「数」ある欧州旅 『11』

 こんなに小さな「11」しか見つかりませんでした。
 ベルギーのアントワープです。「フランダースの犬」の舞台となったノートルダム大聖堂の下にあるカフェで昼食を食べました。大聖堂のカリヨンがドヴォルザークの「わが母の教え給ひし歌」を、そしてビートルズの「レット・イット・ビー」を奏でていました。

 アントワープの駅から大聖堂まではトラムに乗りました。一方通行の曲がりくねった路地をトラムは「チンチン」と走っていました。

 スペイン・サンティアゴ巡礼で毎夜のごとくお世話になった「ペルグリーノ・メニュー(巡礼定食)」を、ちょっと詳しくご紹介です。
 ファーストから1皿選びます。パエリア、スパゲティ・ボロネーゼ、スパゲティ・カルボナーラ、キノコのリゾット、ミックスサラダ、赤い豆(小豆?)とソーセージ、白い豆(白いんげん?)スープ。
 2皿目はこんな具合。目玉焼きハム・チップス添え、豚ロース肉・チップス添え、チョリソー・チップス添え、パン入りイカ、鶏手羽先・チップス添え、そしてチキンナゲット・チップス添え。さて、どれにするか迷います。
 デザートは、ヨーグルト、アイスクリーム、オレンジからのチョイス。さらに水かワインがついてきます。ワインは赤で、ハーフボトルが多かったです。
 これだけ食べてたったの11€、1500円しませんでした。

大阪・水無瀬 「Mamma」の本日のオーガニックランチA

 「本日のオーガニックランチ」から選んだのは、「A 長崎黒毛和牛テールのスパイシーカレー」(1500円)でした。
 家から歩いて3分、いや4分ほどの小さな商店街にあるオーガニックカフェ「Mamma」です。
 こってりとしたテールがいい味を出してます。どちらかというと和風。少なくともインド風ではないですが、十分にスパイシーです。

 「糸瓜ときゅうりの酢のもの」と、カレーの付け合わせにしては異色です。
 分厚いスイカも、いい口直しでした。

 冷たいコーヒーを追加しました。

 窓辺の飾りがかわいいです。

 5年ほど前にもやってきていました。

 オーガニックカフェ Mamma(マンマ)
 大阪府三島郡島本町水無瀬2-3-9
 075-962-8686

「数」ある欧州旅 『10』

 きょうから2桁の「10」です。
 スペイン・サンティアゴ巡礼から、道半ばの大聖堂の街、レオンです。城跡から旧市街に入りました。

 巡礼スタートの日。ピレネー山脈を越えました。ホタテ貝のシンボルマークと矢印に、最後まで導かれました。青空が抜けるようでした。

 ウィーンのハイリゲンシュタットにあるホイリゲです。新酒のワインを飲ませてくれます。日本の杉玉と同じようなのがぶさがっていました。

 プラハの街角です。路地でペンキ屋さんが鼻歌交じりで壁の補修をしていました。

 10€札は、日本の1000円よりちょっと高い感覚ですが、最も使いやすい紙幣です。

 オーストリアのザルツ・カンマーグート地方です。陶器の町、グムンデンで乗っていたOeBB(国鉄)が臨時停車。バスへの振り替え輸送になりました。降り立った駅前から市街地行きのトラムが発車していきました。
 みやげにした緑色の幾何学模様が美しいグムンデン焼の長い皿を、今も大切に使っています。

「数」ある欧州旅 『9』

 「9」まできました。
 ベルリンの名所、ブランデンブルク門の前です。人力のタクシーが客待ちをしていました。


 
 オーストリア・ザルツブルクの目抜き通り、ゲトライデ・ガッセに面したモーツァルトの生家です。内部は、当時の様子を再現した展示館になってました。

 スペイン・サンティアゴ巡礼で、イラゴ峠の麓の村、フォンセンバドンのアルベルゲ(巡礼宿)の案内です。コミュニティー・ディナーは9€でした。なにせ、アルベルゲが数軒あるだけといった村です。これを食べるしか選択肢はありませんでした。
 料理はおいしかったですが、同じテーブルを囲んだ人たちとのコミュニケーションがなかなか大変でした。

 またも、鉄道のプラットフォームです。ドイツ・ライプツィヒからドイツ版新幹線のICEに乗ってワイマールに小旅行しました。

自分でつくる もう一度、なすのオイル漬けの冷製パスタ

 なすのオイル漬けの冷製パスタに再挑戦しました。10日ほど前につくったときは、細いカッペリーニがなかったうえ、塩加減を失敗して塩辛すぎました。
 タマネギも、みじん切りにして水にさらしました。思い通りに仕上がりました。

 朝食後にソースをつくり、冷蔵庫で冷やしておきました。
 湯むきしたミニトマトが、甘いです。
 オクラがあったので、2本を刻みました。ねっとりとして、これは思いのほかマッチしました。

「数」ある欧州旅 『8』

 「8€」と石畳にとまる赤い車体にも、玄関にも書かれていました。ユーロはいわずと知れたユーロ(EU)圏の通過です。
 ところがここはチェコのプラハの街角でした。ちなみに車は、旧東ドイツの国民車、トラバントを改造しています。実はタイ式マッサージの店の宣伝でした。

 チェコは、EUに加盟した後も、独自通貨のチェコ・コルナ(CZK)を使っています。
 南ボヘミアのチェスキー・クルムロフの鉄道駅から旧市街まで乗ったバスの料金は8コルナでした。日本円で40円ほどでした。

 スイスは、スイス・フランを使っています。
 大聖堂の街、ザンクト・ガレンを一望できる丘にミューレックというかわいいケーブルカーで上がりました。丘の上の菓子屋さんでは、古いケーブルカーをデザインした焼き菓子を売っていました。8フランと12フランでした。 

 ブリュッセル郊外の市です。おいしいワッフルを買って、その場でかじりました。
 きれいなリースは8€でした。みやげにしたかったですが、ちょっとかさばりすぎそうで、あきらめました。まあ、生花は通関でストップでしょう。

 ベルリンで聴いたベルリン・フィルハーモニーの演奏会は、125€でした。席は「8列」と前方で、指揮のマリス・ヤンソンスがびっくりするほど格好良かったです。

 ウィーンのシュテファン大聖堂の裏手にあったフィガロハウスです。いまはきれいに改装されてモーツァルト・ハウスになってます。
 ここでモーツァルトは「フィガロの結婚」を作曲しました。踊るような自筆譜なんかが展示されていました。

 スペイン・サンティアゴ巡礼の1枚。ポンフェラーダは、テンプル騎士団の城や教会が見えてからの道が、まだかまだかと遠かったです。

「数」ある欧州旅 『7』

 初めてスイスを訪れたのは、2007年の夏でした。旅はチューリッヒから始まりました。SBB CFF FFS(スイス国鉄)中央駅の正面です。ほとんどのトラムが、ここから放射状に延びていました。

 ボーデン湖畔での「ブレゲンツ音楽祭」(湖上オペラ「トスカ」)を見る前に立ち寄ったザンクト・ガレンです。駅前からバスでユネスコ世界遺産のザンクト・ガレン修道院に向かいました。

 アイガーの山麓をトレッキングしました。アイガー、メンヒ、ユングフラウの3名山を含むベルナーアルプスを一望できるシルトホルン(2970メートル)の頂上にある回転展望台にもロープウエーを乗り継いで上がりました。
 ここは映画「女王陛下の007」のロケ地でもありました。展望台の食堂メニューには「ジェームズ・ボンド朝食」もありました。

 このときの旅のお終いはジュネーブでした。名所の大噴水、ジェッドーが吹きあがるレマン湖畔に、観光船のチケットオフィスが映っていました。

 ドイツは4度、訪れました。一度は、海を越えて。
 「渡り鳥ライン」は、コペンハーゲンからハンブルクまでを結ぶ交通幹線です。デンマーク側のロービュとドイツのプットガルテン間の19kmはフェリーで結ばれています。列車ごとフェリーに吸い込まれた後は、船倉の3階デッキからエレベーターで7階の展望デッキに上がり、缶ビールを手に海風に吹かれました。

 チェコのプラハから列車で到着したのはドレスデンです。ヒルトンホテルの日本食レストランで、昼飯に刺身定食を食べました。ハッピ・アワーではりませんでした。

 バッハ・フェストを楽しんだライプツィヒは、「荒城の月」の瀧廉太郎が学んだ街でした。没後100年を記念したプレートが、かつで住んだ「フェルディナンド・ローデ通り7番」近くの町角に立っていました。

「数」ある欧州旅 『6』

 夏休みの宿題は毎日、絵日記を書くことにした小学生に戻ったような心境です。きょうは「6」です。鉄道のホームが並びました。
 ゴールデンパス・ラインは「(スイスの)ドイツ語圏の美しい古都ルツェルンからフランス語圏のエレガントなモントルーまで結んで走る夢のスイス横断ルート」です。わたしはパノラマ車両の先頭席に座って、終点のモントルーに着きました。夢のような(実際に眠たくもあった)時間でした。

 スイス・レーテッシェ鉄道のサンモリッツ駅は、町とは反対側の湖岸から歩いてくるとそのままトンネルとなり、そこがホームへ
の階段でした。ここから氷河急行やベルニナ線が出発しました。

 旅の初日は、時差の加減で早起きします。コペンハーゲンでも早朝にコペンハーゲン駅の周辺を散歩しました。童話に出てくるお城のような駅でした。

 ベルリンの地下鉄、U-Bhanは10路線が走ってます。U6の「コッヘ通り」です。分断された東西の接点だった検問所、チェックポイント・チャーリーの最寄駅です。

 プラハの旧市街広場近くの聖ニコラウス教会です。6時からのコンサートは、バッハにモーツァルトのドボルザークと聞いてみたいプログラムでした。
 

 スペイン巡礼では、いろんなおいしいものを食べました。ナヘラでは、四角いピザをかじりました。東京の私立大生のFさんと、日本語の会話が弾みました。

 ナヘラでも飲んだサングリアは、その2日前のロス・アルコスにも看板が出ていました。
 「Jarra」はGoogle翻訳では「投手」と日本語訳がでました。ピッチャー? 「野球の投手」と「洋風の水差し」が同じとは知りませんでした。

 カリオン・デ・ロスコンデスまで6キロ。麦畑に連なるモホン(石柱)の行列です。
 サンティアゴ・デ・コンポステーラは、まだまだ先でした。

京都・四条烏丸 「めん坊」とフジコ・ヘミング

 あまりの暑さから逃げたくて、珍しく映画に行きました。その前の昼飯です。
 京都・四条烏丸の東北角にある三井ビル地下の「めん坊」です。「涼味定食」(800円)は、冷たいぶっかけに好物のいなりずしのセットです。
 腰はほどほどの讃岐うどんに、京風の爽やかに出汁をかけていただきます。

 いなりは、わが家でも1昨夜に登場したばかりでした。

 ショーウインドには、「I have english,korean,chinese menu」という表記もありました。観光客が多い京都らしいです。

 めん坊 四条店 
 075-211-8867
 京都市下京区四条通烏丸東入長刀鉾町8

 昼食前に、COCON烏丸の3階にある「京都シネマ」に直行して入場券を購入、整理番号をゲットしました。

 映画は「フジコ・ヘミングの時間」。苦難を乗り越えて60代で世界に見いだされた奇跡のピアニストのフジコ・ヘミングをパリ、ベルリン、東京、京都・・・と追ったドキュメンタリーでした。
 初っ端からフジコを一躍、有名にしたリストの「ラ・カンパネラ」が響き渡りました。数奇な人生を乗り越えて80歳台の今も、年間60回ものステージに立つダイナミックな演奏、それにお気に入りのアンティークや猫と暮らす情景などが綴られていました。

 家に帰って探すと、「奇蹟のカンパネラ」と「永遠への響き」の2枚のCDが見つかりました。
 久しぶりに聞いたCDのラ・カンパネラは、映画の終盤に5分に及んだ昨年暮れの東京オペラシティでのソロコンサートと比べると、随分とおとなしく優等生の演奏でした。20年ほどたっても衰えることはなく、さらに高みを目指してきたフジコの魂の響き、それにライフスタイルをうかがい知ることができました。

「数」ある欧州旅 『5』

 スペイン・サンティアゴ巡礼では、いろんな「5」と巡り合いました。

 巡礼初日がフランス-スペイン国境の難関、ピレネー越えでした。
 峠に止まったワゴン車の移動カフェで、コーラでひと息つきました。ボードを見ると、あと11キロ。5キロ平たん、5キロ下りと分かって、ゴールのロンセスバリャスに着けるめどがつきました。

 巡礼で毎夜の宿となったアルベルゲ。さえぎるものがないメセタの麦畑の中のカルサディージャ・デ・ラ・クエッサのアルベルゲは、1夜のベッドが5ユーロ。公営アルベルゲでフツーの額でした。プライベート(民営)はもう少し高く、逆にドナティーボ(寄付)というところもありました。

 大阪・住吉大社でいただいた「五大力」」の御守は、巡礼のザックにぶら下げていました。イラゴ峠に立つ鉄の十字架の下に、家族の健康なんかを祈願して置いてきました。

 巡礼の途中で、疲労のためか足首が痛くなりました。ファーマシア(薬局)で買ったテープで固定すると、随分と楽になりました。

 巡礼には、荷物をその日の宿泊予定地まで運んでくれるポーター・サービスがありました。この袋に名前なんかを書き込み、料金の5ユーロを入れてザックにくくり付けておきます。わたしは、オ・セブロイドの峠に上がる日だけ利用しました。

 フロミスタで食べたおいしいもの。モルシージャ(ブラッド・ソーセージ)も5ユーロでした。

 最初の巡礼で、マドリードからサリアまで乗ったrenfe(国鉄)のALVIAです。早期予約は安かったので1等を奮発すると、座席には飛行機のような音声サービスがあり、イヤホーンは無料サービスでした。

 わたしに向けてポーズを取ってくれているようなセニョリータ。でも存じあげない方でした。マドリードの有名なカフェの前です。

 こちらのセニョールの「飲んでいかない」の誘いにはひき込まれて、生ビールをいただきました。