってました。ところが入線してきたタリスの編成は前後が逆でした。あわててホームを右往左往する人がたくさんいました。ターミナルで前後が逆転するのは、欧州ではよくあることです。

 ブダペストで見かけた味のあるポストです。18の文字は拡大しておきました。

 スペインの付加価値税(日本の消費税に相当)は、商品によって軽減税率が適用されますが、アルコール類は標準税率の18%です。
 Radlerは、ビールをレモンやレモネードで割ったアルコール飲料です。歩き疲れた体には、すっきりとした味わいがたまりませんでした。

 ベルリンの国立絵画館のチケットです。18歳までは無料です。
 フェルメールの「真珠の首飾りの女」は、東京に出張中でした。

「数」ある欧州旅 『17』

 アムステルダムの中央駅は、どこか東京駅と似ています。
 「17」は、市内に縦横に伸びるトラムの行き先のひとつです。コンセルトヘボウ(コンサート・ホール)へは5番でした。

 アムステルダムにやって来たのは、マリス・ヤンソンス指揮のロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラのコンサートを聴きたかったからです。ベルリン・フィルで聴いて、すっかりファンなったヤンソンスのコンセルへボウでの最後のシーズンでした。
 座席は、発売開始と同時にネット予約しましたが、ちょっと後ろの17列でした。

 アムステルダムは、運河の町です。遊覧ボートで巡りました。音声ガイドは20か国語もありました。日本語は「17」でした。

 ブリュッセルの街角です。17は小さいです。

 ドイツ・リューネブルクのニコライ教会です。教会が閉まるのは5時です。
 この教会でわたしの奥さまたち女声アンサンブル「コール マーテル」が、日曜ミサに献歌しました。高いドームに澄み切った声が響き渡りました。あの日、洗礼を受けたパウル君は、わんぱく坊主に成長しているのでしょうか。

 こちらは、欧州旅に出発する関西空港です。
 かつては、オーストリア航空のウィーン直行便が飛んでいました。上から下まで真っ赤なコスチュームのキャビン・アテンダントが格好よかったです。復活してほしい路線です。

宇治 「手もみうどん うえだ」の木の葉丼ミニうどん付

 宇治・興聖寺での盂蘭盆会の法要は、思いのほかスムーズに終わりました。
 それでは昼飯です。ネットで「近くのうどん屋」で検索してやって来た「手もみうどん うえだ」です。
 名前の通りうどんが自慢の店ですが、うどんがおいしい店は、丼もいけます。というわけで「木の葉丼ミニうどん付」(810円)です。
 関西には、カツ丼だけでなく、木の葉丼やら衣笠丼やら、シンプルな丼がいろいろあります。かまぼこやシイタケを木の葉のように散らしたのが木の葉丼です。期待にたがわぬ味でした。おまけに、ご飯もたっぷりです。 

 うどんは「冷や」です。パリッとした天かすなんかがトッピングされていて、適度の腰のある麺がうまいです。

 奥さまが頼んだ「素揚げ野菜入り ぶっかけうどん」には、ふっくらと膨らんだモチが2個も載っていました。それが全部、回ってきました。おいしかったけど、満腹です。

 住宅街の角にありました。人気店のようです。「売り切れ次第終了」の張り紙がありました。

 手もみうどん うえだ
 0744-23-4909
 宇治市宇治蛇塚76-3